かどやま。桐生山野研究会の「赤芝山脈縦走(桐原の住人)」でも、位置の特定されていない山です。縦走記によると“谷山から東に200m弱のところに谷形が複雑に入り組んだ中に、標高370mの高みが地形図に見える。『郡誌』に「角山360.0m」と記すのはここであろうか。確認していない。”と書かれています。赤芝山脈の第一人者も角山がどこかわからないということでしょう。
『郡誌』とは山田郡誌で、その記述は“川内村字山田の東北にあり、嶺上より區分し東北須永村に屬し、西南本村に屬す。山脈又南北に分れ、南は字高谷戸に至り、北は長尾根村、山田村諸山に互る。山中樹木を生ず、登路二條一は字殿入より上る、百五十間。一は字西久保より上る、四百七十二間。渓水一條深さ一尺広さ六尺”とあります。
岩久保山の記述も採録すると“川内村大字須永の北方にあり。嶺上より四分し北方は山田村長尾根村に屬し、西方は高津戸村に屬し、東南は本村に屬す。山田村諸山に連る。山中樹木鬱茂登路一條、字岩久保より上る。五町廿二間、渓水なし。”と記されています。
岩久保山は三角点峰でもあり、概念図の位置で記述とも一致しているようです。
角山はというと、どこでしょう。角山の記述に出てくる地名を桐生市地名考から探ると、高谷戸(たかがいと)は旧高津戸村で、現川内町四丁目。殿入(とのいり)は旧高津戸村で現大間々町(みどり市)となっています。“殿入―殿入山と高谷戸山の間にある棚状の傾斜地。当時は権現山も含まれていた。権現山―殿入の一部であった殿入山の先端が権現山として独立した地域。山の神石尊権現(阿夫利社)を東腹に祀ってある山。”仮に高谷戸山が西久保山の北西の三角だとすると、何となく概念図で角山とした三角の辺りに落ち着くかなと思うのですが。

それにしても、桐生の山の蔓延りようといったら。一つ山を調べると三つの山が出てきてしまいました。きりなく、きりなく現れます。高谷戸山は見つけられそうですが、権現山、殿入山、どこにあるのでしょうか。
赤芝山脈縦走記にこんな記述があります。“岩久保山から南に下り、すぐに西に向きを変えてわずかに登り、その高みで直角に曲がり南にわずかに下ると鞍部に着く。ここは、地形図に発電所記号が見える福岡発電所の集落と、川面の文字の見えるところの川面の両集落からの道を併せ、川内の岩久保へ抜ける峠状のところである。以前、岩久保からここをめざしたが、登るにつれて猛烈なヤブとなり、西側の尾根に逃げてここまで来たことがあった。
 桐生市と大間々町の境界線は、この峠状のところを東に数十m行き、「高谷戸入市有林」の桐生市の標柱が立っている窪にそって下っている。窪にそって行けば、すぐに沢形がはっきりしてくる。沢は最後は渡良瀬川に流入して終わるが、この沢が境界線になっている。”
高谷戸山はこの記述をヒントに探れば見つかりそうです。長尾根峠から岩久保山まではわかりやすい踏み跡がついているので、薮山愛好者にはおすすめです。

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