寄稿

秋の夜長の物語

あずき婆さんは山の急な坂道の上にたった独りで住んでいた。如何してあずき婆さんかと云えばなにやら夜中に笊に小豆を入れて洗うらしい。その時の、歌とも誦経とも判じかねるのだが、細い声で節をつけて長く続く婆さんの声は聞く者の心胆を冷たくさせると云う。年に幾度か婆さんがうちに酒を求めに来ると、普段は大人しい母親が露骨に邪険に扱うので、子供の頃不思議に思って訊ねると「あずき婆ぁのことなど聞くんじゃない」と小生まで邪険にされて、それ以来婆さんの姿を見ても何も云わないことにしている。

あずき婆さんの家を初めて訪れたのは、出征前日の夜だった。赤紙が来て東京の学校から急遽故郷に戻り、役場で手続きを済ませて母親がばたばたと用意した形ばかりの宴席に親戚一同集まり、その席上で大叔父がやたら小生の女性体験を聞くのが鬱陶しい。だから田舎の年寄りは嫌だ、このお国の非常時に勉学に励むため東京に行ったので女性と遊ぶために親から無理な仕送りを受けている訳ではないと憤慨した。
その夜親父から手紙と一寸した食べ物をあずき婆さんに届けて来いと言われて渋々裏の山へ向かった。懐中電灯にも灯火管制のつもりか薄い紗が掛けてあり歩き難いこと夥しい。実に急な坂道でいくら甲種合格の頑健な小生といえども時々歩を止めて息を入れた。
婆さんの家、というよりも小屋はランプの芯を思い切り短くしてあるので煤の臭いが充満し、窓は濃い茶色の紙で塞いであるので二酸化炭素が目に見えるようで、清潔好きの母親に育てられた小生としては直に帰りたいが、手紙を渡して返事を貰うようにと云う親父の言付けだから仕方がない、勧められるままに燻りきった囲炉裡端に恐る恐る腰を下ろす。一間きりの部屋は乱雑で所狭しと衣類や箱が積み重なり目を背けたくなる。ところが部屋の一隅には縮緬らしい鮮やかな色の布団が敷きっ放しになっており、隅に紅絹のかかった凝った菊花の彫刻の、どっしりした鏡台が置いてある。この小屋では異彩も異彩、そこだけが別世界に見えた。
どうも困ったことに婆さんは目が悪いらしく、親父の手紙をランプに近づけて矯めつ眇めつしながら、一文字一文字唇を動かして、なかなか読み終わらない。読んであげましょうかと云いたいが、ものは親父の私信であるからそうも云えず、小生は畏まって囲炉裡にあたっている他ないが、呼吸する度肺が汚れていくようでなるべく息を浅くして待つ。

「相承知」突然婆さんは澄んだ声でそう云うとランプを消す。囲炉裡の炎が突如大きく見え小生は慌てた。「父にそう伝えます」なんだかちょこまかと動き回るあずき婆さんに中腰で云うが、手桶に湯を入れたり戸口に心張り棒をかけたりで聞こえていないようだ。戸口を塞がれては堪らない。うわとかこらとか意味なく口走りながら、小生は土間に降りようとしてあたりに置いてある小物を蹴散らし、茶碗でも引っくり返したのか薄暗い小屋に灰神楽が立って咳き込む。自分が敷いていた薄縁に足を取られてつんのめり、前に手を泳がしたら婆さんを掴んでしまった。顔や手は日に焼け白髪まじりの髪を小さく纏めて、母親よりかなり歳上のように見える婆さんが小生を抱きとめた、その力強さ、機敏さ、なにより柔らかな身体の弾力に驚く。「大人しくなさいまし。お父様からの手紙、朝まで帰すなと書いてありますよ」耳元で聞こえる婆さんの案外に若い声と、この辺の訛が全くない話し方にまた驚く。抱きとめられた身体を離そうともみ合ううちに乱れた婆さんの襟元から覗く肌が、顔や手とは別人のように暗い中でも白く滑り、しかも麝香のような香りが立ちのぼるのに当惑する。「暴れないでわたしに任せなさい」婆さんの笑いを含んだ声にかっとなり、じたばたと逃れようとするが小柄な年寄りに本気で抗えば怪我をさせるという分別も働き、なんとなく曖昧な気分のまま二人で床に倒れ込んだ。絡み付いて来る婆さんを突き除けようとしてもするりと身を躱され、そのくせもう別の所をうまく押さえ込まれ、「しょうがない坊やだねえ、他の坊やはもっと大人しかったよ」と笑いながらいつの間にやら両手首に扱きが掛けられて小生は柱に縛り付けられる。
するすると着ているものを脱いだ婆さんの裸身が囲炉裡の炎を照り返して白く輝き麝香に似た香りが濃くなって、小生は何が何だかよく判らないまま裸にされた。いくら何でも初体験の相手があずき婆では救われない。とは思うものの婆さんのどういう手管か、すべすべした婆さんの身体が覆い被さる度に信じられないほどの快感が脳天を貫き、婆さんは小生を鼓舞するように細く可愛い声を上げ続けた。
翌朝帰ると親父はいつもと同じように愛想のない顔のまま一つ頷き、母親は腫れ物に触るような扱いで、小生としてもこの件について何を話してもバツは悪い。それぞれがなにもなかったような顔をして、万歳三唱で集合所に向かった。

翌年の夏に戦争が終り、幸運にもすぐに帰省できた小生は、最後に支給された缶詰や毛布を持ってあずき婆さんの住む小屋への急坂を登った。兵役中、なんたることかあずき婆と思っただけで小生の胸は疼き切なくさえなる始末で、軍隊仲間と悪所通いは繰り返したが、あの夜の婆さんに勝る女はいない。
小屋は扉が壊されて中はがらんとしており、積み重なっていた箱や着物、勿論派手な布団も立派な鏡台もない。村の皆の話では急坂で転んで打ち所悪く、婆さんは死んでしまったと云う。それとは別に秘かに囁かれる噂では、婆さんの元に通う亭主の後をつけた若い女房に殺されたとも云う。
なんだか気の抜けた小生は村の男衆が小銭を出し合って建てたという墓に参ったが、そこにはただ“小豆”と刻まれて、享年51才と加えられていた。

そのうち婆さんの小屋への急坂は“三年坂”と呼ばれ出し、そこで転んだ者は三年以内に必ず死ぬという。
小生は親戚に薦められた娘を娶ったが三年で別れてからずっと独り身である。
馬鹿なことに時々あずき婆さんの墓参りをしているが、たまに新しい花など供えてあると少し嬉しい。

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