馬着山(美保関)

*出雲大社の後の山を歩こうという予定はあえなく雨で潰え、旅の最後の山歩きは島根半島の東端、美保関にある馬着山です。
筆者は今回の旅の参考資料として”出雲国風土記”に目を通すという猫頭には苛酷な夜を繰り返し、本を開くと眠ってしまうという仕様なので当然あまり読めてはいないのですが、各論の最初、意宇群総記の冒頭の国引きだけは雄大なスケールと繰り返される神語のゆったりしたリズムが印象的で、それによると美保関は北陸から引いてきたとされています。あちこちから引いてきた土地を固定する杭が大山というのですから、神、どんだけ巨大やねん。

松江からの一畑バスを万原で町民バスへと乗り換えて終点美保関漁港へ。港の背後の山間には恵美須神の美保神社の大きな屋根が光り、石畳の通り沿いには小泉八雲が滞在したという古い宿や小さな土産物屋さんなどがあって、船はもう漁を終えたのでしょうか時間が止まったような静かな町です。
ここからはしおかぜラインと呼ばれる海際の舗装道を、右手にもやもやと霞む大山をずっと眺めながら東の先っぽへと歩きます。カーブを描く道の高度は少しずつ上がり、眼下にうねる海と晴れた空の青に揉まれていると目眩がして体感があやしくなって、慌てて左側の山稜の緑に目を移します。不動の大地はどしんと構えていて安心できる。道からはかなり下、波の打ち寄せる岩礁にときどき釣人がいましたがあんな風に同じ地点で熱中してたら酔わないのかしら。

小一時間ほどで地蔵碕の燈台駐車場に到着。平日ですのでそんなに車はなく(だいたい歩いている間ほとんど車に会いませんでした)、正面には日本海を眺める展望台、背後には美保湾と大山の展望台、左手には馬着山への登山口、そして右手に緑に囲まれた真っ白な可愛い燈台と赤い屋根が見えます。
まずは遊歩道を辿って美保関燈台へ。明治半ばの石造建築で”世界燈台100選”のひとつです。横にあるかつての職員宿舎はレストランになっていて、ここで空気の澄んだ日は見えるという隠岐の島の姿を想像しながらアルコールと食料をお腹に補給。魚や海藻が余りに美味しくてビールを過ごしてしまったので、あららんだいじょぶか筆者。

恵美須さまの釣り場だという沖之御前と地之御前の鳥居に手を拍ってから馬着山の登山口へ。轍も残る緑の刈られた広い道はまず日本海の眺めが開ける小平地へ真直ぐに登ります。両側から稜線が合わさる真下の砂地に波が打ち寄せ、明るい群青の沖に小さな船が何隻か白尾を曵いて、空は上空へゆくほど蒼を深め草の緑はさわさわと揺れながら輝いて、普段目にすることのない風景を目に焼き付けます。足元には無数の庭石昌が星形に花を開き、もうごろんとひっくり返って眠りたいような。
いや、まだ山は始まったばかり。この平地の左側から五本松公園への標識に従い、濃い緑を見上げて木枠の段々道を上がります。濃淡入り交じる緑は陽射しを透かし、道脇には羊歯が柔らかく開いて、傾斜は徐々に急になりますが目指す空は明るくて筆者ひたすら上機嫌。

階段道を登り切ると、周りは楓と桜でしょうか明るい緑に囲まれてほとんど平坦な道が続きます。所々に標識とベンチがあって五本松公園への距離がだんだん短くなるのが嬉しい。ただし本日はどなたも歩いていないようで蜘蛛の巣と、葉っぱから垂れ下がる毛虫の類いが多いのにはちょっと閉口。ストックを振り回して蜘蛛の巣除けにしますが、汗を拭うために脱ぐごとに、帽子に小枝に見紛う尺取り虫や青虫がついてるのは防ぎようがありません。けれども樹間からは右にも左にも海が見え、これは初めての経験で意気は揚々です。
尾根が緩やかに南に回り込んで合流する主尾根の東屋からは境港の町の平坦な家並と、その向こうに霞むのは京羅本山と見たのですがまあ筆者の同定は余り当てにはなりません。緑はいよいよ明るく、足元にはよく見るとササユリらしい葉が見えて、花咲く頃は一面あのいい匂いに満ちるでしょう。

緩やかな登りを段々道で登り切るとすぐ”馬着山山頂”の標識、240mです。標識わきにあるコンクリートの塊は砲台跡かしら、なにかのモニュメントの残骸かしら。このすぐ先にベンチとテーブルがあってここからは日本海一望、素敵な風に吹かれてザックを降ろし休憩です(ずっとついていたらしい何匹もの毛虫を指で弾き飛ばしました)。左手には木立ちの間に五本松公園らしい低い山稜と美保関の港や家々も見えます。
風と戯れ眺めを満喫しさてと下り出したところで、ふぇー、筆者苦手の蛇の方が道一杯に長々と寝そべってるじゃありませんか!本来ならぎゃっと叫んで戻るところですが、筆者未だほろ酔いで道程は既に半分、その上その蛇がなんだか美しい。青大将だと思うのですが、濡れたような木賊色でお腹のあたりはもう少し淡く、あんまりのんびり長くなっているので鰻の王さまのような風情。多分こちらに気づいてないようなので、どたどたと足踏みしてストックでコツコツ地面を叩いてみます。と慌てる蛇の方。
八岐大蛇はお酒を呑んで退治されちゃいますが、筆者もどうやらお酒の力で強気になってなんとか引き分けに持ち込めたようで、あちらは日本海側にがさがさ去り、こちらは美保湾側へ大急ぎで道を下る。それにしても今まで見た中で二番目には大きな蛇で、もしかしたらかつての大蛇の末裔で三岐大蛇だったかもしれず、頭を草むらに突っ込んでいたので目が合わなくて良かった。暫く心臓がばくばくしていました。

前方に長いやつがいないか目を凝らしながらいくらか急な谷道を下りきると峠です。左は美保関の仏谷寺、右は日本海側の小さな浦の才、どちらもよく踏まれていますが今回は正面の木枠段を登って五本松公園へと進みます。
檜の混じる濃い緑の間の階段が終ると赤土のちょっと抉れたような道は平坦になり、すぐに新しそうな鳥居と狛犬のいる御穂(みほ)社に。これは美保神社の奥宮という説もありますが、大国主命と越後の沼河比売との間の御穂須須美命の社じゃないかしら(大国主命は何人もの妻を持つので影の薄いお子さんも多いのです)。古びた木の祠に手を合わせて背後の道へ進むと金属製の鳥居がいくつも続きます。

鮮やかな緑の葉蔭を散らす石段が現われ、登り切ると広々とした空が開けて、大きな休憩舎や平和記念塔などがある五本松公園です。躑躅の名所で盛りの頃は人出も多かったのでしょうが本日は筆者のひとり占め。最終期の花の間にこれから下る道や美保関漁港、歩いてきた馬着山の稜線や、途中の東屋も見え、美保湾の向こうにうっすらと大山、右手にはかすかに境港も浮かんで、空も海も広い。開放感のある実にいい眺めでした。
民謡に歌われているという関の五本松(どれも代を重ねているので小さい)を過ぎ、閉鎖されて久しそうなリフトの駅を横目に歩けば、お土産屋さんが一軒だけ開いていて、その埃を被ってあんまり寂れた様子にちょっと驚きます。
ここからは手すりなどが整備されているとはいえ本日一番の急降下が続き、燈台のレストラン以来初めての人影は廃墟ファンかしら、下のリフトの廃駅を熱心に撮ってらして互いに人がいるのに吃驚。なんだか蛇のときよりどきどきしてしまいました。
あとは九十九折れの道を一散に下ってあっという間に美保関漁港の西端到着。名物の烏賊の干物が青空に白々と翻るのや、海猫の声や波音や潮の匂いの柔らかな風を楽しみながらバス停へと歩きます。

とりあえず今回の山陰の山歩きはこれにておしまいです。どれも一期一会の山道なのに、この概念図を作っていて三角点が三つもあったのに気づくという情けないテイタラク。全部踏んでいるはずですが大事な証拠写真がありません。次の遠出のときこそはしっかり下調べして出かけたいと固く心に誓うのでした。

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境港の町はすぐそこ(バスから)
小泉八雲が滞在した宿
右手にずっと(うっすらと)大山
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途中の恵美須さま 美保関燈台は可愛い
日本海じゃ〜
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かつての燈台職員宿舎
海がご神体
いざ五本松公園へ
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最初は木枠段の道
緑は明るく道は平坦
ときどき海(こちらは境港)
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馬着山頂上
頂上直下のベンチ(こちらは日本海)
五本松公園と美保関の家々
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峠分岐
明るい道が御穂社へ続く
社の裏に連続する鳥居
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五本松公園
美保関漁港を見下ろす
歩いてきた稜線
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閉鎖中のリフト駅
最後の下りはけっこう急
下り着く美保関漁港

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