ごんげんやま。旧八寸村にあったので、はちす権現山と呼ばれています。標高100mに満たない立派な低山ですが、残念なことに伊勢崎市が公園として整備をしてしまい、ほとんど山の雰囲気は失われています。この山は北橘村の九十九山同様に赤城山の流れ山です。「流れ山」とは、大規模な火山泥流の堆積地に見られる火山麓の小丘のことで赤城山の一部がここまで流れて、丘を作りました。ということでめでたく「やまの町 桐生」での紹介です。調べていませんが、もしかしたら平成の大合併の前では伊勢崎市の最高峰かも。94.4mは案内板よりとりました。

山名はもと山頂に熊野権現が祀られていたことからきています。現在は中腹!の蓮神社に合祀されています。蓮神社の主祭神は豊城入彦命で、伊勢崎市の豊城町の名前のもととなっています。伊勢崎には他にも由緒ありそうな町名が多く、旧町名を在り来たりの名前に変えてしまった桐生市とは大違いです。
山頂(らしきところ)には赤城塔に分類されるという文化財の多宝塔があり、ここが権現山の最高点ということにして置きます。中腹の蓮神社の屋根が山頂より高く見えるのはご愛嬌。

“三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい”。熊野牛王(ごおう)のお札は起請文の料紙として使われました。牛王符に書いた誓約を破ると神罰を受ける他にカラスが三羽ずつ死ぬそうです。カラスの害に困っている自治体の政治家の方達は公約を牛王符にせっせと書けば多少なりとも世のため人のためになりそうですが。三千世界〜は高杉晋作が即興で作った都々逸で、落語三枚起請のサゲの元になったものです(書かずもがなでしょうが)。

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