うてなやまと読むといかにも伝説の地らしい名前ではありますが、だいやまかな。大原神社の社頭に掲げられた由緒書きに“本社は第十二代景行天皇の御代日本武尊が東征帰路、台山(本社後方の台地)に登り前方の豊かに稔る田野を見渡され国家鎮護の為に山城国(京都)大原野神社を勧請して建てられたという。中世以降本社は坂西各村の総鎮守として栄えた。”とあります。
天道山の日本武尊伝説も東征の帰路に起きたことでしたが、どちらを先に通ったのでしょうか。登ってみましたが、山頂は薮に覆われて、展望はありません。とてものことに日本武尊の気分にはなれませんでした。新松田川橋を通過する車の気配がかすかに伝わってくるだけです。
じつはこの山、足利百名山選定委員会に選定された足利百名山だったりします。足利百名山のリストは標高順に記載されていて、台山は149番目に書かれていて、標高も40m以下になっていたので、神社の中に作られた人工の塚だろうと、せいぜい古墳か何かだろうと、独断と偏見を持って楚巒山楽会の登攀対象外の山にしていました。ところがなんと。足利に所用があった帰り、ふと思いついて行ってみました。行ったらなんと、なんと、立派な山でした。山であるばかりか、旧恋の山でした。西山の項に書いた“崖山で書いた松田川を渡ってすぐの切通しです。片割れも70m程の山なので、それは後日。”の片割れの山がこの台山でした。あとで登ると書いておきながら、なかなか、その通りに行かないのが世の常ですが、ここは、宿題が一つ済みました。

桐生坂西線を進み、新松田川橋を渡ります。両側が切り通されていて、右が台山です。この山を登ろうとする志の篤い方が、そういるとは思えませんが、この山を登りにきた人は、ここで失望すること請け合いです。それでも登りたい方は、坂を登り切ったところの信号で右折。JR両毛線の踏切の手前右側の大原神社に駐車。小さな神社ですが、宮司さんのいる社務所もあり、駐車場も完備されています。当然神社にお参りしてから、神社裏の台山をめざします。神社の脇の道を山に向かってゆけば〜黄昏がフロントグラスを〜民家の間の道がそのまま山道に繋がります。竹やぶを抜け、右にカーブした道は古いお墓に突き当たり、その奥が山頂です。山頂には梵天に使われるような竹が立てられています。この竹は坂西桐生線からも見えていました。
大原神社はお腹の病にご利益があるそうです。平将門の体が四散した時、お腹が飛んできて、それをお祀りしたそうです。隣の五十部町には将門の手を祀った大手神社があるそうです。

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