どうやま。昔むかしのことですが、この地には足利泰氏(やすうじ)が建立した智光寺という大きなお寺がありました(そうです)。当時、山頂にお堂でもあったのでしょうか。
智光寺は江戸時代に廃寺となり、遺跡も足利商業高校の下に埋もれています。源姓足利氏の統領が鎌倉から勧請した八幡様も生者必滅会者定離の理通り、今では見る蔭もありません。

この山は、足利百名山選定委員会が足利百名山に選定しています。山頂に古墳があるようですが、古墳は後づけのようで、天然自然の山です。堂山が山であることを認めるに吝かではありません。が、“足利百名山”に選定された山の中には疑問符の付く山が幾つかあって、堂山も歴史を慮った上で選定されたのでしょうが、山としてはちょっと。

“足利百名山”には、古墳も幾つか含まれています。楚巒山楽会は山と名が付けば、ハワイ州マウイ島出身の高見山(高砂部屋)にも登ると宣言していますが、古墳は登山対象ではありません。
足利市富田町の“おとか山”なる山が百名山に選定されていて、変わった名前なので登高意欲をすごくそそられたのですが、墳頂まで数mの見るからに土を盛って作られた人工物でした。名称も“おとか塚”。墳頂にお稲荷様が祀ってあるとはいえ、これは疑似山登りにはなりません。
名前でそそられた山が他にも。“わたごさま”220m、手がかりは八雲神社。“山百合”標高なし、手がかりは山頂に地蔵あり。“浅間山”137m、手がかりは蛭田の橋の三足富士。“高っちょ”203m、手がかりは、名草下町。ご存知の方、是非ご一報を。

楚巒山楽会には低山と里山をこよなく愛している会員がいて、たいていの低山にOKを出すのですが、堂山は登りはじめてすぐ、大きな蜘蛛の巣に頭から突っ込んで、心が折れて、登るのを断念したそうです。だから晴れでも“カサ”の携行を勧めているのに。

桐生坂西線を進み、北関東自動車道を潜る手前、足利商業入口で左折。道なりにけっこう進んで行くと足利商業高校が右手に。足利の公立高校は、わりと町外れで見かけるけど、足利の高校生は元気だな。男の子も女の子も、自転車をビュンビュン飛ばして通っている。高校の塀に沿って走り右折。左に見えてくる神社が平石八幡宮。2〜3台駐車可能。

境内には、平石八幡宮の説明板や智光寺跡の石碑、山頂の古墳の説明板などがありますが、堂山に関しての説明は見当たりませんでした。自治会館の関係者の方がいらっしゃったので、山名を尋ねたのですが、ご存知ありませんでした。別に、山名に関して故障はないのですが。
平石八幡宮にお参りした時は、裏の山が堂山とは知りませんでした。知っていたら登ってみたのですが。

で、わたくし、楚巒山楽会の代表幹事は未登です。心の折れた会員にかわり、いつの日にか堂山登頂を果たし、報告したいと思っています。

2008/7/8 堂山登頂記 
足利市発行の「足利智光寺趾の研究」によると、智光寺に阿弥陀堂があり、“本遺構は智光寺趾の北部を占める。平石八幡宮の東方約40mにあり、北裏はド−ヤマと呼ばれる比高約10mの丘陵で、”とあります。やはり、お堂があったから堂山でした。
で、登りました。下に概念図を掲載しましたが、溜め池側から簡単に登れました。クモの巣に心を折られることもなく、岩に刻まれた参道が石祠まで伸びていて、石祠から山頂はすぐでした。小さい山なのだから、ちょっと目にした踏み跡に飛びつかないで、登る前に麓を一周するくらいのゆとりが欲しいものです。
駐車地は山側の広い路肩。八幡宮にお参りをして溜め池に向かいます。自治会館の脇からゆったりとしたスロープが溜め池に伸びています。溜め池に沿って右折。木の橋を渡るとすぐに岩に刻まれた階段が目に入ります。階段を登ってゆくと、大きな岩を背にした石祠。天王と彫られているように見えました。八幡宮とは別の神社のようです。ご挨拶をして踏み跡をたどります。一応尾根道。一番高いところが山頂ということで、先に進むと薮の世界になります。篠竹の薮の中に落葉と枯れ草に埋もれて、かすかな踏み跡はありますが、分別のある大人は山頂からもときた道を引き返した方が、よいかも。好んで苦難の道を歩かなくても。踏み跡を拾ってゆくと平石八幡宮の裏手におりてこられますが、道はないとしておきます。展望はほとんどありません。当会の会員がたどろうとした逆コースは落葉期だったら、歩けそうです。

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