甲斐駒ヶ岳

増田 宏 

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 赤石山脈(南アルプス)は鬱蒼とした樹林に覆われた奥深い山脈である。その北端にある駒ヶ岳(2967b)は他の山々とは異なり平地からいきなり二千数百bの高度差で聳え立っている。中央線の車窓から見上げる山容は圧倒的な迫力であり、私の好きな山の一つである。標高が三千メートルに足りないのが残念だが、人間の決めた尺度を超越して毅然として聳えている。他の駒ヶ岳と区別するため、登山者は地名を冠して甲斐駒ヶ岳(略称甲斐駒)と呼んでいる。伊那谷では木曽山脈(中央アルプス)の駒ヶ岳を西駒ヶ岳と言うのに対し、こちらを東駒ヶ岳と呼んでいる。
 私が駒ヶ岳に初めて登ったのは学生時代最後の年の冬でそれから三十数年経っている。当時、南アルプススーパー林道はまだなく、信州側の戸台から仲間二人と重いキスリングを背負って一日かけて北沢峠まで行きそこに幕営した。翌日、頂上を目指したが仙水峠を経て駒津峰の森林限界を出たとたん冬の烈風の洗礼を受けた。まともに立っていられず斜面に這いつくばるのがやっとの状態で、オーバー手袋を着けようとザックから出したとたん手袋は烈風にかすめ取られて飛んで行ってしまった。それまで私は冬の足尾山塊は経験していたが、冬の高峰を登るのは初めてだった。風の息を縫うようにして山頂に立ち、ゆっくり休む間もなく下山した。冬の高峰は山頂でゆっくり食事して展望を楽しむような所でないことを知ったのはこの時である。その後、秋に同じコースを辿ったがスーパー林道が出来て北沢峠までバスで行けるようになり、駒ヶ岳は日帰りの気軽な山になっていた。
 駒ヶ岳の表登山道は信仰登山で賑わった黒戸尾根である。昔は甲州街道の台ヶ原宿が起点だったが、現在の登山口になっている駒ヶ岳神社からでも標高差は2250bある。このような大きな標高差はほかに剣岳の早月尾根があるだけだ。私が表登山道を最初に登ったのは冬期である。年末に妻と二人で五合目に幕営し、翌日頂上を目指した。初めて登った時から多くの冬山を経験していたので烈風に驚くようなことはなく、北沢峠側よりも難度が高い黒戸尾根でも北アルプスに比べれば易しいと感じた。
 数年後の夏に再び黒戸尾根を登った。竹宇駒ヶ岳神社から尾白川を渡って尾根に取り付いた。行者の修行場になっていた粥餅石を過ぎ、笹の平で横手駒ヶ岳神社からの登山道を合わせる。笹の平から上は雲の中に入り何も見えなかったが、五合目で雲の上に出て山頂が現れた。花崗岩が白く輝き雪のようだ。五合目から七合目までは鎖と梯子の連続で登高の面白味を十分に味わえる。登山道には霊神碑や刀利天狗など山岳宗教の遺物が多く、信仰登山で賑わった当時を偲ばせる。途中で会った登山者は数組程度で静かな登山道だったが、山頂に百人ほどの登山者がいたのには驚いた。そのうえ山頂から下を見ると北沢峠方面に登山者の列があり、これから考えるとこの日の登山者は三百人位になるだろう。この日は人の多さに辟易して早々に山頂を辞した。
 梅雨のさなかにこれだけの人がいるのはこの山が深田百名山に入っていることが原因だ。百名山をやっているのかと山で聞かれることが多々あるが、私は登った山の数を競うことに何の興味もなく、同じ山を何回も登ることが多い。ただ名山・名峰を目指す場合には登山者が集中するので百名山ブームの迷惑を被っている。一方、登山者の大半が北沢峠から登っている事実から判るように最も容易な登路に人が集中するのが百名山ブームの特徴である。有名な山でも工夫すれば黒戸尾根のように労力の大きい登路を採ることで人を避けることができると思う。

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 鋸岳から駒ヶ岳
 過去4回駒ヶ岳に登っているが、鋸岳からの縦走が課題として残っていた。鋸岳は鋸歯状の岩峰を連ね、脆い岩が手強く、登高の困難さを誇っている。駒ヶ岳が美しい花崗岩からなるのに対して鋸岳は茶褐色の脆い岩の崩壊壁が連なり、荒れ果てた山容をしている。十月の三連休に1人で信州側の戸台から鋸岳に登って駒ヶ岳に縦走し、北沢峠に下った。標高千bの戸台から山頂まで二千bの標高差があるので大半の人は標高二千bの北沢峠から逆行程を取る。鋸岳の縦走も難所が登りになるので駒ヶ岳から鋸岳に向かう方が易しいが、私は鋸岳を下から登りたかった。初日は戸台から1時間半ほど歩いたら暗くなり始めたので戸台川の河原で幕営した。夜になって雨が降り出し、朝まで降り続いた。
 翌朝、出発する頃にようやく雨が上がった。角兵衛沢にはしっかりした道が付いていたが、天気が悪いためいつになっても日の出前の暗さが続いた。角兵衛沢は急なガレが続き、当初、道は左岸沿いに付いていた。ガレを横断するところで道を見失ってガレを登ったが、足元の岩が崩れて歩き難い。大岩の岩小屋で水を補給するつもりだったが、右岸沿いを登っていたため左岸にあった岩小屋を見過ごしてしまった。途中で左岸に渡ったら道を発見したのでそのまま道を辿って角兵衛のコルに出た。
 ここから最高峰の第一高点(2685b)までは僅かだ。鋸岳は第一高点までなら横岳峠から簡単に登れるが、その先は経験者向きの道になる。第一高点から岩稜を行き、鎖で小ギャップに下る。岩が濡れていたので足場が滑り易く、鎖も濡れているので腕力だけに頼ることもできない。ここで男女数人の一行と擦れ違ったが、先頭が登って1人づつザイルで確保して登っていたのでなかなか進まない。小ギャップの登り返しは長い鎖が付いているが、逆層の岩が濡れて足元が滑るので傾斜が緩くとも大変だった。登り切った所から岩稜を行くと鹿窓に着いた。鹿窓は稜線に開いた孔でこれを潜って甲州側から信州側に出る。鹿窓はスーパー林道を走るバスから針のような孔が遠望できる。鹿窓の下りは急峻なガレの溝に鎖が付いているが、トラバースぎみなので足元が安定せず苦労する。この先ルートは複雑なトラバースが続き、霧に覆われて視界が悪いのでルートを見失い易い。ガレの右俣を第二高点に登るべきところ、ルートを見失って左俣の急峻な溝を登ってしまった。この溝は落石が詰まっており、登ると足元から積み重なった岩が崩れるのでヒヤヒヤしながら稜線上の窓まで登り切った。両側に古い固定ロープが垂れ下がっていたが、心許ない固定ロープを頼りに垂直に近い岩壁を登るのは危険なのでガレの溝を戻った。下りで足元が崩れて転倒し、足首に砕石を打ち付けて軽症を負った。後でこの窓が大ギャップだと気付いた。右俣のガレを登ったところ、右側に道を見付けやっと第二高点(2675b)に出た。ここで先行していた男女数人の一行と一緒になり、中ノ川乗越まで同行した。この下りは足元が不安定なので落石に注意が必要だ。彼らは中ノ川乗越から熊穴沢を下って行った。ここから先は稜線通しの道なので気が楽になった。熊穴沢の頭と三ツ頭を越えると六合石室は近い。ここまで水が0.5リットルしかなく、鋸岳で出会った人に水を貰ってしのいだ。六合石室には水場があるが、遠いのが難点で往復30分近くかかる。石室に着いた時は他に誰もいなかったが、後で駒ヶ岳方面から二人組が来て同宿した。夕方から天気が回復し、日が差してきた。
 翌未明は星空で明るくなると同時に出発し、花崗岩の巨岩帯を登って駒ヶ岳に立った。今回、山頂直下にある摩利支天峰を初めて往復した。山頂にはその名のとおり摩利支天の像や石造物があり、濃厚な山岳信仰の雰囲気を感じた。仙水峠を経由して北沢峠に下り、バスで戸台大橋に出てそこから歩いて戸台に戻った。以前の鋸岳は一般登山者向きではなく、登攀対象であった。近年、鎖が設置されたものの、今でもハイキングではなく登山の対象である。

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角兵衛沢のガレ コルから角兵衛沢
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第一高点 小ギャップの鎖場
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鹿穴 鹿穴の鎖場
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鹿窓ルンゼの鎖場 中ノ川乗越への下り
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六合石室近くの山岳信仰石造物 六合石室
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鋸岳(六合石室・駒ヶ岳間から) 仙丈ヶ岳
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摩利支天頂上 摩利支天から駒ヶ岳
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摩利支天石像 仙水峠から摩利支天

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