寄稿

秋の朽ちゆく物語

秋風が吹くたびごとにあなめあなめ、といえば小野小町、ひいては九想詩あるいは小町壮衰記ですが、こちらも所は同じ奥羽・陸奥の境、深い森や山には行き倒れた人々の骸が打ち捨てられ、生者と死者が境もなく山で出会っていた頃のお話。

森山某が夜更けて山道を辿るのは主の御用が思いの他時を要したため。老いたとはいえそこは武のもの、早足で白嶺の細道を急ぐうち、とある木立の元より濁みた声の謡が聞こえます。
 ーほに出る枯れ尾花 訪ひ事しなうき寐の夢 さむればみねの松風ー
くり返されるその謡の凄々とした響きに思わず足を止めて探してみれば、枯れた草間に朽ち残ったされこうべ。暗い眼窩のあたりより、薄が穂を出し、夜目にも白く揺れ、上下の歯が丈夫そうに生えたままの口元が上下して、そこからの謡の声は高く低く終わることを知りません。 木々の間に高く月がかかり、その光を鈍く写して野の風に晒されきったされこうべ、滑った艶を発して陶然としているようにも見える。見とれていると
 ーそこの方ー
と髑髏が眼球の既に落ちきった眼窩をかくんと上げて呼びかける。
 ー我が頭に生えし草をどけてはくれまいかー
戦の世はもう遠いとはいえ、こんなことで驚くもののふはおりません。されこうべから伸びる薄をむんずと掴み手に絡ませて引き抜きます。
 ーおう、目が痛くてたまらぬが、手がどこかへ行った故どうすることもできず耐えておった。いやその辛いことよ。ありがたや、これで苦しみも解け申したー
その後暫く傍におりましたが、もう髑髏は一言も口をききません。

森山某、奇異なことがあるものよと思い、翌朝帰り着く早々主の前にてこの話をいたします。ところが主を始め居並ぶ同輩、みな大いに嘲り笑う。
 ー何条、さやうな事のあるべきー
 ー異なる偽りはますらをは云はぬ事ー
 ーよし有るとするも狐狸のしはざなるべし。魅(ばか)されただけー
誰ひとり聞き入れません。森山某おおいに面目を失い
 ー偽りにあらずー
お話を語るときは今も昔も充分に気をつけなければなりません。それが実のことであれ虚のことであれ、聞くひとが納得しないからといってむきになってはおしまいです。同時代、落語の世界でありますれば、髑髏を見つけて酒などかけて供養せば、夜になって綺麗なお姉さんが訪れてくれたりしますものを、老いたる無骨者、この加減に疎かったようでつい言い募る。
 ー武士たる者偽りなど申すはずもなしー

 ーさらば持ち来られよ、そのもの云ふを見んものをー
もともとこの森山某、憤激のひと。ひとつことに夢中になると己の思いに一途になり、周りのこと、後のこと、全体のことが見えなくなる性で、子のないまま妻に先立たれ、もうとうに家督を養子に譲らねばならぬ年齢を過ぎても、お勤め大事と主に仕える良く言えば一刻者、別に言えば生きることに遊びのないひと。同僚の挑発にうかうか乗ってしまいます。
 ーされば持ち来よう。もしこの話に偽りあらば武士の命に替えて首を賭け申すー

再び南部の山嶺を目指し走るように歩きます。秋も終りの風は冷たく山道はくねくね細くどこまでも続く。落葉樹の森は深く、全ての葉を落とした木々はざわめき、足元の乾いた落葉は踏む度にぱりぱりと砕けて、森山某ひたすら心がいきり立つ。
覚えのある場所に着いて探せば、されこうべは猶ありて、いまにももの言う面ざし。
 ー昔はいかなるひとか知らざれど、実は我、かかる賭けをして参った。望み通り草など取り除き、苦しみを救いし礼に、どうか主とともばらの前でもの云ひて給(た)べよー
面目をほどこしたいばかりに、おのれの好奇とささやかな善意に思わず礼など求めてしまいます。髑髏は快く諾い、森山某、大喜びで持って来た油紙に丁寧に包み、大事に大事に持ち帰る。

 ー皆様よくご覧あれ。我の云ひしこと偽りと申した不明を恥じ謝っていただこうー
もうすっかり暮れた薄闇の、月明かりの中に包みを開いて取り出し、されこうべに命じます。
 ーさて、謡など諷へよ、ものなど語られよー
ところが髑髏は眼球のない眼をかっと見開いたまま、真っ白に揃った上下の歯を固く閉じたまま、ものを云う気配はない。
 ー諷へ、語れー
されこうべに取りすがり、赤くなったり青くなったり、結った白髪をふり乱し見苦しく懇願する森山某。周りに居並ぶ主をはじめ同僚たち、大いに勃恚し、よくも根もなき空言を云ひつのる偽り武士とて、終に賭けの如く主人の前にて頭を刎ねられけり。なんだか無茶な話ですが、一度してしまった賭、抛っておいても老武士はきっと腹をかっ捌いたでしょうから、頭を刎ねるのも武士の情けかもしれません。それにしてももののふの末裔たちのなんと窮屈なこと。

森山某の首が飛び、髑髏の前に落ちた時、されこうべが大口を開き、突然がやがやと哄笑します。
 ー今こそ我願ひ叶ひ、多年の本懐を遂げて、恨もはる月の上がればみねの松風ー
凄々と謡い出し、一同のなすすべもなく見守る中、その謡は長々と尾を曵いて耿耿と照る月の空に吸い込まれてゆく。謡がぴたりと止んだ後はただ風が吹くばかり。

この髑髏、森山某がかつて些細なことからさして罪のない家隷を手討ちにした者のたたりが残り住(とどま)り、多年の恨みをこの時洩せしとなん。
生者の時は刻々流れことども忘却の彼方に遠離って行きますが、死者の時はある一点で停止したまま永劫の中で熟すだけ。山はその異なる時が交錯するこの世の裂け目なのではありますまいか。

柴田宵曲編「黒甜瑣語」よりのお話でございます。

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