はちおうじやま。八王子山脈(きゅうりょう)の名前の元になった山ですが、長いこと他の山に名前を奪われていました。再び八王子山を名のれるようになった経緯は「やまの町 桐生」のあちこちに書いていますが「楚巒山楽会のページ」の二つの八王子山解決編で詳細にふれています。解決編ではここが八王子山であるということを証拠付ける文献をいくつか挙げていますが、この項では一つだけ再録します。

“八王子山は茶臼山の南東五〇〇米に所在して標高二六〇米の山である、戦国時代末期の砦跡であり当時は茶臼山と並んで金山城北の守りとして重要な役目を果しており現在も腰曲輪の跡が残っている。山頂の平地、約六〇〇坪には井戸二ケ所、春夏秋冬水のかれることがない。石宮と石碑があるが石宮は八王子神社の奥社で祭神はスサノオ命の五男三女であり修験道の神として古くからうやまわれてきた。文化年間既に籠堂が建ち多数の修験者が千日行を行なっていた。籠山千日満行所の碑在り。”
以前、この地に掲げられていた案内板の文章です。八王子山と八王子神社と題されていました。残念なことに八王子神社の石宮は現在では確認できません。台石が残っていたようですが、それも未確認です。井戸も確認できるのは一ケ所だけです。
八王子の碑には『日月』の下に空風火水地の文字、建立者の周藤以九衛門、元禄十六癸未歳四月十一日の日付けが彫られています。かたわらの小さな石柱には籠山千日満行所 文化十癸酉 天社神道 大内蔵之進と刻まれています。

というわけで、この地が八王子山であるということには議論の余地がありません。これからは正しい名前で呼んであげてください。西のジャンクションピークは姥沢の頭ということで。茶臼山は山脈の最高峰ですが、主稜からは外れています。八王子山こそ山脈の盟主といってよいと思います。
山頂の平地、約六〇〇坪は一面薮に覆われていて、庚申塔などもあったといわれているのですが、八王子山と姥沢の頭の間の縦走路で小さなものを一つ発見できただけです。
姥沢峠の庚申塔もこの山の続きで設けられたとも思われます。万延庚申十二月の文字が読みとれます。姥沢峠は別名八王子峠といわれていたので、八王子山や八王子神社に訪れる人が多かったことを偲ばせます。八王子神社とはご祭神が異なっているようですが。

概念図のコースは東毛少年自然の家が整備しているコースなので、迷うところはありません。それぞれのコースを連絡している道もあります。その日の、その時の気分で歩けるコースです。どれも気持ち良く歩けます。改めての紹介はしません。
東毛自然少年の家には、桐生伊勢崎線を伊勢崎方面に進み、阿左美駅の先、阿左美下原の信号で左折、太田大間々線に入ります。自然の家入口の信号で左折、東武線の踏切を渡り山に向って進み、道の果てるところが東毛自然少年の家です。駐車場完備。ハイキングマップも配付しています。

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