筑波山

増田 宏 


 登山の対象としてだけ見れば高さからして筑波山は物足りないが、歴史的・地域的に見れば関東を代表する山の一つである。常陸国風土記に記載され、万葉集にも詠まれている。人々がこの山に集い、歌垣(かがい)が行われていたことでも名高い。歌垣とは男女が集まり、共同飲食しながら相互に求愛歌を掛け合う行事で、平安時代を中心に筑波山は恋の山としてしばしば和歌に詠まれている。ちなみに深田久弥は「日本百名山」の中で万葉集にある高橋虫麿の歌を引用している。
 桐生周辺の山から東を望むと、渡良瀬山地の奥に筑波山の美しい双耳峰が見える。周囲に山がないので驚くほど高く見え、尾瀬の燧ヶ岳と似た立派な山容である。筑波山は私にとって登山の対象ではなく、行楽地としての印象が強かったが、遠望した山容に興味を持ち二十年ほど前の冬に訪ねたことがある。その時は筑波山から足尾山・加波山を経て雨引観音まで長駆縦走した。この時は水戸線の岩瀬で降り、筑波鉄道に乗ろうとして駅に行ったところ、すでに廃線になっていた。慌ててバスを探して筑波山神社に出て、山頂への道を急いだ。


筑波山概念図

 今回、北海道で知り合った人に誘われ、家族とともに久しぶりに筑波山を訪れた。その人は兵庫県加古郡稲美町に住む久留宮さんという人で、47年間の集大成として深田久弥の「日本百名山」を筑波山で完登することになっていた。百名山巡りは日本中で流行っており、百名山を登った人など掃いて捨てるほどいる。 百名山巡りに批判的な私が今回の完登祝賀登山に参加したのは次の理由があった。久留宮さんは45歳で癌に冒されて直腸を失い、人工肛門になった。身体障害のため、一時は登山を諦めたが、癌と向き合う中で百名山を完登することを人生の新たな目標とし、十年間の中断後登山を再開して今日を迎えた。彼は元教師で定年退職後、最近まで非常勤講師として養護学校に勤務していた。
 2年前の夏に子供と2人で北海道を訪れた旅の途上、強風で十勝岳を撤退中に話をしたのが彼に会った最初だった。百名山を登っているのでまた翌日来るという。私たちは中腹にある自炊の温泉宿白銀荘に滞在しており、その日の宿が偶然一緒だということも判った。私は十勝岳には何回か登っていたが、子供に登らせたいと思ったので翌日再び十勝岳に向かった。頂上近くまで登って行くと下って来た久留宮さんに会った。さらにその数日後、日高山脈の七ツ沼カールの帰途、幌尻山荘まで下った時に偶然再会し、帰りの道中を共にした。話をする中で子供が久留宮さんを慕うようになり、帰ってから子供と手紙や電話での交流が続き、今回の百名山完登記念登山に参加することになった。
 登山口の筑波山神社入口で2年ぶりに再会し、一緒に筑波山神社の参道を登ってケーブルカーの宮脇駅に着いた。ほかの山で出会い趣旨に賛同した仲間がここで集い、十数人になった。ここから鬱蒼とした森の中の道を登り始める。この道は古来の筑波山への表登山道である。ケーブカーに乗らず歩いて登る人が多いのが意外だった。近頃はどこの山でも高年者が多いのが特徴だが、この山は若い人が多い。登山道には信仰の山に相応しく大きな杉が林立している。真夏の陽気にもかかわらず、直射日光が当たらないのですがすがしい。道に沿ってケーブルカーの軌道があるが、樹林に遮られているので気にならない。
 中の茶屋跡を過ぎ、トンネルの上で軌道を横切った先で水場に着いた。ここは男女(みなの)川の水源で、男体・女体の二つの山頂から流れ出るので「みなの」に男女と宛て字したらしい。「筑波嶺の峰より落つる男女川恋ぞつもりて淵となりぬる(後陽成院)」と書いた看板がある。小倉百人一首にある有名な歌だそうであるが、私には恋と淵が何を表しているのかさっぱり分からなかった。百人一首を読んだことがなく、およそ風流には縁がない私である。まるで空念仏を聞かされているのと同じだ。看板に解説がほしい。後で調べたところこの歌は平安時代の朝廷の作で、筑波山を訪ねた歌ではなく、当時筑波山が恋の山として名高いことから都で作られたもののようだ。高校生以来、私は小細工を弄した和歌は好みではなく、簡潔明瞭な漢詩の方が好きである。所詮、歌垣は上流階級の行事であり、食うや食わずの庶民には無縁だったと思う。
 ここから西側山腹を斜めに登り、御幸ヶ原に出た。御幸ヶ原はいわくありそうな名前で歌垣が行われた場所だと思うが、今は土産物屋や茶店が並ぶ行楽地になっている。すぐ先が筑波山の一峰である男体山(871㍍)で、頂上の社殿ではお札やお守りを売っていた。御幸ヶ原まで戻ってもう一つの峰である女体山を目指す。道中立派なブナ林があるのに気付いた。標高から考えると筑波山は雑木の山だと思ったが、信仰の山であるため木が伐採されず、貴重な自然の植生が残っている。
 女体山(877㍍)は筑波山の最高峰で1等三角点が設置されている。以前は三角点の標高876㍍が採用されていたが、1㍍高い岩の上が最高点とされ、高さが改められた。この山頂は岩が露出し、眺望絶佳で思っていたより高山の風格がある。ここにも社殿があり、人が群れていた。今回の記念登山のことが新聞で報道されていたことで山頂に着いた時には飛び入りの同行者が加わって三十人ほどになっていた。幟りを掲げての行列はまるで桃太郎と随行の犬や猿・雉だと冗談を言いながら登ってきたが、こんなに多くの人が集まったのは久留宮さんの人徳のなせる術である。
 女体山で記念撮影をして大団円となり、食事をしながら自己紹介と久留宮さんとの出会いを各自披露した。オカリナの演奏もあり、楽しいひと時を過ごした。下りは女体山から直接筑波山神社に向かった。この道は奇岩・怪石が連続し、表登山道より格段に面白い。屏風岩、母の胎内潜り、弁慶七戻りなど次々と名所が現れて飽きない。途中でつつじヶ丘への道を分け、弁慶茶屋跡から長い下りで筑波山神社に戻った。鳥居の前で解散し、各自帰途に着いた。
 久留宮さんの新たな目標は百名山を番号順に登ることで、2年前の夏に1番の利尻山から登り始め、今回44番の筑波山を登り終えた。この夏以後45番の白馬岳、そして五龍岳・鹿島槍ヶ岳と北アルプス方面を目指す。最後は屋久島の宮之浦岳で満願成就となる予定である。


筑波山神社入口

筑波山神社

筑波山ケーブルカー

男体山山頂

女体山山頂に到着

幟とともに登頂(女体山頂)

女体山頂での記念撮影

弁慶七戻り

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