愛宕山・雷電山(名久木山脈)

*「山田郡誌」を繙けば「名久木山脈は三峯山より西南に延び、山田川及び名久木川の分水界をなし(川内村・山田)山崎に終る」とあり、ひゃあ、山脈、なんて素敵な響き。その名久木山脈の最初の高まりが愛宕山で、白瀧神社のすぐ裏手にあたります。
桐生・みどり百山選定委員会はいよいよ裏山の部に入り実地調査に余念なく、筆者は代表幹事がいなくなってすぐ越路を探してこのあたりを歩き回り、薮と猪の痕跡に敗退しているので勇んでお供に加わります。

白瀧神社の駐車場から入る山道は痩せた檜の植林地に入ってあやふやとなり、代表幹事が心眼で見たという道は一同には全く見当たらずつい左の山道へ。こちらもすぐに道ではなくなり羊歯に覆われた斜面にぶつかります。とはいえ高度差5、60m、すぐそこに寒々とした空と稜線が見えているのですから、構うものか直登あるのみ。枯れきった檜の小枝をぱりぱりと踏み鳴らし、掴まるには余りに頼りない羊歯の葉に縋って暫く息を切らします。

稜線に出会えばつい最近造られたような小さな覆屋のようなものがあって、けれども中は空っぽ。稜線上はいくらか踏み固められて歩きやすくなっていますが、この場所へ下から登る道もなさそうで、そのうちどなたか神さまがいらっしゃる予定なのかしら。
その稜線をほんの少し上へ辿れば寛延二年(1749)の銘のある石祠がある小さなピークでどうやらここは雷電山のようです。とはいえうちの代表幹事がそう呼んでいるだけで石祠には神さまの名はありません。名久木には地元の方が作られた丁寧なガイドブックがあるようで、この山脈も紹介されているのか興味津々、ぜひ入手したいと思っています。

さてここから稜線を南下してお隣の愛宕山へ。踏み跡は薄いけれどもそれまでの登りとは段違いの快適さでどの山も尾根道は歩きやすい、あっという間に愛宕山山頂に着きます。
ここには大きな石祠がどっしりと鎮座し、愛宕大権現と明和4年(1767)の銘。愛宕権現は火防の神さまですが、勝軍地蔵を本尊とする戦の神でもあり、塞神や天狗でもあるというけっこう複雑な方。祠の前に注連縄が張ってあったので今でもお詣りする方がいるのでしょう。登ってきた白瀧神社には背を向けているので名久木側からが本来の参道なのかもしれません。祠の建立者の「慈林寺八世」とは誰なのか知りたいし、高源寺への途中にあるといううばみ岩も探してみたいし、雷電山から先の煙硝蔵の山やもっと先の505mピークも気になる。
名久木山脈、なかなか謎に満ちて魅力的ではありませんか。

下りは最初こそ檜の間に緩やかに続きますが、そのうちやはり道とは言えない斜面をばきばきがさがさと降りることになります。風花の舞う冷たい日で震えながら白瀧神社で昼食を摂りましたが、この寒い時期でないととても歩けないようなコースでした。
心眼さえあればほんとうにもっといい道がみつかるのかしら。

* * *
白瀧神社から見上げる稜線
山道の始まり
道のない斜面を直登する
* * *
雷電山山頂
愛宕大権現は大きい
植林地を下る

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