じょうのとや。砦とかいて「とや」と読ませています。足利市名草中町の清源寺の裏山です。サイト“ヤマポン総研”の「お山歩日記」で見つけました。清源寺は足利尊氏の重臣南遠江守宗継が菩提寺として建立したお寺で、南宗継は太平記などにも登場しています。その巻第十六に“将軍軈て宗像が館へ入せ給ふ。次日小弐入道妙恵が方へ、南遠江守宗継・豊田弥三郎光顕を両使として、恃べき由を宣遣されければ、小弐入道子細に及ばず、軈嫡子の太郎頼尚に、若武者三百騎差添て、将軍へぞ進せける。”墓碑によると南氏はマブチモーターの馬淵さんのご先祖で、清源寺の参道から南氏の墓所までは石造りの立派な道が作られていました。南氏はこの地に紀州の名草郷から移封されました。その際に丸木郷というもともとあった地名を名草に変えたということです。

足利市内を名草に向かって進みます。須花への道を分ける辺りに南氏墓所入口の道標があり、左折します。清水橋で名草川を渡り右折、清源寺橋の畔で左折し駐車地は清源寺。山門の手前に右に入る道に入ります。墓地にそった道を進むと、山に向かう道が右手に現れるのですが、ここから先、道を見つけることができませんでした。「お山歩日記」では入口には朽ちかけた案内板があり、荒れた植林地を登る記述でした。幸いというか、残念ながらというか、薮漕ぎを鐚一文厭うことない山の師略して山師のhisiyamaさんが同行者だったので、隙間なく密生した篠の尾根に突入しました。急登ですが、篠なので手がかりには不自由しません。ヒィヒイいいながら、なんとか頂上に到達しましたが、けしてけしてお勧めしません。「お山歩日記」でも“ブッシュもきつくて相当鬱陶しい。少しは刈り払いをしないと、近いうちに藪に埋もれて道がなくなってしまうだろう。”と書かれていましたが、道はなくなっていました。コース取りは違っていますが。万万が一、城の砦に登りたいと思われた方は我々とは逆のコースをとられるよう。逆コースは最初は踏み跡もない谷間の道ですが、ピンクのテープに導かれ、谷間から尾根、尾根づたいに城の砦にと、分別を弁えた大人の歩く道になっています。頂上では旱天の慈雨、ピンクのテープを発見しました。これで下山は人間の歩く道で下りられると。こんな薮山にコース取りをしてくださった方、どこのどなたか存じませんがありがとうございました。無事下山できました。

頂上の城趾は古城研究家でもあるhisiyamaさんによると土塁や腰郭、武者走など、かなり良く残っているということでした。楚巒山楽会は山に登るだけが目的ですから詳しくは書きません。

逆コースをとる場合は、清源寺を出て、名草川にそって南下し清水橋を過ぎて最初のT字路で右折。道なりに山に向かってゆくと作業道に出ます。作業道の終点から荒れた谷間が始まります。ピンクのテープを拾ってゆくと比較的楽に城の砦に登れます。

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