日高山脈南端

増田 宏 

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 狩勝峠から襟裳岬まで百五十`に及ぶ北海道の脊梁が日高山脈である。そのうち北の芽室岳から南の楽古岳までの九十`が山脈の核心部であり、鋭い峰と痩せた稜線は北海道の岳人にとって憧憬の対象になっている。
 しかし、日高山脈には核心部だけではなく、芽室岳以北狩勝峠までの北端部と楽古岳以南襟裳岬に至る南端部がある。日高山脈核心部の縦走に引き続き私は芽室岳以北日勝峠までの縦走を終えたが、楽古岳以南の縦走が課題として残っていた。楽古岳以南は標高が低く、道のない稜線が続いており、殆ど登山の対象になっていない。この稜線については襟裳岬までの完全縦走以外に殆ど記録を見ない。
 楽古岳(1472b)は日高南端を画する名峰であり、核心部縦走の起終点となっている。楽古岳以南のうち中間にある美幌岳(1121b)までは千b近い標高を有し、残雪期には雪稜が連なって比較的歩き易いが、美幌岳以南は急激に高度を減じ、起伏の多い痩せた藪の稜線になっている。
 5月連休に楽古岳から襟裳岬近くの追分峠(162b)まで40`の稜線を一気に縦走しようとしたが、美幌岳の南で悪天に遭遇し、撤退を余儀なくされた。その後、年末年始に残り区間の縦走を試みたが、この時期は軟雪で殆ど進めず、不可能なことを悟った。今回、3回目の挑戦でようやく追分峠に達し、南端の縦走を果たすことができた。

 楽古岳から美幌岳まで
 札幌在住の山仲間齋藤さんと車2台で出発し、1台を追分峠に駐車し、幌別から上杵臼経由でメナシュンベツ川沿いの林道を終点の楽古山荘まで入った。林道が落石で狭くなっている箇所があったが、辛うじて通過できた。この年は暖冬だったが、春になって降雪と低温が続いたので前回訪れた時よりも残雪が多く、山荘のすぐ先から積雪が現れた。メナシュンベツ川沿いの登山道は殆ど残雪の下でルートが判り難い。渡渉が6回あったが、いずれも靴を脱がずに飛び石伝いで渡ることができた。標高470bの上二股付近から尾根に取り付いたが、取り付き点は急斜面で夏道が現れていた。残雪に覆われた斜面は道が判り難いが、尾根上に出れば針路選定に迷うことはない。軟らかい雪なので輪かんを着けて登り、五合目標識の少し手前で緩傾斜地を見付け、雪を均して幕営した。
 翌朝、アイゼンを効かせて急な尾根を登り詰めて楽古岳に立った。山頂にいると1人登山者がやって来た。野塚トンネルから楽古岳を往復しているという。楽古岳以南には顕著な峰はないが、美幌岳までは殆ど雪稜が続いている。頂上から見下ろす楽古岳南斜面は急傾斜に見えるが、下ってみるとそれほどではなく、南鞍部まで一気に下れる。1365b峰の登りは雪面が緩んで歩き難い。ここから1203b峰まで距離は短いものの、1時間を要した。1269b峰の下りではハイマツと痩せた岩稜が現れ、行程は捗らない。鞍部から登り返し、1222b峰手前の平坦地(標高1150b)に幕営した。楽古岳は遥か遠くに見え、歩いた距離が実感できる。さらにその後方にはカムイエクウチカウシ山、幌尻岳まで日高主稜線が続いていた。
 翌日、稜線を南下すると1222b峰の南にテントがあった。そこにいた3人組と話をしたところ、その中の年配の人が日本山岳会北海道支部長の新妻徹さんだった。彼らは幌満川1号橋まで車で入り、幌満川沿いの林道終点から東の尾根に取り付き、1020b峰を経由して1222b峰で主稜上に出たという。新妻さんから下山するなら幌満川方面よりも林道が短い猿留(サルル)川が近いことを教わった。
 主稜線を南下し、地形図に名称が唯一記載されている広尾岳(1231b)を往復したが、丸い平凡な頂で日高特有の鋭い稜線はもはやなかった。ここから南に進むに従って尾根が痩せ、ハイマツや岩が現れて歩き難くなる。疲れた齋藤さんを残して分岐から私だけ美幌岳(1121b)を往復した。広尾岳と同様に平凡な頂で、山頂の目印さえ付いていない。美幌岳分岐の下りは歩き易い雪稜が続いており、この日は936b峰を越えた先で僅かな平地を見付けて幕営した。
 夜半から風雨になり、朝にはさらに雨が激しくなった。私は1日停滞して縦走を継続したかったが、齋藤さんが疲れて意欲を失っていたので下山することにした。風雨の中テントを撤収し、主稜線から東に派生する尾根を辿り、途中から南東に派生する支尾根に向かう。幸い視界があったので試行錯誤の末予定していた支尾根に入ることができた。最初は雪面を辿れたが、途中から笹藪になり、笹に足を取られて転倒しながら猿留川林道に下り立った。
 林道に辿り着いて安心したのも束の間でその先に想定外の苦難が待ち受けていた。豪雨で林道が数箇所崩壊しており、そのたびに危険な急斜面の横断を強いられた。さらに林道を横断する暗渠が水を飲みきれず、流水が滝になった箇所を潜るなど神経を擦り減らした。猿留川は濁流が狂奔しており、洪水で通行できなくなることを心配しながら林道を辿った。ザックは濡れてますます重くなり、肩を刺す痛みに耐えながら5時間、十数`を歩き通し、サケマス孵化場に辿り着いた。
 孵化場は漁協が運営する施設で事務所には2人が常駐していた。雨で濡れて体が冷え切っていたのを察して風呂に入らせてもらったうえ、車を駐車してあった追分峠まで係員の工藤さんが送ってくれた。大雨で国道は通行止めになっていたが、中腹の町道を迂回路にして何とか追分峠まで行くことができた。親切に感謝の気持ちで一杯だった。

 2007年4月29日〜5月2日
 29日 楽古山荘(12時40分)尾根取付点(14時15分)五合目(16時30分)
 30日 五合目(5時15分)楽古岳(7時40分/8時15分)1365b峰(9時15分)1269b峰(12時)1150b幕営地(15時5分)
 5月1日 幕営地(5時15分)広尾岳(7時20分)美幌岳(12時40分)936b峰南幕営地(16時40分)
 2日  幕営地(7時)林道(9時35分)サケマス孵化場(15時/16時30分)楽古山荘(18時20分)

 軟雪で挫折した冬季山行
 山仲間の大谷さんと前回の続きの縦走を年末年始に行うことになり、齋藤さんを加えた3人で幌満川から入山することにし、様似からタクシーで幌満林道に入った。積雪のため、林道パンケ線分岐手前でタクシーが進めなくなったが、通りかかった狩猟者の車にタクシーの運転手が頼んで車の荷台に乗せてもらい、オピラルカオマップ川林道まで入ることができた。堰堤のある右岸支流脇から尾根に取り付き、笹混じりの斜面を急登して20分ほどで作業道に出た。作業道は697b峰から西に延びる尾根の直下で終点になり、笹を漕ぐと尾根上に出た。積雪は10〜20a程度でやっと笹が埋まる程度である。この日は697b峰で幕営したが、冬は風が強く、テントを圧し続けるので安眠できない。
 翌日は697b峰の先で輪かんを着けたが、雪面が締まっていないので少ない割に大変である。主稜線の706b峰から前回撤退した850b峰を往復したが、空身とはいえ主稜線は深いところで積雪が膝下まであり、ラッセルで消耗した。元に戻って南に向かい、大谷さんと先頭を交代しながらラッセルしたが、2人とも脚が疲れて縦走が不可能と悟るまでいくらもかからなかった。次の750b峰の先740b地点で撤退を決め、往路を戻った。帰りは作業道をそのまま辿って橋の袂で林道に出た。ここで幕営しようとテントを設営したが、車が通ったので乗せてくれるよう頼んだ。車に乗っていたのは小児を連れた狩猟者で、小さい車だったが、解体した鹿とザックを車外に縛り付けて何とか3人乗ることができた。この親子が泊まる予定のアポイ山荘まで乗せてもらい、私たちもここで宿泊した。往きに乗せてもらった人と同様、この人も決してお礼を受け取ろうとせず、北海道の人の親切にはいつも感謝するばかりである。積雪が少なく締まっていない年末年始に縦走を行うのは並大抵ではないことを悟った。

 2008年12月28日〜29日
 28日 オピラルカオマップ川林道(12時40分)697b峰(14時20分)
 29日 697b峰(6時40分)707b峰(8時20分)840b峰(9時30分)707b峰(10時20分)740b峰(11時20分)オピラルカオマップ川林道(15時40分 /17時30分)アポイ山荘(18時40分)

 豊似岳までの南端部縦走
 前回撤退した740b地点から南端までの縦走を5月連休に計画し、早朝様似で齋藤さんと合流した。追分峠に車を1台駐車し、もう1台で幌満林道に向かった。林道には積雪がなく、オピラルカオマップ川林道の奥まで入ることができた。740b地点に直接出るため、オピラルカオマップ川林道に駐車し、右岸支流沿いの支線林道を歩く。途中2箇所、靴を脱いで渡渉し、右岸支流の二股まで行き、二股から右股沿いの作業道に入る。作業道は次の二股で終点になったのでここから北斜面に付けられている古い作業道を辿り、作業道終点から深い笹の斜面を登り詰めて尾根上に出た。この尾根は740b地点から西に派生する支稜で残雪はないが、藪は薄い。鹿の踏跡を拾いながら主稜線に向かう。傾斜がきつくなり、最後は木を手掛りに急斜面を登って740b地点で主稜線に出た。
 主稜線は西側に残雪が連なっており、雪面を辿って縦走する。752b峰の下りは残雪がなく、苦しい藪漕ぎとなった。この日は869b峰の南で 幕営した。天気は終日曇りで幸い雨にはならなかった。
 2日目は急傾斜の雪面になっている1009b峰の登りでアイゼンを着けた。1009b峰から1006b峰へは稜線が痩せていて残雪が落ちており、半分くらいは稜線上の藪を漕がねばならない。最も辛い区間は922b峰の下りで、全く残雪のない藪と笹が続き鞍部まで2時間を要した。鞍部から940b峰までは残雪の稜線が続いていたが、964b峰への稜線は雪面がつながっておらず、藪の稜線を行くので距離の割に時間がかかる。その先は雪面をうまく拾いながら藪を回避し、1093b峰に立った。1093b峰から2つ突起を越えて豊似岳(1105b)に着いたが、山頂は藪に覆われていたので少し戻った地点に幕営した。強風が吹き付けていたが、ここは稜線が風を遮る快適な幕営地であった。この日も終日曇りだったが、雨にはならなかった。気温が低く、脱いだ靴がたちまち凍り付き、予想外の寒さになった。
 豊似岳からは広い雪稜がつながっており、歩き易い。行く手には海が広がり、日高山脈末端の襟裳岬が突き出ている。途中から雪稜上に熊の足跡がずっと付いていた。熊も歩き易い雪稜上を移動しているのだ。地形図に記載されている電波中継塔の道を下るつもりだったが、電波中継塔が撤去されていて通り過ぎてしまった。その先の頂(三枚岳)まで行って現在地を確認してから元に戻り、南西に派生する尾根を下った。分岐は尾根がはっきりしないが、少し下ると明瞭な尾根になった。上部は雪稜が続き、雪面が切れてからは道伝いに下る。途中で登って来た2組の人たちと会い、豊似岳が地元で登山対象になっていることを知った。ただし、道は頂上まで続いておらず、東側の1080b峰で終っており、無雪期はハイマツの藪漕ぎを強いられる。登山口には豊似岳と三枚岳の案内標識があった。ここから上歌別牧場内の車道を辿って追分峠に着き、数年越しの日高山脈南端縦走を果たした。

 2013年4月27日〜29日
 27日 オピラルカオマップ林道(7時50分)主稜線740b地点(10時30分)869b峰南(15時20分)
 28日 幕営地(4時40分)1009b峰(5時45分)922b峰(8時)鞍部(10時)940b峰(10時40分)964b峰(12時55分)1093b峰(15時20分)豊似岳(15時55分)幕営地(16時5分)
 29日 幕営地(5時)追分峠(9時5分)様似(12時)

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雲海の日高山脈 雲海と雪稜
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十勝岳と日高主稜線 楽古岳
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稜線の幕営 左後方は楽古岳 美幌岳方面
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706b峰から前回撤退した850b峰(年末) 752b峰付近から美幌岳方面
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1006b峰付近から豊似岳 940 b峰付近から豊似岳
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藪の稜線が続く922b峰 襟裳岬遠望

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