りゅうこうじ。てんじんやま。人生至る所に低山ありと申しますが、瀧澤不動への丁石を見に立ち寄った新里の瀧興寺で、天神山に出会いました。

桐生市の広報に掲載された『桐生市の文化財』に“粕川にある、通称「大滝」のふもとには、滝沢不動尊があります。国定忠治が隠れていたという伝説が伝わる「忠治の岩屋」があるところです。ここのお堂は天明2年(1782年)に火災で燃えてしまいました。尊盛和尚はその再建に尽力し、復興した際には、これを記念して「丁目石」を設置しました。瀧興寺と関の磨崖仏から滝沢不動尊までの道沿いに、一丁(約109メートル)ごとに、道しるべとして76個の丁目石を置きました。現在、そのほとんどは無くなってしまいましたが、瀧興寺の山門前には「七十六丁」と彫られた丁目石が現存しています。”と書かれていました。その丁目石を見にいったところ、なんと本堂の裏にこんもりとした盛り上がりがありました。

瀧興寺にはhisiyama隊長の元、赤城の大穴を探検したあと訪れました。瀧興寺は趣のある、静かな良いお寺です。本堂の屋根に感銘を受け、、教室に使われていたような建物には懐かしさを覚えました。隊長以下、他の三人の探検隊員は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)や宝篋印塔(ほうきょういんとう)など桐生市指定の重要文化財を入念に見ていました。真言宗の瀧興寺は12世の尊盛和尚と13世の尊英和尚の頃が最盛期のようで、虚空蔵菩薩や宝篋印塔の他にも鐘楼なども建立しています。開山は元和3(1617)年。

私は、そんなものには興味がありません。本堂裏の高みを只管登っていました。薮を突き抜けると、庫裏からの道に出会いました。踏み跡は石祠に続いています。石祠は新しいものと、古いものが一つづつ。後日、お寺に確認をとったところ天神様ということでした。で、天神山です。

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