焼岳

増田 宏 

 上高地の山岳景観の主役は穂高であるが、それを引き立てているのは噴煙を上げる焼岳の存在である。釜トンネルを出て大正池の端に出るとまず目に入ってくるのはこの山である。大正池は焼岳から噴出した泥流が梓川を堰止めて形成された。小なりといえども上高地に焼岳を欠かすことはできない。火山活動のため、長らく登山禁止になっていたが、二十年ほど前に解禁になってからは百名山を目指す人で大いに賑わっている。

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焼岳概念図

 初めて私が焼岳に登ったのは禁止が解除される直前で西穂高岳の帰途に一人で稜線伝いに旧中尾峠から往復した。踏跡は付いていたが、溶岩がごろごろする砂礫の斜面で足元が崩れて滑り易く、歩き難い登りだった。最高点は脆い溶岩が不安定に積み重なっているので危険で登れず、手前の北峰で引き返した。登山者には数人会っただけで静かな山だった。帰りは旧中尾峠から飛騨側の中尾温泉に下った。
 十数年前の10月下旬に友人2人と上高地を訪れた際に焼岳に向かった。彼らは普段山を歩いていないが、穂高に比べれば小さい山なので気楽なハイキングのつもりで山頂を目指した。上高地は紅葉の時期で混雑していた。喧噪の河童橋を渡って遊歩道から焼岳の登山道に入ると急に静かになった。途中から視界が開けて焼岳の溶岩円頂丘が見える。山頂部から泥流の斜面に刻まれた谷が山麓に放射状に延びており、山体は急激に崩壊が進んでいるようだ。岩壁にかかった梯子を登って山腹を斜上し、稜線上の焼岳小屋に着く。小屋から南に少し登った展望台から見える山頂は黒い山肌がのしかかるような迫力である。登山の経験が少ない同行者は登高の続行を尻込みしたが、登ってみると見かけよりもずっと緩やかな斜面で案ずるほどのことはなかった。多くの人に踏まれているので、前回よりも遥かに歩き易い道になっていた。噴煙を上げている北峰は人で一杯だった。最高点の南峰は崩れ易く危険なので道が付けられておらず、登山者は全員北峰を最終到達点としていた。北峰が2444b、南峰が2455bで標高差は十bほどにしか過ぎない。北峰と南峰の間には美しい紺碧の火口湖があり、月世界を思わせる景色だ。
 下山は、北峰と南峰の鞍部から復活した中の湯への道を辿る。この道は旧中尾峠からの滑り易い道に比べるとずっと歩き良い。少し下って見上げると噴煙を上げる北峰と古い溶岩からなる南峰が円形劇場のように取り囲んでいる。やがて樹林帯に入り、火山にあるとは思えぬ深いブナの森になる。深山の趣に浸りつつ長い下りを終えると安房峠への車道に出た。登山口には車が多数駐車しており、この山の人気のほどが窺われる。ここから九十九折りの急な車道を3`辿って中の湯のバス停に着いた。登り4時間、下り2時間半で同行者は古傷の膝に変調を来たし始めていた。晩秋の日は短く、日はすでに傾いていた。
 その後、しばらく登る機会がなかったが、積雪期が未見だったので一人で残雪期の焼岳を目指した。国道から中の湯への道は冬期閉鎖され、遮断器が閉められていた。ここから九十九折りの道を延々と辿って登山口に着いた。休んでいると下から車が登って来た。山スキーに来た人でどうやって遮断器を開けたのか聞いたところ、錠はかかっていなかったという。錠がかかっているという思い込みから往復2時間の徒労を強いられてしまった。焼岳ではほかに登山者が2組いたが、後から車で登山口まで入った人たちである。
 初めから雪面の登りで少し行くと真っ白い山が見える。ここは山頂ではなく、山頂から南西に派生する尾根である。登路はここから右に尾根に取り付くが、スキーのシュプールに惑わされて広い谷をそのまま進んでしまった。やがて行く手の傾斜が強まり、誤りに気付いて右の尾根に取り付いた。アイゼンを着けて急斜面を登り詰めて尾根上に出た。針路に注意を払わず、再び徒労を強いられてしまった。行く手に初めて山頂が姿を現し、南峰と北峰の間に噴煙が見える。夏道は右の広い谷を詰めて北峰に出るが、積雪期はそのまま尾根を辿る。先行者の足跡を辿って尾根を詰め南峰に立った。岩と雪だけの積雪期の焼岳は高山の風格を感ずる。噴煙を上げる北峰の背後には岩と雪を纏った厳しい穂高岳、南にはまだ真っ白な乗鞍岳の美しい姿があった。東には未だ足跡を印していない霞沢岳が間近に聳えていた。所要時間は中の湯入口から登り4時間半、下り2時間だった。
(2014年4月12日)

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中尾峠道から焼岳 展望台から焼岳
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山頂の火口湖 焼岳北峰
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北峰の噴気口 南峰
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山頂南側 登山口付近から焼岳南面の尾根
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尾根上部から山頂 山頂直下の登り
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山頂 北峰の噴煙と穂高岳
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霞沢岳遠望 乗鞍岳遠望

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