この地図を何度使い回したことでしょう。07.1.15のヘロコヤシキの記事が始まりでした。この記事が岩石祭祀研究家のMURYさんの探究心に火をつけ、この年の終わりに遭難死された極楽とんぼさんを刺激し、東毛漫遊山歩きのすずきさんが参戦、この石の在処を知っていたISOさん一族も巻き込み、初めから探されていたhisiyamaさんはもとより代表幹事も数えきれないほどこの地図の隅々を歩き回りました。神社の駐車場にあったたった一枚のアバウトな地図がたくさんの人の好奇心をかきたて、ネットの記事が縁で今まで顧みられなかった文献が掘り起こされ、今回その石が日の目を見たことはネット社会の功であり、その一角を担えた代表幹事も宿題をひとつ果たせてきっとえへんぷいだと思います。
まあそんなことを威張ってみても神籠石にいわせればずっとここに居て、勝手にその存在を謎にしてしまった人間どもはなにをやっておるのか、発見などとはおこがましいぞ、というところでしょう。

5/31に夜明け近くまでの雨をものともせず、ネット関係者で都合のつく人達が集まって掘り出された神籠石を鑑賞する集まりをもちました。独自の鋭い調査で新たな文献を次々見い出したすずき@東毛さん、代表幹事のHP作りに多大な影響を与えてくださったオッサンの山旅さん、オッサンのやさしい奥様、桐生の低山歩きの新たな希望の星ハイトスさん、今このHPを続けるために面倒なことを全部引き受けてくださってるあにねこさん、藪山は嫌いなのに特別に来てくださった増田宏さん、増田さんの自慢の山の相棒の奥様、MURYさんのサイトから今日の集まりを知りわざわざおいで下さった赤城颪さん。急な日程でしかもお天気も連日悪かったので、神籠石探索の先駆者hisiyamaさんや、訳もわからず探索に付き合わされてこの地図を歩くはめになった楚巒山楽会会長、遠方にお住まいの神籠石確認の核ISOさんと岩石祭祀の第一人者MURYさんは残念ながらHPでの報告を楽しみにしているという暖かいメールでの参加となりました。

戦争中まで続けられていた新年、春、秋の神事に子供の時に駆り出され、夜、神餞をあげた後の帰り道の怖さや、近辺の農家の方が自分たちで注連縄を張っていたことなどを16日に撮った写真を見ながら神主さんにお聞きして、改めて桐生の農業の衰退を思い、農業と里山、農業と神さまの関係の深さを思います。
昔、といっても戦後しばらくまではメジロやヤマガラがたくさん飛び交い、子供たちが遊びに来たりした里山が、大きな台風や度重なる土砂崩れなどでだんだん荒廃し、産業構造が変わってゆく中でかえりみる人もいなくなり、道が失われ、神さまの石でさえ行方不明になってしまう。嘆いてばかりいないで、せっせと歩いて道を保持する小さな足跡になれればと願った代表幹事の、ささやかではあるけれど熱い想いを少しでも受け継ぐことができればと思ってはいるのですが。

あいにく続いた雨でぬかるんだ山道を辿り、2週間前より一段と濃くなった薮と数の増えた倒木を越え右へ右へ。ほんとにここだったかと疑問を持つほど歩いて、とうとう神籠石を目にした一行の先頭から思わず おおっ と嘆声があがります。突然現われる大きな石にはやはりなにかしらの力がある。ここで長い長い間祈られた収穫への期待、収穫をもたらしてくれた感謝の積み重なりは、いまだにここに磁場を作っているのではないか。その力が時空を超えてネットに入り込み 探せ とみんなに語りかけたのではないのか。そんな風にも思えるほど神籠石は力強く在りました。
取り除いたはずの倒木と土砂が少し増えて石はこの前より傾いたようにも見え、また表情を変えていましたが、雨に洗われた黒々とした姿が緑に映えています。
みんなで周りを歩いたり、感想を述べあい、それぞれの方がこの石を探した時間を振り返り、赤城颪さんの朗々とした祝詞のあと、お神酒をかけて少しずつお流れを相伴しました。

代行を務めるわたしも何度かそれまで代表幹事が推奨していた神籠石を無理矢理見せられ、感想を述べよなどと難問を出されたりしたので、この石に関しては特別な思いがあります。だって山で見る大きな石にはどれにも神さまが降りたって不思議じゃないなんて無教養を晒け出して顰蹙をかったのも、それぞれがそれぞれの根拠で神籠石探索を続けるみなさんの、言っちゃ悪いが奇妙で熱い探求譚を面白く読んでいたのも、今日も見つからなかったと疲れて落胆しながら帰って来る代表幹事の顔を見ては神さまに見離されてると揶揄したのも、みんな楽しい思い出になりました。端から見れば酔狂なというしかないことにこだわり、それにかける時間を持てるということは実はとても贅沢で豊かな人生の使い方だと、これは分野が違っても志向を同じくした代行の自負でもあります。

準備不足で立てられなかった標識を石に立てかけ記念撮影などしたあとも、山頂でよく感じる立ち去りがたい切ないような気分、名残惜しい気分でみなさんとぽつりぽつりと話しながら、しばらく神籠石に触ったり眺めたりして、過ぎてしまった時間や取り戻せないもののことを考えました。すぐそばの湧水のあたりから現われた蟹を見ながら、数えられるものと数えられないもののこと、言葉で言えることと名さえ呼べないもののこと、知っていたはずのことと知るすべさえないもののこと、それら全てで成っているなにものかのことを考えました。ま、たぶんそれを人は神と呼ぶわけですが。
もし再びここに神さまが降臨することがあるのなら、どうぞもう土砂や倒木に埋もれることなく、どっしりと常に姿を見せていてほしいと願います。どうぞ代行の秘かな小さいお祈りを聞き届けてほしいと願います。

集まってくださったみなさん、メールをくださったみなさん、ありがとうございました。
良かったね、あなたの努力は決して無駄ではなかったよ と代表幹事に報告して神籠石の最終章といたします。

楚巒山楽会代表幹事代行

アバウトな地図 3/8の神籠石 5/16の神籠石 5/31の神籠石 記念写真

6/14 神籠石の銘板を設置していただきました。

山野研究会のページに詳しいことがUPしてありますが、hisiyamaさん、桐生みどりさんご夫妻およびI氏のおかげでようやく銘板(標識)が設置でき、神籠石周辺は驚くほど綺麗になっています。代行の不手際で大変な作業を押し付けてしまって、申し訳ありません。ありがとうございました。
本格的に支柱を立てていただいてずいぶん立派なものに仕上がり、銘板を作ってくれた楚巒山楽会名誉顧問も、そして当然代表幹事も大喜びだろうと思います。これでもう神籠石も行方不明にならないだろうと。ひと安心です。
なおこの神籠石再発見の経緯については「やまの町 桐生」とともにMURYさんの「賀茂神社の神籠石」、すずき@東毛さんの「賀茂神社の「神籠石」 〜 神様が降臨した石は何処に」および 「続・賀茂神社の「神籠石」 〜 ついに神籠石を拝す」をぜひご覧ください。二年以上にわたったこの石を探すための試行錯誤がそれぞれまとまっていて、あわせて読むとネットの縁でひとつのコトが一点に向かって収斂してゆく面白さを満喫できると思います。

これで代表幹事の懸案だった神籠石もフィナーレを迎え「やまの町 桐生」にもう新しい記事が増えることはありません。
そのかわり、「桐生の山歩き情報」を拡大して、桐生の山や代表幹事が書いてきた山域に限定しての掲示板を作りたいと思っています。新しい山の情報やまだ代表幹事が歩かなかった道についての報告をいただければ幸いです。これからはその掲示板、「桐生山野研究会」、増田宏さんの山行記録、「楚巒山楽会」の記事で続けて行くつもりです。どうぞこれからもよろしくお願いします。

楚巒山楽会代表幹事代行

追記:20日に今度はほんとうに桐生タイムスさんの取材があるそうです。


神籠石と銘板
銘板裏「ネットが縁で09年に発見される」
(I氏撮影)

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