常念岳

増田 宏 

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 松本平・安曇野からは槍穂高連峰など北アルプス中心部は前衛の常念山脈に遮られて殆ど見ることができない。常念山脈の中心にある端正な三角錐の山が常念岳(2857b)であり、雪解けの季節には田園の背景に残雪をまとった美しい姿を見せている。
 私が初めて常念岳を訪れたのは槍穂高や剱立山など山脈の核心部をひととおり登った後で、職場の同僚と新たに整備された三股からの登山道を登り、蝶ヶ岳に縦走して日帰りで一周した。
 その後、しばらく訪れる機会がなかったが、後にトレイルランで活躍するようになった鏑木毅君と年末に登ったことがある。鏑木君は私の勤務先に新規採用職員として配属されて以来の知り合いである。彼は高校の後輩であり、高校・大学時代には箱根駅伝を目指した長距離ランナーだったことを聞いていた。初めの頃は仕事が性に合わないようで元気がなかったが、武尊山の山田昇杯に出場していきなり優勝したことをきっかけにトレイルランを始め、相生の職場から吾妻山を経て鳴神山まで走って往復する姿を見かけるようになった。彼がトレイルランという天職と出会い、世界に雄飛することになるとは当時は想像もできなかった。その後、冬山に行きたいとの希望で年に1回恒例行事として易しい雪山に行を共にしていた。
 初冬の安曇野からは行く手に雪をまとったピラミッドのような山頂が聳え、登高意欲が漲って来た。当初は尾根の途中で幕営するつもりだったが、車で三股まで入ることができたので予定を変更して日帰りで往復した。まさか冬の北アルプスに日帰りで登れるとは思っていなかったが、この年は降雪が遅く、頂上付近の積雪は数十a程度しかなかった。それでも頂上付近は凍結しており、アイゼンが必要だった。アイゼンを靴に合わせてくるのを忘れたので高下駄のようにアイゼンを靴に括り付けて何とか山頂に立った。
 常念岳には三股から前常念を経て尾根を登る道以外に一ノ沢から常念乗越に出て尾根伝いに登る道がある。そのほか上高地から大きな滝が連続する一ノ俣谷を遡る道もあったが、現在は廃道になっている。その後、秋の彼岸に1人で一ノ沢登山道から山頂を目指した。初日に常念乗越から稜線伝いに大天井岳(2922b)を往復し、翌日山頂に登るつもりだったが、夜半から雨が降り出し翌朝は雨と霧で山頂往復を止めて下山した。
 5月下旬に残雪の北アルプスを登りたくなり、1人で一ノ沢から再び常念岳を目指した。里から山頂部に雪が光っているのが見えたので残雪の登高を期待したが、山はすっかり初夏の装いでアイゼンの出番はなかった。唯一笠原沢出合から常念乗越まで残雪が沢を埋めており、登高を楽しめた。下の方は緩やかな雪渓だが、次第に傾斜が急になり、夏道の最終水場の下で雪渓が分岐して左の雪渓に入るとさらに傾斜が増した。夏道は右の尾根に付いているが、残雪期は雪渓を直登する。夏山用のピッケルを出して雪渓を登り切ると常念乗越に飛び出した。この時期、常念小屋は営業しており、周囲には十数張りのテントがあった。夏に比べれば人は少ないものの、ここは街の延長で日高山脈のような原始境の雰囲気は全くない。翌朝に山頂を往復するつもりだったが、時間を持て余したのでこの日のうちに山頂に向かった。里から見えた残雪は山肌だけで常念乗越から山頂までの稜線はすっかり雪が解けて夏山と変わりなかった。花崗岩が積み重なった稜線を辿って標高差400bを登り、誰もいない夕方の山頂で1人展望を楽しんだ。山頂の祠には「常念」の名の酒が奉納されていた。

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安曇野から常念岳遠望 一の沢林道から常念岳
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常念乗越につながる雪渓 常念小屋と槍ヶ岳遠望
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常念乗越のテント場 常念乗越から山頂方面
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常念小屋と横通岳 山頂の祠
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山頂から前常念 山頂から蝶ヶ岳に連なる稜線
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冬の常念岳(前常念岳から) 常念岳から横通岳、大天井岳

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