清津川本流

増田 宏 

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清津川概念図

 山岳の古典として名高い高頭仁兵衛『日本山嶽誌』の扉には「仁者好山」という言葉が掲げられており、ここには日本に勃興した近代登山を精神的な価値にまで高めようとする明治人の気概が窺える。この言葉は「知者は水を好み、仁者は山を好む」という論語の一節を引用したものだ。渓谷を遡行して山に登ることは山水を同時に好む行為であるが、長年沢登りを続けてきた私は未だ知者にも仁者にもほど遠い。知者・仁者にはなれなかったが、私にとって渓谷遡行は登山の原点になっている。特に原生林に囲まれた長大な渓谷には郷愁を感ずる。
 清津川は上信越国境の白砂山に源を発し、上流域は西を信越国境の佐武流山・苗場山、東を上越国境稜線と筍山を結ぶ稜線に囲まれている。登山道も殆ど整備されていない原始境であり、深い原生林に包まれた山行ができる数少ない渓谷である。清津川本流は白砂川とともに古くから白砂山への登路として遡行されていたが、登攀的要素がなく、沢の面白さに欠けるため今日、遡行者を見かけることは稀である。清津川は上流まで単調な河原歩きが続き、中俣右俣に分かれた源流部だけが沢登りの対象となるが、遡行の対象としてではなく、白砂山への登路として考えれば外すことができない渓谷である。私はこれまで白砂山に源を発する中津川水系の渋沢と白砂川を遡行しており、清津川本流が課題になっていた。
 今夏、山仲間のIさんと本格的な渓谷遡行が初めてのTさんの3人で清津川に向かった。あらかじめ車1台を吾妻線の金島駅に駐車し、もう1台で清津川の林道に向かった。車両通行止めの遮断器から歩き始め、林道終点の棒沢出合から鷹ノ巣峠を越えて赤湯に下った。河畔では宿の経営者が夕食用に蕗を採っているのを見かけた。
 苗場山に登る昌次新道の吊橋から遡行を開始する。長大な渓谷なので白砂川と同じような水量を予想していたが、流れは膝下に満たず、白砂川の数分の一程度しかない。以前に西ノ沢と赤倉沢を遡行した時はもっと水量が多かった記憶がある。渇水による異常水量であろう。清津川は両岸が崩壊して多量の土石が発生し広大な河原を形成しており、遡行は浅い渡渉を繰り返しながらの河原歩きが続く。赤倉沢、ナラズ沢が大量の土石を押し出して合流し、さらに右岸から大支流のセバト沢が合流する。河原の遡行を続けると正面から西ノ沢が土石を押し出して合流しており、本流は左に屈曲する。この先で川幅が狭まるものの、単調な流れが続く。右岸から樺ノ沢、涸沢が合流すると岩床が現れるが、淵や滝はない。やがて左岸から赤土居(赤樋)沢が合流する。この先は沢が狭まり、適地がないと思われたので時間は早いがここで幕営した。
 各自テントとツエルトを張り、焚火の傍らで酒を酌み交わした。飯盒を焚火にかけて炊飯する。紫の煙が上空に漂い、谷間を静かに流れていく。この日は暗くなるまで焚火を囲んで星空を眺めた。渓谷での幕営が始めてのTさんには人が行列をなす山では得られない登山の原点を体験してもらえたと思う。
 翌日は行程が長いので明るくなるとすぐ出発した。少し行くと右岸が大崩壊して巨石が沢底を埋め、伏流になっている。右岸から東ノ沢が合流した先には堆積した土石と流木で堰止湖ができていた。流木を伝わって堰止湖を越えると左岸から沖ノ西沢が合流する。その先には堆積した土砂・流木による堰止滝が2つ続いた。過去の記録によるとこの付近は中ノ曲り沢と呼ばれ、変化に富んだ峡谷だったが、土砂に埋まってしまったようだ。右岸から左俣を合わせると間もなく中俣右俣の出合である。
 ここは山頂に近い右俣に入る。数bのナメ滝と階段状の滝が連続する。いずれも易しく、難なく越えられるが、一箇所だけ難しい滝があった。中間支点が取れないので直登するのは冒険だ。両岸が切り立って高巻きも難しいように見えたが、右の階段状の岩場を登って上部の灌木を手掛りに小さく高巻くことができた。後は困難な滝はなく、豊富な手掛かり、足場をもとに容易に直登できる。標高1900b付近の二俣を右に入るとすぐに水が涸れ、両側から笹が覆い被さった岩溝になった。2000b付近まで溝が続いていたのでこの山域では藪漕ぎが少ない方だ。稜線直下で本格的な笹漕ぎになったものの、まもなく稜線に出た。稜線は白砂山から佐武流山に連なる尾根であるが、昔の登山道の痕跡は全くなく、同じような藪漕ぎが続いた。上越国境稜線に出てからは僅かながら踏跡があって白砂山頂に通じている。
 山頂から登山道を野反湖に下り、バスで長野原に出て吾妻線で金島駅に戻った。ここから清津川の林道駐車地点まで戻って車を回収し、夜遅くなって桐生に帰った。これで白砂山を巡る3つの渓谷に足跡を記すことができた。行を共にしていただいた二人に感謝したい。

[記録]
20012年8月25日〜26日
桐生 4:00 清津川林道遮断器 7:30 赤湯 9:10〜9:20セバト川出合10:15〜10:25西ノ沢出合11:25〜11:50 赤土居沢出合 13:20
赤土居沢出合 5:15 東沢出合 6:05 中俣出合 7:15 二俣(1900b) 9:15白砂山11:00〜11:30野反湖14:30〜15:06 長野原草津口駅 16:22〜17:30 金島 18:24清津川林道遮断器20:05 桐生 22:30

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赤湯の露天風呂 下流の川原歩き
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涸沢、赤土居沢間 赤土居沢出合の幕営地
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焚火 堰止湖
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中俣右俣出合 二段の滝
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二段の滝の直登 直登困難な滝 右から高巻く
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チムニー状の滝 直登を楽しむ
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最後の滝 辿ってきた白砂山の頂稜

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