袈裟丸山             増田 宏

 袈裟丸山は両毛国境(群馬・栃木県境)に連なる足尾山塊の南端に聳える標高1961mの雄峰で、最高峰の奥袈裟を始めとして前袈裟・後袈裟・中袈裟・法師岳の五つの峰を連ねている。関東平野北部から望む山容は両毛の名山の風格がある。中でも桐生・伊勢崎間からの景観が最も雄大で赤城山の右後方に尾根を左右に延ばした端正な双耳峰になっている。行政区画的にはみどり市東町・沼田市利根町・日光市足尾町にまたがっている。南面を渡良瀬川水系の小中川、東面を渡良瀬川水系の餅ヶ瀬川・庚申川、西面を片品川水系の根利川・栗原川が流れている。袈裟丸山は赤城・榛名に劣らない大きな山であるが、登山者を除けば地元を含めて知名度は低い。

 

一 袈裟丸山の峰

 袈裟丸山は南北に連なる主稜線と小法師尾根・県界尾根・郡界尾根などからなる連峰であり、袈裟丸山を構成する主な峰は次のとおりである。

  賽ノ河原

 山頂から南東に派生する稜線上にあり、土壌がはがれて岩石が露出し植物の成育しない裸地となっている。そのような景観から賽ノ河原と呼ばれており、弘法大師に因んだ伝説がある。弘法大師がこの地に来たとき赤鬼・青鬼に責められながら子供たちが石を積み上げているのを見て三夜看経し済度したといわれている。
 塔ノ沢及び林道小中西山線から二つの登路がある。賽ノ河原から200m下った塔ノ沢登山道沿いに避難小屋がある。水場が傍らにあり、沢入から袈裟丸山を目指す根拠地になる。沢入駅からは日帰りが難しかったので以前から堀立小屋があったが、現在の小屋は小さいながら床を備えた立派な小屋となっている。


    家の串

 小中と根利を結ぶ峠で、標高約1200m。袈裟丸山から派生した郡界尾根が高度を低めて平坦になった地形が家の屋根に似ていることから峠一帯を称して家の串というのが定説になっている。勢多郡誌には「飯野串峠」と記載されている。地元の人は「イノグシ」とか「イノゴシ」とか呼んでいる。ゴシを越しとすると峠そのものを指す呼称かも知れない。戦前までは小中と根利を結ぶ交通路であり、小中からは木炭を馬で運んだ。これを小荷駄引きと呼んでおり、花輪〜根利間八里を往復した。根利からも馬に荷を積んで物を売りにきたという。戦後間もなくまで通行があったが、水沼と根利間を自動車が通るようになって寂れた。現在は荒廃して峠付近の緩斜面に道形が残っているだけで沢沿いの道は崩壊して跡形もない。

  小丸山

 賽ノ河原と前袈裟とを結ぶ稜線上の峰で山頂付近は花期にはヤシオツツジが美しい。賽ノ河原付近はカラマツの植林地であるが、小丸山付近はコメツガの低木林となっている。小丸山と前袈裟の鞍部に鋼製のカマボコ形の避難小屋があり、4〜5人の宿泊が可能である。1991年の夏に新設され、隣には便所も設置された。水場は西に2〜3分笹の中を下った沢で求められる。

  前袈裟

 袈裟丸山南端の前袈裟は標高1878mで一等三角点が置かれている。コメツガとダケカンバに囲まれた頂は袈裟丸随一の展望が得られる。最近まで前袈裟の三角点に袈裟丸山の記名があったので前袈裟を袈裟丸山頂としている資料が多いが、袈裟丸という名称は連峰の総称である。山頂へは通常は沢入から塔ノ沢を経て県界尾根を登るが、林道小中西山線から賽ノ河原を経て県界尾根に出るのが最短路で最近はこの登路を採用する人が多い。コメツガ等の亜高山帯植生からなる南面一帯の726haが県自然環境保全地域に指定されている。

  八反張

 前袈裟と後袈裟の鞍部を八反張という。その名の由来は昔、鳥を捕えるために網を張った場所であって、張った網の大きさが八反であったことからそう呼ばれるようになった。八反張は伊勢湾台風で稜線が崩壊し脆い痩せ尾根で難所だったが、西側を均して道を整備したので今は難なく通れる。

  後袈裟

 後袈裟は標高1908mで前袈裟に隣接し、南方からみるとこの二峰がちょうど双耳峰のように見える。山頂には営林局の図根点がある。南からは前袈裟と同じくらいの高さに見えるが、東から見ると前袈裟より高いことがよくわかる。山頂へは西から旧利根郡と旧勢多郡の郡界尾根を登るのが最も早い。

 地域外の峰(日光市足尾町・沼田市利根町)  

  二子山

 円錐形の二つの峰が並んでいる。西の峰が高く三角点があり標高1556m。西の峰は接触変成を受けた粘板岩からなり、東の峰は花崗岩からなる。東の峰の山腹には花崗岩の露頭がある。その最も顕著な岩がチョッケン岩である。二子山は以前、茅野の頂で山菜採りや山遊びなどで地元の人に親しまれていたが、カラマツが植林され現在展望はない。登路は廃道となり登山者も殆どなくひっそりと静まりかえっている。

  中袈裟

 後袈裟と奥袈裟に挟まれた峰で標高は約1900m。東面の餅ケ瀬では袈裟丸山の中間に位置することから後袈裟を中袈裟と呼び、この峰を柴平山(しばびらやま)と呼んでいる。後袈裟は南面の小中側の呼称であり、登山者が中袈裟の名を隣接するこの峰の名称としたものである。この峰付近が袈裟丸山で最も切り立っており、山頂東面は餅ケ瀬川に面する懸崖となっている。

  奥袈裟

 三つの峰からなり中央の峰に1958mの三等三角点があるが、最高点は北峰の1961mである。国土地理院の山岳標高見直しによって袈裟丸山の高さは奥袈裟の1961mが採用されている。山稜は起伏に乏しく、コメツガの樹林に覆われているため展望が得られないうえに最高点が判り難く、ここまで足を延ばす登山者は少ない。

  法師岳

 袈裟丸連峰北端の峰で標高約1940m。東面に岩壁を屹立する他の峰と違ってシラビソのびっしり生い茂った平らな峰で展望はない。植生もこの峰の南の凸起を境に北はシラビソの密生、南はコメツガの稜線となっている。登山者は袈裟丸連峰の中で最も少なく、僅かに連峰縦走者が通過するだけのひっそりとした峰である。

  男山

 袈裟丸連峰北端の法師岳と六林班峠の間にある突起を男山(1857m)、六林班峠をはさんで北側の突起を女山(1835m)という。この名称は六林班峠が伐り開かれて以後につけられたものである。男山と法師岳の鞍部から六林班峠までは笹の生い茂った稜線になっている。特に男山付近は背丈を超える笹の斜面で踏跡は全くなく、袈裟丸連峰縦走路で最も苦労する区間である。頂上はコメツガとシラビソの疎林の下生えに笹がびっしり生えている。小さい突起で特にもないので多くの人は通り過ぎてしまう所だ。

 
 二 登山コース

 袈裟丸山の登山コースとしては前袈裟から東に延びる県界尾根、後袈裟から西南に派生する郡界尾根がよく整備された一般ルートとなっている。県界尾根登山道に接続する折場登山口からの道は首都圏自然歩道として整備されており、家族向きのコースとして賑わっている。六林班峠への連峰縦走路や二子山経由の登路などは登山道が整備されておらず藪に慣れた経験者向きのルートであり、人の訪れは極めて少なくかつてのような秘峰の雰囲気を味わうことができる。一般の登路以外に小中川や餅ヶ瀬川を遡行するルートも採られるが、これらは地図の読解力とある程度の遡行技術を要する人向きの登路であり沢登りの対象である。
所要時間は一般の人を基準に若干の余裕を持たせたが、人によって多少の差が生ずることはやむをえない。また、休憩時間は含んでいない。

    1 首都圏自然歩道(関東ふれあいの道)

 首都圏自然歩道(別名関東ふれあいの道)は全国をつなぐ長距離歩道の一つで全長1667km、144のコースで関東地方を一周する。各コースにはそれぞれの土地にちなんだ愛称が付けられており、首都圏に残る自然や歴史・文化遺産にじかにふれることを目的にしている。袈裟丸山周辺では「大滝へのみち」と「寝釈迦のみち」がある。  

   大滝へのみち

 小中の追付橋を起点に大滝までの7.4kmの道である。追付橋からむれ杉を見て林道小中西山線を行き、大滝トンネルを抜けてから遊歩道に入る。けさかけ橋からは大滝の壮大な景観が眼前に現れる。新緑や紅葉の頃は特に素晴らしい。周囲には樹木の名札やあずまやが整備されている。

   寝釈迦のみち

 わたらせ渓谷鉄道の沢入駅から寝釈迦・賽ノ河原を一周して戻る20.4kmの道である。沢入駅から大澤寺を経て林道小中西山線を行き、西山の分岐を林道塔ノ沢線に入る。林道終点から袈裟丸山登山道となり、塔ノ沢に沿った道を行くと寝釈迦・相輪塔がある。さらに登り賽ノ河原に出ると視界が開け袈裟丸山の堂々とした姿を望むことができる。すぐ南のつつじ平には展望台が作られている。花期にはアカヤシオやレンゲツツジの花が咲き誇り燃えるような真赤な色に染まる。ここから尾根道を下り再び林道に出る。登り口には休憩用のあずまやがある。林道を下り沢入駅に戻る。

 


   2 一般向きコース

   県界尾根から前袈裟

 表登山口の沢入から県界尾根を経由して前袈裟山頂に至るこのコースは高原状の明るい尾根道を辿るもので、展望が優れており初めて袈裟丸山に登る人には最適である。特にヤシオツツジやレンゲツツジの咲く晩春から初夏にかけてか秋の紅葉期を勧めたい。
 自動車で塔ノ沢林道終点まで入る人が多いが、他の場所に下山する場合はわたらせ渓谷鉄道沢入駅が起点になる。駅から橋を渡って国道に出て大澤寺の脇から林道小中西山線に入る。分岐点には「袈裟丸山・寝釈迦」の道標がある。沢入西の集落を経て高原状の台地に出る。林業用の休憩所に使用されている丸太小屋を右に見ると林道が分岐する。ここまで国道の分岐から約三kmである。「袈裟丸山」の指導標に従い右の塔ノ沢線に入る。右下の塔ノ沢には名瀑不動の滝がある。塔ノ沢線分岐から1.3kmで登山口の駐車場に着く。駐車場から三百mは工事用の作業道が付けられている。
 終点から遊歩道の橋を渡って塔ノ沢の右側に出る。この道は「関東ふれあいの道」になっておりよく整備されている。この付近の塔ノ沢は最近治山堰堤が連続して築造され、すっかり変わってしまった。堰堤の上は花崗岩の巨岩がごろごろした中を水が勢いよく流れている。この沢伝いの道は樹が生い繁って日が差し込まないので夏でも涼しく快適である。沢を左右に渡りながら行くと沢が二つに分かれその間の斜面を登りつめるとベンチがあり、寝釈迦の解説板が立っている。左の岩場を登ると頂上に寝釈迦が刻まれている。全長約四m、頭を南西に向けて横たわっている。塔ノ沢の対岸に向き合っている岩塔が相輪塔で上部が大きい不思議な形をしている。この岩塔は花崗岩が節理で剥離して一部が残ったものである。基部には九体の石仏が祀られている。うち一体は相輪塔の中段にある。
 ここからさらに沢伝いに道が続いている。この道は首都圏自然歩道にされる際に整備されたもので登山道には不釣合なほどである。塔ノ沢源流沿いに高度を高めて行くと辺り一帯はカラマツ林になり、避難小屋がある。すぐそばには水場があり、ここに泊まって翌日ゆっくりと袈裟丸の峰を目指すのもよい。沢を離れ丸太で階段状に整備された道を登ると砂礫の露出した尾根に出る。
 ここが賽ノ河原で袈裟丸火山から噴出した安山岩が露出して裸地になっている。ここで初めて袈裟丸連峰が雄姿を現わす。前袈裟から奥袈裟にかけて鋸状に峰を連ねた山容を見ると誰しも登高意欲が湧き起こってこよう。首都圏自然歩道を南に分岐してここからは従来の登山道を行く。まもなく二子山からの県境稜線と合流する。尾根上は伐り開かれて防火線になっている。眺望は広大で北に皇海・鋸・庚申・錫・日光白根・男体などの山々、東に前日光高原、西に赤城山の雄大な姿を真近に望むことができる。小さな突起を二つほど越えると小丸山頂に着く。ここからの袈裟丸連峰の姿は餅ヶ瀬川源頭に岩壁を連らね圧巻である。
 小丸山から西に尾根を下って笹の鞍部に出ると小丸山避難小屋がある。小屋は鋼製の蒲鉾型で五人も入れば一杯になってしまうほどの大きさである。袈裟丸連峰縦走や奥袈裟を目指す際の根拠地として使用することができるが、床がなく虫の住処になっていて不快なのであくまで緊急用として考えた方がいい。
 前袈裟の登りは深い笹漕ぎだったが、現在は笹が伐り払われて歩き良くなっている。尾根の緩い起伏を越えるといよいよ最後の急登である。右手に押溜沢源頭のガレを見ながらダケカンバを交えたコメツガの樹林帯の急斜面を登りつめる。緩やかな笹の尾根に出るとまもなく前袈裟の山頂である。ダケカンバとコメツガの木立に囲まれた山頂は広々として一等三角点が置かれているだけあって袈裟丸連峰の頂の中で最も展望に恵まれている。ゆっくり休んで景色を楽しもう。
 下山は往路を戻るか北に八反張の鞍部を越えて後袈裟山頂に出て西に派生する郡界尾根登山道を下るのが一般的だ。

[所要時間]
沢入駅(50分)塔ノ沢林道分岐(30分)林道終点(45分)寝釈迦(50分)
賽ノ河原(50分)小丸山(1時間)前袈裟

  折場登山口から賽ノ河原

 林道小中西山線の開通に伴って作られた登山道でその後首都圏自然歩道に指定され立派な遊歩道になっている。
 国道122号から林道小中西山線に入り約3km点で塔ノ沢線を右に分岐するが、ここは道なりに左を行く。林道は尾根を乗り越し小中川上流の山腹を等高線沿いに付けられている。周囲はすっかり伐採されて山肌がむきだしになっている。国道の分岐から約10km、林道が尾根を乗り越す地点が折場登山口である。ここには十数台の駐車が可能だ。「関東ふれあいの道」の大きな看板と新しい丸太造りの休憩舎・便所が設置されている。
 登山道はここから尾根伝いに付いており、丸太の階段で始まる。笹が幅広く刈られており歩き良い。登山道のある頂稜だけを残して尾根の両側とも伐採されて跡は一面のミヤコザサの斜面になっている。眺望が開けると左に前袈裟の山頂が姿を現わす。振り返れば黒檜山を中心にした赤城山が雄姿を見せている。
 途中、標高1370m付近に唯一の水場がある。以前の道は水場を渡って沢伝いに付いていたが、現在は尾根をそのまま登る。シラカンバが点在するミヤコザサの斜面を登ると傾斜が弱まりカラマツ林になる。登りきって稜線に出た所がつつじ平だ。ここはレンゲツツジを始めツツジの名所になっている。六月中旬がレンゲツツジの開花期だが、植生が変化して急激に減ってしまった。丸太造りの展望台に登れば目指す袈裟丸連峰が四つの峰を連ね屏風のように聳えている。
 すぐ先が賽ノ河原で砂礫が露出し、岩がゴロゴロしている。弘法大師の伝説を記した案内板と江戸時代のものらしい風化した地蔵尊が立っており、周り一面に積石がある。山上のこの不思議な景色を見た昔の人がここに現世と来世の境にある賽ノ河原を考えたのも無理はない。この先にも同じような場所があるが、火山のため土壌の層が薄く風衝地になっているのでこのような砂礫地になったものである。ここで右から塔ノ沢登山道が合流する。

[所要時間]
折場登山口(50分)賽ノ河原

   郡界尾根から後袈裟

 林道小中新地線から旧勢多郡と旧利根郡の郡界尾根を辿って後袈裟に至る道は袈裟丸山頂稜線への最短コースである。昔から根利から郡界尾根を経て後袈裟まで踏跡があったが、小中側から郡界尾根までは道がなく道ができたのは四十年ほど前のことである。それまでは登山口までの距離が長いうえに藪漕ぎを強いられるので一般向きとはいいがたかった。樹林帯の見通しの利かない地味な道で登山道開設後も案内書にも余り紹介されず静かなコースだったが、林道小中新地線が開通してから登山者が急に多くなった。現在は笹が刈り払われて快適な道になっている。
 国道122号の小中橋から左折し県道船笹神戸停車場線を追付橋に達する。ここまで小中駅前から村営バスが通じているが、時間帯が通学主体なので登山に利用するには事前に良く調べておくことが必要である。追付橋から林道小中西山線に入る。この谷最奥の下畑の一軒家を左に見て小中川の右岸山腹に付けられた林道を行く。大滝トンネルを抜けると林道が二つに分岐する。手前右の駐車場から大滝へ遊歩道が通じている。
 大滝は小中川本流に懸かる落差40mほどの滝で、両岸が切り立っており林道上からは見ることができない。遊歩道のけさかけ橋上から全貌を見ることができ、新緑や紅葉の頃は素晴らしい。滝の周辺はクリ・ミズナラを主とした天然林で県の自然環境保全地域に指定されており、樹木の標識や便所が設けられている。
 大滝を見たら左の小中新地線を進もう。林道が小中川から左に逸れて200mほどの地点が郡界尾根の登山口だ。5〜6台ほどの駐車余地があり右に「袈裟丸山」の標識が立っている。登山道は小さい枝尾根に付いており、大きな露岩の脇を登ると郡界尾根に出る。分岐には「二〇−五」という標識がある。この付近は広い笹原になっており八重樺原と呼ばれている。昔はシラカンバの木立の美しい原だったが、すっかり伐採され登山道の周りの僅かなシラカンバ林が当時の面影を残すのみである。根利側はカラマツが植林されているが、小中側は沢底まで一面の笹の斜面で明るく開けている。他の木の成長に伴い、陽樹のシラカンバ林は消滅する過程にある。
 八重樺原上部の三角点から上は尾根の背を残して伐採され眺望が開けている。行く手には前袈裟・後袈裟の頂が双耳峰のように並んでいる。登るにつれて落葉広葉樹林からコメツガを主とした針葉樹林に変わり針葉樹独特の芳香がしてくる。右手が崖になった場所は樹林が切れて小中川本沢と前袈裟・後袈裟の頂を真近に見ることができるので見逃がさないようにしたい。
 この先の標高1500m付近に石の祠がある。この石祠は小中山一帯の山林を所有していた松島与左衛門という人が山仕事の安全を祈願して江戸時代末期に造立した山神で、袈裟丸山の信仰と関連はない。郡界尾根はツツジが多く五月下旬の花期にはアカヤシオが咲き乱れ、さながら花のトンネルを潜るようである。また、尾根上部はアズマシャクナゲの大群生地で六月上旬の開花時は山が真っ赤に染まり実に見事である。
 コメツガの樹林帯を登りつめると新地川方面からの顕著な尾根に出る。地形的にはこの尾根が主尾根で郡界尾根はこれから派生する支尾根である。ここから右に折れ、標高差50mほどの登りでコメツガの木立に囲まれた静寂な後袈裟山頂に着く。後袈裟は標高1908m、三角点はないが営林局の図根点標石がある。南には前袈裟の明るい円頂、少し北に行くと木立の間からびっしりと黒木が生い茂った中袈裟・奥袈裟の眺望が得られる。下山は前袈裟に出て県界尾根を下るか往路を戻るのが一般的である。

[所要時間]
 登山口(20分)郡界尾根(20分)八重樺原三角点(50分)石祠(1時間)後袈裟

 3 藪漕ぎのあるコース

  前袈裟南面の尾根

 通常は登路になっていない尾根を登高するのも興味深い。小中川流域からの登路として次のルートが考えられる。前袈裟から南東に派生し白倉沢と弓ノ手沢を分ける南東尾根、前袈裟から南西に派生し小中川本沢と下ノ滝沢を分ける南西尾根、南西尾根上部で南に派生し下ノ滝沢と弓ノ手沢を分ける南尾根などがある。いずれも林道小中西山線か小中新地線から尾根に取り付く。下部は笹や藪が繁って歩き難いが、途中から低い笹の尾根になり、前袈裟山頂まで快適な尾根の登高を楽しめる。
 南東尾根は1312m三角点南の末端付近から取り付くか、林道が右岸支流を渡る橋付近から取り付く。南尾根は弓ノ手沢の橋の手前から取り付くと良い。南西尾根は郡界尾根登山口方面に林道が回りこむ手前で小中川本沢を渡って取り付くと良い。いずれも2時間半から3時間程度で前袈裟山頂に達する。笹藪が残雪に埋まる残雪期も好ルートである。

  二子山

 二子山(1556m)は前袈裟から東に延びる県界尾根上にあり、円錘形の二つの峰が並んでいる。かつての二子山は草山で足尾側からいくつか登山道があったが、カラマツが植林されてからは登る人も殆どなく道も荒廃してかすかな踏跡が残っているだけである。「下野国誌」にも記されており、山菜採りや山遊びなど足尾の人達に親しまれていたが今は登山者からも忘れ去られた山である。わたらせ渓谷鉄道の原向駅付近から美しい円錘形の双耳峰を見ることができる。二子山は西の峰は接触変成を受けた粘板岩、東の峰は花崗岩から成っている。チョッケン岩は突出した三角錐状の花崗岩の露岩でその形状からおそらく「直剣岩」の意だろう。カラマツが植林される前は餅ヶ瀬集落からこの岩が良く見え二子山の象徴だった。
 二子山へは寝釈迦手前の二俣を右に入るのが最短路である。県界まで踏跡が付いており、山頂(西峰)のすぐ東に出る。西峰の山頂は一面笹に覆われた静寂な頂で三角点がポツンとあるだけだ。カラマツ林に遮られて眺望はない。道はないが笹の斜面を適当に登り東の頂を目指す。山頂付近にチョッケン岩がある。山頂から県界尾根を西に辿って登山道に出れば賽ノ河原経由で周回できる。
 西の頂に戻って県界尾根を西に辿る。低いミヤコザサの中に踏跡が付いており、緩い登り下りを繰り返すと賽ノ河原・小丸間の登山道に出る。これから先は県界尾根から前袈裟の項を参照されたい。

[所要時間]
 二俣(50分)二子山頂(30分)県界尾根登山道 

 袈裟丸連峰縦走(足尾側)

 後袈裟から北は道が整備されておらず登山者は少ない。最高峰の奥袈裟を往復する登山者がたまにいるが六林班峠まで縦走する人は更に少ない。特に奥袈裟・六林班峠間が藪と笹が深く苦労するが、それだけに深山の気を宿し連峰縦走はかつての秘峰の雰囲気を味わうことができる。地図と地形から針路を見極める能力と藪漕ぎに馴れた経験者向きのコースである。沢入から県界尾根を登って前袈裟から北上するか逆に六林班峠から南下する場合が考えられる。北上の場合は賽ノ河原避難小屋か小丸山避難小屋に泊まることになるので寝具を持参する必要がある。南下する場合は庚申山荘に泊まって翌日軽装で縦走できる利点があるが、ここでは県界尾根から袈裟丸連峰の堂々たる姿を見て北上するコースを紹介する。 前袈裟から北にシャクナゲの稜線を下降し八反張の鞍部に出る。右は餅ヶ瀬川、左は小中川に切れ落ちている。ここは稜線が崩壊してキレットになっている。以前は馬の背状の痩せ尾根を跨いで越える難所だったが、現在は西側に道が付けられている。鎖も付けられており、難なく通過できる。八反張とは昔ここでツグミを捕るため網を八反張ったことから名付けられたものである。
 八反張からコメツガ林の急登になり、笹が現れると後袈裟の狭い山頂に飛び出す。後袈裟から道はかぼそくなって深い原生林の急斜面の下りとなる。鞍部から一気に登りつめ中袈裟の狭い頂に立つ。袈裟丸連峰の稜線では中袈裟付近が最も切り立っており、山頂東面は目がくらむほどの懸崖となって餅ヶ瀬川に一気に切れ落ちている。餅ヶ瀬ではこの峰をシバビラ山、後袈裟を中袈裟と呼んでいる。
 コメツガの樹林帯を下って広い笹の鞍部に着く。縦走路で幕営できるのはここだけである。笹の中で道を失うが奥袈裟への登りにかかると笹が低くなり再び踏跡を見い出す。ここから奥袈裟南峰にかけていくつか小さい鞍部があり、餅ヶ瀬川源頭に切れ落ちる東面の険しいルンゼを覗きながら行く。南峰からいったん下って中央峰に登る。中央峰は起伏に乏しくコメツガの樹林に覆われて展望がないので気をつけていないと通り過ぎてしまう。三角点とブリキの山名板があるので確認しておこう。この頂は深い針葉樹林に包まれ独特の芳香がして深山の雰囲気が伝わって来る。 奥袈裟は三つの頂からなり次の北峰が最高点だ。三角点・標高点はないが国土地理院の山岳標高見直しによってこの頂の標高1961mが袈裟丸山の標高とされている。北峰の下りは迷い易く注意しないと西寄りに行き過ぎてしまう。笹の茂った鞍部を越えて法師岳の南峰に着く。この頂を境に樹相がコメツガ林からシラビソ林に変わる。ところどころシラビソの立ち枯れのある稜線を下降すると笹の鞍部に出る。ここが小法師尾根の分岐点である。かつては小法師尾根から草刈スキー場を経て足尾町の原に至る道があったが、今は尾根上部が不鮮明になっているので緊急時の下降路としては適さない。
 法師岳山頂はシラビソがびっしり生い茂った笹の頂で何の標識もないのでうっかりすると通り過ぎてしまう所だ。展望は全くないがその静けさは格別である。袈裟丸連峰北端の寂峰法師岳を辞し北の小さい突起から急斜面を下る。下りきった鞍部から男山まで深い笹の稜線になっている。背丈を超える深い笹原で踏跡が全くなく、しゃにむに笹を漕いで突破する。この区間は縦走路で最も苦しい場所だ。
 男山から六林班峠までも笹の稜線が続く。途中で稜線が西に折れるので迷い易い。六林班峠に出てやっと苦しい笹漕ぎから解放される。六林班峠は袈裟丸山と鋸山の鞍部で標高約1810m。足尾銅山に用材を供給するため砥沢に設置された根利林業所と足尾を結ぶ峠で1939年に根利林業所が廃止されて以来廃道になり、現在は峠と庚申山荘間が登山道として利用されている。
 峠から庚申山荘までは鋸連峰南面の山腹をからむしっかりした道が続いており、ダケカンバの疎林と笹原が美しい。境沢・三才沢を横切り等高線沿いの峠道を辿る。振り返ると前袈裟から法師岳までの袈裟丸連峰が長蛇のごとく連なっている。秋にはカエデが赤や黄色に染まってことのほか美しい。樺平を経て庚申山から延びる天下見晴らしの尾根を乗り越すとすぐ庚申山荘である。
 庚申山荘からは水面沢に沿って庚申山登山道を下る。昔からの信仰登山の道で現在は首都圏自然歩道になっている。一の鳥居で林道に出て庚申渓谷沿いに銀山平に至る。ここから徒歩でわたらせ渓谷鉄道の原向駅まで1時間半弱である。通洞からタクシーを呼ぶこともできる。

[所要時間]
 前袈裟(40分)後袈裟(30分)中袈裟(1時間)奥袈裟(1時間)法師岳(1時間30分)六林班峠(2時間)
 庚申山荘(1時間40分)銀山平 

   

三 袈裟丸南面の自然・民俗・史跡

 1 小中川・押出川流域の自然

 小中川は前袈裟から後袈裟を水源とし袈裟丸火山体南面を開析して渡良瀬川に注いでいる。急峻な源流部から上流部の緩い流れを経て中流部の深い峡谷と続き、下流は追付橋付近から川に沿って集落が散在する。上流まで林道が延び源流部を除き堰堤が連続して築造され樹林が伐採されたところが殆どであり、自然林が残っているのは県自然環境保全地域に指定されている部分だけである。川に沿って付けられた道路は弓ノ手沢合流点で分岐し、東の小中西山線が沢入まで、西の小中新地線が根利まで通じている。流域には袈裟丸随一と称せられる小中大滝を始めいくつかの名瀑が懸かっているが、滝の傍らに不動尊を祀り「不動滝」と名付けられた滝が多い。
 押出川は袈裟丸南東面を水源として渡良瀬川に注ぐ比較的小さな川で、下流で塔ノ沢とバラ沢に分かれる。林道小中西山線がバラ沢に沿って付けられ小中川上流に通じている。二子山・賽ノ河原を水源とする塔ノ沢には標高八百m付近まで林道塔ノ沢線が付けられている。バラ沢は堰堤が連続し流域全体が杉の人工林になっているが、塔ノ沢上流部は美しい花崗岩の流れが残っている。
 地元には「小中の山は尾根歩け、沢入の山は谷歩け。」という諺がある。これは小中川と押出川の谷の地形を端的に表した諺で、小中川は谷が深く滝や淵のため歩行が困難だが、押出川は明るく開けているので沢伝いに容易に通行できることを言ったものである。

 2 流域の名勝

  八重樺原

 郡界尾根が標高1300〜1400m付近で緩い高原状になった場所で以前シラカンバの林が美しい景色をなしていたことから名付けられたものである。現在は登山道の周囲を除き伐採され、その後に植林されたカラマツ林となっている。尾根上に幅30mほど残されたシラカンバが当時の面影を伝えているが、植生の遷移によりやがて消滅する過程にある。

 不動滝(三滝)

 小中川左岸支流に懸かる滝で県道船笹神戸停車場線のすぐ上にある。滝下左には不動尊を祀ってある。落差は約20mで三段になっていることから三滝(さんたき)とも呼ばれている。

 小中の大滝

 小中川本流と弓ノ手沢合流点下流約二百mの地点にある。両岸は切り立っており林道上からは見ることができない。大滝隧道北側出口のすぐ右下に落口がある。本流左岸沿いに遊歩道が整備されており全貌を見ることができる。この道は首都圏自然歩道の「大滝へのみち」となっており、追付橋から大滝までは3.7kmである。落差は公称九六mとなっているが実際はその半分以下である。滝の周辺はクリ・ミズナラを主とした天然林で周辺30haが県自然環境保全地域に指定されており、遊歩道や樹木の標示板、あずまやなどが設けられている。
 1993年に大滝を正面に見る位置に大きな吊橋が懸けられた。この橋は、弘法大師が袈裟をかけたという袈裟丸山名由来の伝説に因み「けさかけ橋」と名付けられ、新たな観光名所になっている。


 下ノ滝沢の大滝

 小中川左岸支流の下ノ滝沢に懸かる滝で二段からなる。落差は上段5m、下段20m。下から見上げると下段しか見えない。美しい滝で下ノ滝沢の名称はこの滝から名付けられたものと思われる。下の滝林道終点から沢を遡行して約四百mの場所にある。周辺の伐採のため落口には伐木搬出用の索道が通り、滝壷には流木が多量に積み重なって景観を損ねているのが残念である。

 大野の不動滝

 白倉沢支流オオノ沢の標高1000m付近にある。岩壁を滑るように流れ落ちる美しい滝で二段からなり落差は約30m。オオノ沢の名は以前大野という集落があったことからきているという。滝の右岸中腹落口近くの岩壁下に不動尊が祀られている。

 塔ノ沢不動滝

 塔ノ沢随一の滝で林道塔の沢線が小中西山線と分岐してまもなく林道右上の大山祇之命の石碑から急斜面を下ったところにある。花崗岩からなる二段のナメ滝で落差約15m。水量があるので見応えがある。車で林道を通ると見過ごしてしまうが傍らには不動尊の大きな立像があり一見の価値がある。

 般若の滝

 塔ノ沢にかかる滝で林道の終点近くにある。落差は10m程度にしかすぎないが、美しい滝である。塔ノ沢林道を注意して進むと左側に見える。

 不動滝(御光滝)

 袖丸から東沢(袖丸沢)沿いの林道を行き最奥の集落萩平に出る。集落から旧林道を10分ほど歩き終点付近から左の山道に入り10分ほど辿ると左に大きな滝がある。この滝は袖丸沢の右岸支流に懸かり、二段で落差25m。朝日に輝くので御光滝とも呼ばれている。左下には不動尊が祀られている。萩平には以前マンガン鉱山がありこの滝付近まで鉱山用の歩道があったが、一部崩壊して通行できないので滝に行くには途中から山腹を巻く踏跡を辿る。

 平仁手沢の不動滝

 追付橋から平仁手沢沿いの林道平仁手支線を入って3.7km地点で橋倉橋に着く。ここから橋がかかっている沢を15分ほど遡ると大きな滝がある。五段に落下するナメ滝で落差30mの雄大な滝である。左下の岩棚に不動尊が祀られているので不動滝と呼ばれている。この滝に至る道はなく沢伝いに行く。

 箱淵・蛇ヶ淵

 追付橋の直下で小中川は両岸が狭まって函になっている。滝が懸かっている上流部を箱淵(はこぶち)、その下の大きな淵を蛇ヶ淵(じゃがふち)という。蛇ヶ淵は日が射し込まないので薄暗く大蛇が潜んでいたという伝説でもありそうな場所だ。険しい地形なので函の中に下りることはできないが、橋の下流左岸の斜面から中を覗くことができる。

 3 小中・沢入の史跡

 鳥海神社

 大蒼院に隣接し一段高い場所にある。祭神は阿倍宗任。伝説によれば、前九年の役で敗れた阿倍一族が京都に俘慮として連行される途中で黒川郷(現在の黒保根村・東村)を通過したさいその一族の一部をこの地にとどめた。その一族のうちの鳥海弥三郎という人物が黒川郷を支配し、その配下の松島長三右衛門が小中を担当していた。鳥海神社はかつて松島家の屋敷神であったがいつの間にか小中の鎮守様となったという。
 阿倍宗任は別名を鳥海三郎といい鳥海弥三郎とは別の人物である。鳥海神社の名称は阿倍宗任が祭神であることから名付けられたものと考えられる。戦前は東村の村社であった。

 大蒼院

 曹洞宗の寺院で山号を福聚山という。本尊は釈迦無尼仏。1682年(天和二年)の創建で境内には庚申塔や石仏が多くある。本堂には「文政一二年(1829年)八月吉日作 花輪宿石原常八」の銘が入った彫刻「南泉斬猫(なんせんざんみょう)」「華亭の船子和尚(かていのせんしおしょう)」が掲げられている。これは仏教説話を木彫りであらわしたもので見事なものである。境内には樹齢380年といわれている紅キリシマツツジがある。他に比類を見ない大きな見事なツツジであり、四月から五月にかけて真紅の美しい花を咲かせる。キリシマツツジはツツジ科の常緑低木で高さ1〜5m、葉は倒卵形で互生し表面に光沢がある。霧島山付近に野生することから名付けられた。

 観音堂

 鳥海神社の西隣に石の観音堂がある。傍らに天保一一年の墓があることから廃寺の跡であることが判る。寺は鳥海山宝蔵院といい江戸時代末期頃に廃寺になったと考えられる。宝蔵院は一八世紀に渡良瀬川流域の札所「東三三所」の一つとされ、袈裟丸山を詠んだ御詠歌がある。江戸時代以前の文献に袈裟丸が登場するのは珍しく、貴重な歌である。

 にはの石 こけの衣をきるままに 雪をかけたる 袈裟丸のたけ

 大澤寺

 曹洞宗の寺院で17世紀に格山鑑逸和尚が開山。本尊は釈迦牟尼仏。境内に庚申堂があり、祀られている庚申像は岩戸観音にあったものを明治時代に移したものである。塔ノ沢にある寝釈迦は大澤寺で祀っており、絵馬が奉納されている。沢入地区では最近まで大澤寺の住職が中心になり四月八日に寝釈迦と賽ノ河原に登っていたが現在は行われていない。

 十二社

 沢入西地区の林道小中西山線沿いにあり、集落の人々によって祀られている。祭りは旧暦の10月12日であったが現在では11月12日に行っている。沢入にはこれを含め十二様を一二社祀ってあったというが現存しないものもある。昔は毎月一二日に祀った。伐採をする人はこの日は山の神様の日なので仕事をしなかったという。十二様を信心するとお産が軽くなるとも言われている。道しるべの役目を果たしていたとも考えられる。

 十二山神社

 追付橋の先から林道小中支線に入った尾根上にあり下畑十二社と呼ばれている。小中川本流の最奥にある一軒家の上の尾根上に位置している。十二様は山の神で山中のいたるところにあり、小中だけで48社あった。竹で作った二本一組の御神酒スズを12組奉納する。山仕事の安全を祈願して毎月12日に祀っていたが現在は行われていない。

 板碑

 大蒼院に板碑(いたひ又はいたび)が保管されている。住職によるとこの板碑は隣接する宝蔵院跡地の観音堂に建てられていたものではないかという。板碑は中世特有の板状の供養塔で全国的に分布している。形態は長方形の板状で頂部を山形としその下に二条の線を刻み上部に種字(仏を表す梵字)を彫り下部に紀年銘を刻むのが一般的である。この板碑は高さ52cm、幅25cm。紀年銘は現在判読できないが過去の調査結果によると1356年(文和五年)の造立である。上から天蓋、弥陀三尊(阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩)の種字と蓮華座・紀年銘が刻まれている。三尊のうち主尊種字は明瞭であるが脇侍種字は二つとも不鮮明である。

 タットキ不動尊

 暮坪の小中川沿いにある。タットキ不動尊は急病に効能のある不動様とされていた。1947〜8のカスリン・キティの洪水で流されてしまったが、1983年に新しい不動尊が以前より高い位置に造立された。この下にオサワ淵がある。元の不動尊の造立年代は不明であるが流域に住む人々は子供の急病などの時に治癒を祈願したという。


 三滝不動

 三滝の下に祀られているので三滝不動と呼ばれている。「享保十六歳五月吉日」とあることから1731年の造立である。隣接する不動尊は「天文十五年午十一月吉日」と記されており、小中周辺では最も古い石仏である。磨減して銘文は全文判読できないがかろうじて1546年の造立であるが判る。毎月28日が不動尊の祭りで現在でもお参りする人がおり信仰の対象になっている。

 六地蔵

 足越にあり、六地蔵を浮彫りにした石碑である。かなり磨減しているが「宝暦乙亥天十月吉日」とあり、1755年の造立と判る。六地蔵は寺院や墓地の入り口などによく見られる。地蔵が六道を輪廻転生する衆生を救済する思想から六つの分身を考え六地蔵信仰が広まった。六地蔵は丸彫りの六つの地蔵が並んでいるもののほかにこのように一石に六体並べて彫ったものや石幢の六面に刻んだもの、角柱に三体づつ配したものなどがある。

 大山祇之命

 林道小中西山線から塔ノ沢線に入ってまもなく林道の右上にある。直下には不動尊、その下には塔ノ沢の不動滝がある。大山祇之命は山の神で山仕事をする人の護り神である。「明治二五年二月二〇日炭焼有志連中」とある。この石塔は炭焼きの人が作業の安全を願って祀ったものであり、かつて袈裟丸山麓では炭焼きが重要な産業であったことを示している。

 塔ノ沢不動尊

 塔ノ沢不動滝の右岸岩壁上にある。高さ1.46m、幅0.55m。袈裟丸山麓では最も大きい立像で施主七人の名が刻まれている。「明和五年戊子六月」とあることから1768年の造立である。不動明王は大日如来の教令輪身(変身)として行者を守護する仏である。

 萩平の不動尊

 不動滝の左下に不動尊の石像が祀られている。34cm×28cm、厚さ16mの台座の上に高さ43cm、幅20cmの刻像塔が鎮座している。「明治三十三年四月廿八日之立 成田山」と記されている。1900年の造立で成田山の銘があることから成田山新勝寺の不動尊を勧請したものと考えられる。この石像は不動尊の祭日である28日に造立されている。ここに至る道は崩壊し今はもう祀る人もいない。

 岩戸観音

 押出川右岸の中腹岩壁にあり、高さ3m、幅3m、深さ5mほどの花崗岩の岩窟。弘法大師が岩穴に宿った際に霊夢を見て押出川(板倉川)の中にあった庚申像を発見し引き上げてここに祀ったという伝説がある。庚申像は明治になって大澤寺の庚申堂に移された。すぐ近くの押出の集落(五軒)では1月7日と4月25日に赤飯などのお供えものとともに梵天を奉納して祀っていたが最近は行われていない。地元では「岩戸様」と呼んでいる。


 相輪塔

 寝釈迦の対岸にあり、高さ10数m、幅3m程の自然石で上部が大きく下が細くなっている。沢入花崗岩が節理で剥離しこのような不思議な形になった。塔の根元には九体の石仏が祀られている。高山彦九郎の「沢入道能記」によるとこの石仏が祀られたのは彼が訪れた江戸中期らしい。

 寝釈迦

 塔ノ沢が西に屈曲する標高1150m付近の岩上にあり、全長3.8m、最大幅1.25mで頭を南西に向けている。造立年代は不明であるが、1782年の高山彦九郎の日記「沢入道能記」に近年の作と記されていることから江戸時代中期と考えられる。日光を開山した勝道上人や弘法大師の作との伝説がある。また、足尾銅山で死んだ囚人を弔うために彫られたという言い伝えもある。東村指定重要文化財になっていたが、1993年に群馬県教育委員会により「石造釈迦涅槃像」として県史跡に指定された。

 庚申塔

 柏ヶ谷の県道船笹神戸停車場線の路端に自然石に文字を彫った庚申塔が二基ある。大きい方の一基は地上部が高さ80cm、幅60cm で1783年(天明三年)7月の造立。庚申塔は庚申供養塔の略で庚申信仰の同信者の集まりである庚申講の人々によって造立される。庚申信仰は庚申の日に集まり庚申待を行うもので集落単位で行うことが多かったが、現在は殆ど行われていない。袈裟丸山麓でも庚申の文字を彫った文字塔と青面金剛の像を彫った刻像塔が多数分布している。これらの殆どは江戸時代の造立である。

 むれ杉

 追付橋のすぐ西の斜面上にある。幹が枝状に分かれ、さらに枝が密に分岐して全体が丸くなっており、美しい杉である。孤立した大きなむれ杉は日本でも珍しく、東村の天然記念物に指定されている。地元では「クマン杉」と呼ばれることもある。追付橋は小中川中流にかかっている橋であり、人里から山道になる地点である。昔の旅人がこの橋で一休みしているうちに後ろから来た者が追いつくところから「おっつけばし」の地名がつけられたものと考えられている。この橋の下流の集落名も「追付橋」である。

 馬の供養塔

 大蒼院境内に馬の像を刻んだ珍しい供養塔がある。「如是畜生 発菩提心 □子八月」と記されており、農耕用に飼育していた馬が死んでその冥福を祈念して造立したものと考えられる。この隣にも文字を刻んだ供養塔が並んでいる。いずれも造立年代は不明だが江戸時代のものだろう。馬は重要な労働力であり家族の一員でもあったので死馬の冥福を祈る供養塔は各地に建てられており、近くの東沢沿いにも同様な文字を刻んだ供養塔がある。このほかにも大蒼院境内には石造物が多数あるが、多くは他の場所から移設されたものである。

 平仁手の不動尊

 不動滝の左下の岩棚に不動尊の石像が祀られている。高さ65cm、幅35cm。正面及び側面には銘文は刻まれておらず、像立年代は不詳である。不動尊としては珍しくユーモラスな像容である。昔は信仰対象として参拝されていたのであろうが、現在は道も廃れ村人からすっかり忘れ去られてしまった。

 郡界尾根石祠

 郡界尾根上の標高1500m付近にある。この石祠は小中山一帯の山林を所有していた松島与左衛門という人が山仕事の安全を祈って造立したものである。「奉造立山神石宮□□八月吉日」とある。刻字は磨減していて年号は判読できないが、地元の人によると弘化二年か同四年の造立だという。袈裟丸山の信仰とは直接関係ないものと思われる。

 大野の不動尊

 大野沢不動滝の右岸中腹落口近くの岩壁下に祀られている。「安永七戌八月吉日 當村願主 □□□□□」と記されており、西暦1778年の造立。高さ約0.5m。岩壁が庇になっているので風雨に晒され難く、200年以上経過している割りには風化していない。

 平仁手川奥の集落

 小中川下流で右岸から注ぐ平仁手川(ひらんてがわ)沿いには幾つかの小集落がある。行政的には川を境に東が小中、西が花輪となっている。平仁手川最奥が倉本の一軒家。その下流に桜沢の一軒家があったが最近離村した。いずれも林道から歩いて川を渡った西岸の斜面上にある。さらに下流の平仁手は二軒の集落であったが、近年一軒が離村して一軒家となってしまった。これらの集落は小中川流域でも最も不便な集落で離村が進んでいる。

 小中の獅子舞

 毎年九月の第一日曜日に行われる鳥海神社祭で奉納される。12時から神事、午後1時から獅子舞を始める。舞は三頭の獅子が太鼓と笛の音に合わせて行い、道化にヒョットコとオカメが登場する。舞は四つの庭で構成されている。黒保根村湧丸・同村前田原・利根村根利などの獅子舞は小中の流れを受けたものと伝えられている。小中の獅子舞は天保年間に小中の下畑にいた通称権兵衛という人が従来からのものを整備して普及したという。地元では獅子舞を「ささら」と呼んでいる。

四 袈裟丸の渓谷

 袈裟丸の渓谷は記録が少なく未知の魅力があったが、現在は林道が奥まで延び、堰堤が連続して築造されて中腹の森林は殆ど伐採されてしまった。中・下流は林道・堰堤の築造により自然を失い、沢登りの対象は上流だけになってしまった。残された上流は火山特有の脆い安山岩の急斜面、源流は礫岩の急峻な瀑流帯や涸棚になっていることが多い。遡行の興味は少ないが、桐生地域の山として小中川・押出川流域の渓谷を紹介する。滝を直登するか高巻くかによって難易度は異なるが、遡行記録に記載したルートで難易度を付した。

 1 小中川水系

 小中川は前袈裟から後袈裟を水源とし袈裟丸南面を南流し渡良瀬川に注いでいる。本流を始め主要六渓流からなる。県自然環境保全地域に指定されている上流部を除き堰堤が連続して築造され、荒廃し最も自然が失われてしまった流域である。上流部は標高1600m付近から上がコメツガの原生林、その下がミズナラを主とした二次林からなっており、周辺726haが群馬県の「袈裟丸山自然環境保全地域」に指定されている。コメツガ林はよく保存されているがミズナラ林はその多くが近年伐採されてしまった。

   小中川本沢 2級

 弓ノ手沢合流点から上部の小中川本沢は標高1150mまで林道小中新地線が並行し治山堰堤が13基築造されている。上流には堰堤はないものの源流を除いて近年森林が伐採され裸の山肌が続いている。
[遡行記録1]
 小中川本沢は下部が平凡であるが、上部は急傾斜になり一気に稜線に突き上げている。源流部はいくつかに分岐しいずれも遡行価値があるが、ここでは後袈裟山頂付近に源を発する沢と八反張に源を発する沢の遡行記録をあげる。
 本沢の林道終点から沢に入るが周囲は伐採されて以前とはすっかり様相が変わってしまった。渡渉しつつ平坦な流れを行くとやがて広葉樹林の中に入り自然が復活する。標高1560m付近で二俣になり、左の廊下状の沢に入る。ここから沢の様相は一変し廊下の中にナメ滝が連続して標高差300mを一気に稜線まで突き上げている。
 廊下は険悪で稜線まで高巻けるところは殆どないが、礫岩のナメ滝は礫が適当な手がかりになるので快適に登ることができる。チョックストンは右から越す。谷が右へ曲がると再びチョックストンがあるが簡単に越えられる。この上の7mナメ滝は直登が難しく左を高巻くが、取り付きが草付でやや悪い。右に支流を分けた先で二俣となり極端に狭まった廊下をなしている。ここは左の沢に入り三つ連続する急なナメ滝を直登する。断崖に懸かった五m滝は右を簡単に登れる。次の両岩が壁になったルンゼ状のナメ滝は爪の先ほどの僅かな手がかりを頼りにかろうじて登りきる。この上で水が消失し、半円状の壁を二つ乗り越すと郡界尾根上に出る。ここから後袈裟山頂まで五分ほどで着く。

1986年6月
林道終点(1時間20分)二俣(1時間)後袈裟山頂
(注)この記録は相当に早いので五割増しくらいに考えてほしい。

[遡行記録2]
 八反張から小中川本沢目指して急斜面を慎重に下る。しばらく行くとチョックストンを持った10m滝となる。落口の立木を支点に懸垂下降する。この滝は直登できず両岩が切り立っているので下からの遡行は難しい。地元ではその形状からここを薬研(やげん)掘りと呼んでいる。高巻くとすると大高巻きとなる。右岸支流を合わせ、続いて左岸から二つ支流を合流する。その先の2mのチョックストンは立木を支点に懸垂下降する。続く6m滝も立木を支点に懸垂下降し、しばらく下ると標高1560mの二俣に着く。

1993年6月
八反張(4時間10分)林道終点

   下ノ滝沢 2級

 本流との合流点から標高1000m付近までの数百mの区間に九基の治山堰堤が連続しており、その先標高1100m付近で林道下ノ滝支線が山腹から沢に下降している。その上流は下ノ滝沢大滝を越えて殆ど源流近くまで近年森林が皆伐されてしまった。

[遡行記録]
 林道小中新地線の下の滝橋から遡行を開始する。すぐ堰堤となり九基が連続している。堰堤はいずれも近年築造したものである。堰堤が終わると右岸山腹に林道下の滝支線の終点が見える。ここから暫く行くと大滝が現れる。大滝は二段からなり、上段五m下段20mの見事な滝だ。ここは右の溝を登り、左側の岩壁の下を更に登って左を小さく乗り越すと落口に出る。すぐ先に滝が現れる。下段がナメ、上段が垂直で、落差20mほどの滝だ。右の笹の中に踏跡があり簡単に巻ける。この先は平坦な流れとなる。大滝の落口から上は左岸がすっかり伐採されている。沢はいくつか支流を分岐し標高1500m付近で二つに分かれる。水量は右の方が多いが、すぐどん詰まりになり右岸から湧水が滝となって落下しているので、ここは左に入る。
 まもなく左に溶岩流の崖を見ると10mほどのナメ滝が現れる。袈裟丸特有の礫岩のナメで手がかりが小さく崩れ易いのでザイルを付けて登る。10mほどのナメ滝が続くが簡単に登れる。この上で沢が二つに分かれるがいずれも急な悪いナメ滝になっており直登できない。笹を掴んで二つの沢の中間稜に登り左から右沢の滝を巻くと源流になる。小さいガレ場から笹に突入するとすぐ尾根上に出る。この尾根は前袈裟から南西に派生する尾根で笹漕ぎを避け左寄りの樹林帯を登ると前袈裟山頂に出る。

一九九四年六月
下の滝橋(1時間20分)大滝(3時間30分)前袈裟山頂

   弓ノ手沢 1級

 林道小中西山線が並行している下流部に10基の治山堰堤が築造されている。林道が離れる標高950m地点から上流は自然の渓流が復活する。この沢の上流部は樹林に覆われ小中川水系で最も自然が残されていたが、伐採され源流を除いてすっかり様相が変わってしまった。

[遡行記録]
弓ノ手沢は小中川流域で唯一自然が保たれている沢だったが、伐採により森林を剥ぎ取られてしまい遡行価値が著しく減じてしまった。沢筋には伐採された木が散乱し趣を失ってしまったのは残念である。
 林道小中西山線の橋から遡行を開始する。5m滝は右を小さく巻く。連続する3mと7mの滝は右から高巻く。ここを始め下流部は釣人により明瞭な巻き道が付けられている。いくつか小滝を越え、連続する4mと2mの滝をシャワークライムで越すと左岸支流が分岐する。ここから上は皆伐されて丸裸の山肌になっている。8m滝は見事な滝だったが下に伐採された木が散乱して景観を損ねている。この滝は左を直登する。水量比一対一の二俣を左に入ると再び二俣になる。左は悪い滝になっているので右に入る。水が消失し笹と薮を漕ぐと前袈裟の南尾根に出る。尾根を辿って県界尾根登山道に出ると山頂はすぐである。

1993年9月
林道の橋(4時間)前袈裟山頂

   白倉沢

 本流との合流点から林道白倉支線が沿っており、1kmほどで終点になる。この間二つの大型砂防堰堤がある。林道終点から先はオオノ沢とヒライデ沢に分岐する二俣まで白倉沢下流部は深く険しい渓谷になっている。堅いチャートからなる淵と滝が続き小中川水系のみならず袈裟丸屈指の美渓である。
 一方、二俣から上流は堰堤が連続し、袈裟丸で最も荒廃した谷になっている。左俣のオオノ沢は林道小中西山線が右岸山腹に沿い林道が横切る標高1200m地点まで本流に20基の治山堰堤が階段状に連続して築造されている。林道横断地点から上流は自然の渓流が復活するものの上流部で近年樹林が伐採され明るく開けてしまった。
 右俣のオオノ沢(不動沢)は二俣から2kmほどは自然の渓流だが、標高1000m付近にある不動滝を越えると林道小中西山線の横断地点までの1kmの区間に16基の治山堰堤が連続している。林道横断地点から上流は稜線まで樹林は全て伐採され荒廃した渓流と無残な山肌を晒している。

[遡行記録]白倉沢下流部 2級
 白倉林道終点にある大きな砂防堰堤を左から巻いて越す。淵をいくつか越すと豪快な8m滝となる。ここは左を高巻く。白倉沢下流は両岸が切り立ち谷幅が狭いので淵や滝は谷通しに行けず小さく高巻いて越す。いずれも釣人の踏跡が付いている。谷が右に曲がるところは右岸がオーバーハングの大岩壁になっている。ここは岩壁下の踏跡を辿って通過する。豪快な4m滝を越すと淵と小滝が連続し小さな高巻きを繰り返す。その先で連続する三つの滝をいずれも高巻きで越すと二俣になる。
 左俣のヒライデ沢に入る。小滝を三つ越え豪快な六m滝を左から高巻く。しばらく平坦な流れが続くが3mナメ滝の先から堰堤が連続するようになる。途中から左に踏跡を辿って林道小中西山線に出て遡行を終了する。

1991年6月
白倉林道終点(1時間40分)二俣(1時間30分)林道小中西山線

[遡行記録]ヒライデ沢 1級
 林道小中西山線の折場橋から遡行を開始する。橋の先で二俣になっているが左が本流である。沢筋はナメ滝が連続している。5mの顕著な滝を越えると左岸支流の合流点で岩壁に囲まれた廊下になっている。入り口にある二m滝の左の岩をよじ登り、続く2m滝を直登して突破する。この先は易しいナメ滝が連続している。この付近から上は沢筋一帯が伐採され明るく開けてしまった。上部は単調な沢になりそのまま前袈裟の東側に突き上げている。前袈裟山頂部の登りを避けるため源流で右の支流に入る。水が消失し笹を漕ぐと僅かで県界尾根の登山道に出る。

1993年5月
折場橋(3時間50分)稜線(25分)前袈裟山頂

[遡行記録]オオノ沢 1級
 オオノ沢は不動滝から上部は堰堤の連続になり、遡行価値はないので不動滝を越えた地点で遡行を打ち切り林道小中西山線に出るのがよいだろう。
 白倉沢二俣から右俣のオオノ沢に入る。二段7mナメ滝に続いて豪快な二段八m滝が現れるが、その後は平凡な流れがしばらく続く。沢が右に曲がると廊下になり、中にある小滝を二つ越えると落差30mの不動滝が現れる。左を高巻いて登って行くと不動滝の上に更に8mの滝が連続しているのでそのまま高巻く。この二つの滝を境に沢は180度屈曲しており、高巻きから下り立つと沢が逆方向の左から流れているので戸惑う。不動滝から上部は堰堤の連続なので左上の林道に出て堰堤群をかわし不動橋から再び遡行を開始する方がよい。橋から更に堰堤を越え土砂と伐採木で荒れた沢筋を辿る。二俣を左に入ると20分ほどで源頭になり、薮を漕ぐとまもなく1549m標高点の北鞍部に出る。

1984年、1991年
白倉沢二俣(2時間)不動橋(1時間10分)稜線

  平仁手沢

 家の串に源を発する平仁手沢は中流から上流まで林道平仁手支線が沿っており、遡行価値はない。

  東沢(袖丸沢)

 本流との合流点から3km地点まで林道東沢線が沿っており、その間に袖丸・釜抜・萩平の小集落がある。治山堰堤が築造されているうえに萩平から左岸山腹に林道(作業道)が付けられ稜線に達しており、遡行価値はない。                                   

 2 押出川水系

 押出川は袈裟丸南東面を水源として渡良瀬川に注ぐ比較的小さな川で塔ノ沢とバラ沢に分かれる。左岸山腹を林道小中西山線が通っている。二俣までの下流部に2基の砂防堰堤があり、遡行価値はない。

  塔ノ沢

 二子山・賽ノ河原を水源とする塔ノ沢は標高800m付近まで林道塔の沢線が沿っており、その間に下流に砂防堰堤が一基、その上に治山堰堤が四基築造されている。林道終点から作業道が300mほど延び終点が袈裟丸登山口になっている。治山堰堤が作業道終点までに3基、登山道沿いに4基連続している。ここから上流の塔ノ沢は杉やカラマツの人工林が流域の殆どを占めるものの花崗岩の美しい流れを見せている。

  バラ沢

 バラ沢は小中と沢入の分水界を水源とし、林道小中西山線が水源まで沿っている。流域全体が杉の人工林であり、治山堰堤が水源のバラ沢峠まで連続し自然景観は殆ど喪失している。短い流程に治山堰堤が連続しており、遡行対象にならない。

  楡沢

 押出川合流点の上流で渡良瀬川に注ぐ小支流が楡沢である。二俣まで林道が2km沿っており、その間に治山堰堤が4基築造されている。上流は造林地が多くを占めており、遡行対象にならない。

 ※ 本稿は桐生地域内についてのみ記載したものです。袈裟丸山全般(区域外及び積雪期等を含む)について知りたい方は下記書籍を参照してください。

袈裟丸山  自然と歴史・民俗 

四六版 本文197ページ 別冊付録(参考資料)27ページ

価格 1700円(郵送料込み) 郵便振替手数料120円

連絡先 増田 0277-53-1903

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