榛名山

増田 宏 

 榛名山は万葉集では伊香保嶺と詠まれている。伊香保は「厳つ穂」から来ているといわれており、水沢山・相馬山の峻険な山容と雷の発生源であることから古代人はそのように感じたのだろう。榛名火山は古い成層火山が陥没してカルデラを形成した後、数万年前に榛名富士や水沢山、二ツ岳、相馬山などの溶岩円頂丘が噴出した。東側から見ると水沢山、二ツ岳、相馬山の大きな山体が連なり、成層火山の面影は殆どなく、赤城山とは山容が随分違っている。
 榛名山は私にとって山歩きの対象ではなかった。余りにも開け過ぎており、赤城に比べて一つ一つの峰が小さく、山歩きの対象になる峰が少ないからである。積雪期登山の対象にならず、沢登りの対象になる渓谷がないことも理由の一つである。軽い山歩きの対象として赤城山を訪れることはあっても桐生から時間がかかる榛名は行き難いということもあり、これまで山歩きを目的に榛名を訪れたのは数えるほどしかない。三十数年前に渋川の友人と2月の掃部ヶ岳(1449b)に登ったのが最初の山歩きだった。降雪直後で20aほどの積雪があったものの、雪山登山の対象ではなかった。この山は榛名の最高峰ではあるが、赤城山で一頭地を抜いている黒檜山と違って同じような高さの山の一つに過ぎない。
 次に訪れたのは水沢観音からの水沢山(1194b)である。標高差ではこの山が一番大きい。ただ裏側の森林公園から30分ほどで簡単に登れてしまう。渋川の友人によると元旦には初日の出を見る人の電灯の明かりが点々と見えるという。その後、別の友人に誘われて森林公園から二ツ岳(1343b)に登ったことがあるが、簡単過ぎてもの足りなかった。
 そのほか湖畔を訪ねたついでにいくつかの峰を登っている。中学生の時に弟と自転車で伊香保まで行き、バスに乗り換えて湖畔を訪れた際に榛名富士(1391b)に登った。仕事の研修で湖畔の旅館に泊まった時、他の人が眠っている早朝に榛名山第2の高峰相馬山(1411b)と烏帽子岳(1363b)をそれぞれ往復したことがある。文字どおり朝飯前の山だった。榛名山を歩いたのはその程度の経験に過ぎない。
 至仏山のスキーで足首を骨折した3箇月後の7月下旬に家族・友人と榛名湖畔にキャンプに出かけ、相馬山に登ったことがある。榛名の峰の中では相馬山が最も顕著で山登りの面白さでは群を抜いている。梯子や鎖場があるが、子供連れでも容易に登れる。学校が夏休みに入って最初の週末なので湖畔は賑わっていた。標高が千メートルを超えているとはいえ日陰から出るとかなり暑い。翌朝は北側から榛名富士に登った。榛名富士は最高峰ではないが、端正な山容で榛名を代表する峰の一つである。道は樹林の中で日差しが当たらないので思ったより涼しい。電光型に付けられた道をゆっくり登って40分ほどで山頂に着いた。この山頂はいつも観光客で混雑しているが、ロープウェーが動き出す前なので他に誰もおらず、下りで林間学校の生徒達に会っただけで静かな山を楽しむことができた。榛名富士は大半の人がロープウェーで登るので、ロープウェー沿いの南側からの道も歩く人は少ない。
 榛名では水沢観音から水沢山・相馬山を結ぶ縦走が最も本格的な山歩きができるが、滑落事故があって以来、相馬山と森林公園間が通行止めになっている。今年の7月に十数年前ぶりにオンマ谷からこの道を辿った。オンマ谷は風穴が多く、猛暑の中でも涼しい風が吹き抜け、肌寒いくらいで快適な山歩きだった。縦走路は通行止めになって久しいので藪が繁茂して歩き難い部分があるものの、問題なく辿れる。手前の鞍部に不動尊が祀られ、鎖場を2箇所越えると最後の急斜面になる。山頂直下は榛名とは思えない険路で登高を楽しめた。山頂には御嶽三座神を始め信仰登山の石造物が多く祀られており、相馬山が修験道の山であることを示している。山容の立派さと信仰の歴史から榛名山の代表は最高峰の掃部ヶ岳ではなく、相馬山であることに誰しも異論はないだろう。帰途、スルス岩に立ち寄り、岩上に祀られている烏天狗を見てからオンマ谷に戻った。
 そのほか山歩きの対象となる峰として天神峠から氷室山を経てスルス峠に至る外輪山の縦走、烏帽子岳に隣接する鬢櫛山(1350b)、掃部ヶ岳の南の杏ヶ岳(1292b)などが残っており、機会を作っていずれ訪れてみようと思っている。

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相馬山 相馬山東尾根鞍部の不動尊
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相馬山の鎖場 相馬山東尾根の登り
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相馬山頂上 御嶽山座王大権現(右)と
三笠山刀利天宮(左)
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スルス岩頂上の烏天狗 烏天狗と榛名富士

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