だいにちやま。旧新里村には他にも大日山と呼ばれる山があるので、地名の大久保を冠しました。西隣にある観音山同様、「新里村の文化財」に掲載されている山です。それによると“北小学校の南の道を東へ約500mゆくと、北側に大日山がそびえています。そこから約100m登ると赤松林の尾根にでます。その山頂に石造の大日堂が安置されています。安山岩製で全体の高さは1.47mあります。堂身には、寛永2年(1625)開山秀海行人(かいざんしゅうかいぎょうにん)と刻まれており、建立の起源がわかります。”とあります。
「新里の文化財」では45の有形文化財、天然記念物の紹介があり、大日様は大久保の大日堂の他に四ケ所、紹介されています。新里村ではかつて大日信仰が盛んであったといって良いと思われます。五穀豊穣、家内安全を願ったのでしょうか。
旧新里村は大日信仰に限らず、いにしえより仏教信仰が盛んだったようで、平安時代初期に建てられたといわれる国指定重要文化財の山上の多重塔、奈良時代のものと推定されている国指定史跡の武井廃寺塔跡などが残されています。

大久保の大日山へは国道353線を赤城山に向かって進み、新里町大久保の信号を右折します。突き当たりが新里北小学校、道なりに右にカーブし林道(作業道)に入ります。舗装が切れた辺りの路肩に駐車。少し進むと左の山側に大久保の石造大日堂と刻まれた立派な立派な標柱があります。ピカピカの御影石で辺りの景色を鏡のように写しています。
斜面は既に大日山に続く斜面なので、標柱の脇から薮をかきわけ、赤松の倒木を跨いで直登すると、大日堂はすぐですが、作業道を先に進み、尾根と作業道が合わさる辺りから尾根に取り付き、杉の植林地の中を進んでゆくと、南面が開けた素敵な風景に出会います。大日様が祀られるに相応しい景色です。こちらから登っても最後は薮漕ぎになってしまいますが。
新里村の文化財にはそびえていると書かれていますが、それほどの山ではありません。隣の観音山の磨崖仏は山頂ではなく、中腹に祀られていました。大日堂も山頂より、やや下に祀られています。近くには堂身が半分ほど埋まった同型の石祠がありましたが、こちらも大日様でしょうか。一応山頂と思しき辺りまで足をのばしますが、薮の中、何もありません。

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