日高山脈北端

増田 宏 

 日高山脈は狩勝峠から襟裳岬まで百五十㌔にわたって北海道の脊梁をなしている。そのうち北の芽室岳から南の楽古岳までの九十㌔の稜線が山脈の核心部である。日高山脈の登山は1923(大正12)年の芽室岳登山に始まり、その後、ピパイロ岳、戸蔦別岳、幌尻岳、カムイエクウチカウシ山、ペテガリ岳など日高核心部の峰々が登られた。氷河に削られた鋭い稜線と日高登山史の熱い情熱は私に日高山脈への憧憬を募らせ、約十年を費やして核心部の残雪期縦走を実現した。
 しかし、日高山脈はこれで終わりではない。芽室岳以北狩勝峠までの北端部と楽古岳以南襟裳岬に至る南端部が残っている。芽室岳以北と楽古岳以南は標高が低く、道のない稜線が続いており、殆ど登山の対象になっていない。日高山脈主要部の縦走を果たした私の次なる課題は北端部と南端部の縦走である。
 芽室岳(1753㍍)は日高北端を画する雄峰であり、全山縦走の北の起点となっている。芽室岳の山名は芽室(メムロ)川の源流にあることから名付けられた。芽室はメム・オロがメムロになり、漢字を当てたものである。北海道の地名は漢字表記であっても大半がアイヌ語起源である。いいかげんな当て字が本来の意味を分からなくしており、カタカナ表記の方が適切である。
 この山には日高核心部の鋭い稜線はないが、北側の御影付近から見ると十勝平野の上に三角形の端正な姿で聳えている。芽室川上流から尾根伝いに整備された道が付いており、毎年山開きが行われるなど登山者に親しまれている。山頂は本峰と西峰(1746㍍)からなり、登山道を登ると2つの峰の間に出る。私が初めて芽室岳に登ったのもこの尾根からで、4月下旬に尾根を辿って芽室岳に登り、稜線伝いに幌尻岳に縦走した。この時期では珍しく晴天が続き、4日間の強行で北日高の縦走を果たした。
 芽室岳以北はペケレベツ岳以外に道のある山はなく、ハイマツと灌木に覆われた稜線が続いている。ペケレベツ岳(1532㍍)は芽室岳以北の最高峰だが、もはや日高の痩せた稜線はなく、緩やかな尾根が山頂まで続いている。日勝道路六合目から道が付いており、容易に頂上に達することができる。ペケレベツ岳の山名はペケレベツ川の源流にあることから名付けられた。ベツは川のことなのでペケレベツ川はペケレ川川の二重表記となり、ペケレベツ岳に至ってはペケレ川山ということになる。このような例は戸蔦別川、札内川(ナイは川)や戸蔦別岳、札内岳など日高山脈の地名によく見られる。
 日勝峠の南から西に派生する稜線上に沙流岳(1422㍍)がある。近年、注目されるようになった山で、沙流岳の名は沙流川源流部にあることから新たに付けられたものだ。道は付けられていないが、残雪期に日勝峠から容易に登ることができる。雪を纏った積雪期の沙流岳は小さいながら気品のある美しい峰である。
* 芽室岳から東に顕著な支脈が派生し、久山岳(1412㍍)、剣山(1204㍍)を起こしている。剣山は山頂が岩峰でアイヌ語名をエエンチェンヌプリ(頭が尖って突き出た山)という。登山道は大正時代の開削で昭和初期に麓に剣山神社が創建され、以来信仰の山として親しまれている。原始の息吹を残す日高山脈にあっては別格の山である。この山には、夏休みの家族旅行で小学生だった子供と妻を伴って登ったことがある。前夜、剣山神社にある信者用の無人宿泊所(通称剣山小屋)に泊まって山頂を往復した。登山道沿いに観音像が並び、頂上岩峰には梯子や鎖が取り付けられている。山頂の岩には剣が天を向けて立っており、霊山の風格があった。
 久山岳は芽室山と剣山の間にあって目立たない山で道もなかったが、近年、山麓の宗教団体高王山大自然霊光院によって霊山「高王山」として登山道が整備されている。ここでは日高山脈北端部について、芽室岳以北の主稜線縦走とペケレベツ岳、沙流岳の記録を紹介する。

 ペケレベツ岳から芽室岳、久山岳

* 芽室岳から北の日高山脈は穏やかな稜線で日高らしさを欠くが、千五百㍍を超える峰が連なり、5月連休でも縦走が可能な残雪がある。ペケレベツ岳から芽室岳間の主稜線は比較的よく歩かれているが、芽室岳から久山岳、剣山に連なる支脈は余り記録を見ない。4月下旬に札幌の仲間と2人でペケレベツ岳から芽室岳まで主稜線を辿り、さらに東に派生する支脈を久山岳まで縦走した。
 強風の中、日勝道路六合目のペケレベツ岳登山口を出発した。途中まで夏道を歩くが、上部は残雪上を行く。ペケレベツ岳頂上はハイマツが出ていた。強風で視界がないので、時間は早いが、山頂直下の残雪上で幕営することにした。先行者が作った雪囲い(イグルー)があったので、風を避けるため中にテントを設営した。
 翌日は天候が回復し、ウエンザル岳(1576㍍)まで雪稜を辿った。ウエンザル岳の名はウエンザル川上流にあることから新たに名付けられたものだ。ウエンザル岳頂上から南の鞍部まで低いハイマツの稜線を下る。鞍部から幌内岳分岐(1654㍍)までは稜線上にハイマツが出ているので西側の雪面を行く。幌内岳分岐から南の鞍部(1318㍍)までは快適な雪稜を下る。芽室岳西峰の登りは雪稜が続いているが、山頂近くなってハイマツの稜線になったので西側山腹の雪面を辿って山頂に立った。西峰はパンケヌーシ川の源流部にあることからパンケヌーシ岳とも呼ばれている。この日は西峰と芽室岳間の夏道分岐で幕営した。
 翌朝、芽室岳頂上から雪稜を快適に下る。1532㍍峰直下で残雪が途切れたのでハイマツ帯を数十㍍トラバースして山頂を巻き、南側の稜線上に出た。このハイマツ帯が縦走路中で最も厄介だった。次の突起(1500㍍)から稜線上は藪が出ているので北側斜面を巻き気味に進む。この区間は遠望すると残雪が少ないが、効率的に雪面をつないで殆ど藪を漕ぐことなく、二の森で久山岳登山道に出ることができた。ここから十分ほどで久山岳山頂に立った。二の森から雪面を一気に下り、途中から登山道を辿って標高五百㍍付近で登山口に着いた。ここから林道を辿り、途中で東の歩道に入って剣山神社に到着した。

2008年4月28日〜30日
28日 登山口(8時10分)ペケレベツ岳(12時)
29日 ペケレベツ岳(5時20分)ウエンザル岳(8時5分/8時30分)幌内岳分岐(10時10分/10時30分)芽室岳西峰(13時45分/14時)夏道分岐(14時45分)
30日 夏道分岐(5時5分)芽室岳(5時30分)一五三二㍍峰(7時)久山岳(9時20分/9時30分)登山口(11時50分)剣山神社(12時40分)

 日勝峠からペケレベツ岳

* 5月上旬に1人で日勝峠からペケレベツ岳を目指した。長さ半分の夏スキーを履いて日勝トンネルの日高側入口から斜面に取り付き、1445㍍峰(最近は日勝ピークと呼ばれている)に立った。ここまではスキーに適した斜面でシュプールが多く付いていた。ここから尾根伝いに行くが、一箇所雪面が途切れ藪漕ぎとなった。稜線上は傾斜が強く、スキーには不向きなのでスキーヤーは西側を巻いて山頂手前の鞍部に出ていた。最後の斜面を登り切り、山頂に立った。芽室岳と剣山の展望が見事だ。帰途はスキーヤーのシュプールを辿り1445㍍峰の東に出てトンネル入口に下った。

2005年5月4日
日勝峠(8時)ペケレベツ岳(10時40分/11時10分)日勝峠(12時40分)

 沙流岳

 5月上旬に仲間と2人で日勝峠から沙流岳を日帰りで往復した。日勝トンネルの日高側入口から夏スキーを履いて斜面に取り付く。前回よりも積雪が少なく、笹が出ていたが、何とか雪面をつなげて1445㍍峰に立った。ここから稜線上は殆ど雪がつながっており、快適な雪稜歩行が続く。雪に覆われた沙流岳の美しい姿が近づいて来る。山頂直下は急なので電光形に登った。山頂まで踏跡はなく、私たちだけの静かな雪山を楽しんだ。下りは南側から回り込んで山頂部の急斜面を迂回した。スキーに手こずり、スキーを持たない仲間に先に行かれてしまった。傾斜が緩くなった日勝トンネル近くでやっと追い付き、スキーを履いて仲間と同じ早さで下山できたことにささやかな満足を覚えた。スキーができない私にとっては画期的なことだった。

2008年5月2日
日勝峠(6時)沙流岳(9時/9時15分)日勝峠(11時)

* *
ペケレベツ岳山頂の幕営
ペケレベツ岳からウエンザル岳
* *
ウエンザル岳から幌内分岐(右)
芽室岳西峰(左端)
幌内分岐からウエンザル岳
* *
幌内分岐から芽室岳西峰
芽室岳西峰
* *
芽室岳西峰の登り
後方はウエンザル岳
芽室岳から久山岳への稜線
* *
東鞍部から芽室岳
久山岳山頂と剣山(左奥)
* *
久山岳付近から芽室岳
ペケレベツ岳
* *
ペケレベツ岳(北鞍部から)
沙流岳
* *
剣山頂上
剣山頂上岩峰

inserted by FC2 system