阿武山(関西篇)

*承前
稜線を歩く計画は潰えましたがどうしても阿武山山頂は踏みたい。小学生の頃、兎狩りという学校行事で何度か走らされ、大きな古墳や京大の地震観測所がある小さな里山は、ここだけ登りに来るには旅の日程が足りません。大岩口から乗ったバスを安威で下車。すぐ右手の山腹に大きな赤鳥居が見えます。

阿武山古墳の標識に従い入る山道は手すりがついた整備された急登で始まります。笹床に常緑樹の緑が映える道は歩くひとが少ないのかけっこう落葉が深い。しばらく息を喘がせて下から見えた大鳥居をくぐり、ここから斜面は一気に緩やかになります。
様子のいい雑木林の中に古びた稲月神の祠が外屋に守られ、迷いませんようにとお願いしてカーブを描く落葉の道を辿ります。こんなに厚く葉が落ちているのに緑の濃い常緑樹も多く、北関東の里山とは違う植生を楽しみながらゆるゆると歩くのは気持ちがいい。道は分岐を重ねますが要所要所には案内標識が設置され、古墳への印に従って登山道を外れ、フェンス脇を進んで小径の整備された広々とした場所へ。

この古墳の構造は漆喰に固められた他に例がない珍しいもので、被葬者の骨もそっくり残り、贅沢な装飾や副葬品から「貴人の墓」と呼ばれていて藤原鎌足の墓ではないかと言われています。今は公園のように整備されていてあまり古墳らしくはありませんが、墓室のあった場所には花が飾られていました。
暗くてごちゃごちゃと掘ってあった記憶とは、そりゃあ長い時間を経ているので違って当然ですが、すぐ後の地震観測所の建物が記憶通りに残っているのが面白い。この辺りを兎狩りと称して小学生の団体が(筆者の頃はひとクラス50人近く、それが一学年で6つも7つもありました)どたどたと走り回ったのですからいい迷惑だったかもしれません。

山道へ戻り緩やかに登れば山頂手前に展望が開ける場所があり、すぐ下には茨木市街、霞んではいましたが大阪市内の高層ビル群も一望。寒い日なのだからもっとキーンと晴れてもいいのに。大阪は空気が濃いようです。
少し登れば280.9m、雑木に囲まれた小広い山頂で三角点とちょっと怪しいトーテムポールが二基待っています。ここは展望はありませんがハイカーらしきご夫婦や犬を連れた少年が休んでいて、いかにも市民の山という感じです。

さてここから下る道は幾通りかあるのですが、余り広くていかにも自然遊歩道というのは避けたい、とまたもや筆者は力量も考えずに生意気なことを思ってしまい再び迷走が始まります。
一番野趣に富んだように見える東への下り、けれどもよく踏まれた道を辿れば、実に当会好みの笹床を縫う緩やかな山道がだらだらと続きます。この山は鳥が多くてちょっと警戒音じみた高い鳴き声は鵙かしら、チチチチと短くさえずるのはケラの仲間でしょうか。いかにも里山らしい心楽しい道です。

心豊かにルンルンと進むといくらか広い山道に突き当たり、ここには案内標識がありません。筆者何にも考えずに右へ。ああ、稲月神の馬鹿(違)。ここ、後で見れば左に登り返してそのまま下るらしいのですが、もう足は下ることしか知らず、筆者はまず地図を右左でイメージする癖を治さなければこの先も苦労しそうです。
道は笹薮の中を作業道じみてきて、一体どこへ行くのでしょう。しばらく足に任せて黙々と進むと、門のあるフェンスを抜けて高台の住宅地へと飛び出ました。計画よりずっと左寄りで、ここからは軌道修正のために病院の裏門の隙間を潜ったり大学の構内へ突入したり。あんまり普通の道なので行き会うひとにここはどこ?なんて恥ずかしくて聞けません。
ようやくバス停を発見して、出発地よりひとつ京都寄りの摂津富田駅へ辿り着けば空はもう夕暮れて、ほんとうに一日よく歩きました。しかも舗装道の方が長かったかも。

本来ならなだらかな山稜をのんびりと、自然と歴史を楽しみながら歩くコースです。そして普通なら迷うことなどない整備されたコースでもあります。筆者の脳細胞が「本来」や「普通」からいくらか外れた哀しい出来なのが問題。
もういくつかこのあたりの里山を歩くつもりなのですが明日は果たして大丈夫なのかしら。

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阿武山(後の山)
安威からの案内標識
大鳥居を潜る
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稲月神さま 広々と緩やかな登り 古墳への分岐
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古墳の場所 山道へ戻る
遠くに大阪市街
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280.9m
よく踏まれた下り
笹床の中をゆるゆる下る

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