7月定例山行 代表幹事代行 

沢は滑るから嫌です。岩場は体質にあってないみたい。長い林道歩きはちょっと今週は控えたい。夏の里山は暑いから少しは高くなきゃ。余り早起きはしたくないからなるべく近くの山で。親指が痛いからスニーカーで行けるとこが。
注文ばかりつけて今回は代行でも楽々だと思われる☆ひとつの備前楯山を計画してもらい、2週続けて足尾の山です。

この山は代表幹事とこの秋に約束していた山でした。毎年毎年秋になると白秋の落葉松を愛誦し、なっ、とか同意を求められて、だってあたしゃ落葉松の林から林へなんて昔歩いた軽井沢だけだよと答えたら、あれまおまえと秋に備前楯山に登らなかったっけ(!)。ここ4、5年3日にあげず山に入っていたものだから、代行とどこへ行ったのか写真やHPを見なきゃわからない代表幹事は自分で呆れながら、では黄葉の季節に絶対連れてってやると言ってたのですが。
どうも代表幹事は三月生まれにもかかわらず、春の歌や句、詩を口ずさんでいるのを聞いたことがありません。せいぜい夏に山頭火。そのくせ秋になるとこの落葉松はじめ、晶子の「金色のちいさき鳥のかたちして…」、牧水の「白玉の歯にしみとおる…」他を突然呟き出し、キミは秋脳の人だよね、しかも詩歌に関しては近代止まりだね、なんてからかってた。

先週歩いた銀山平から右折して舟石峠へ、今回は会長運転の後部座席にふんぞり返ります。舟石林道は小さな落石が散らばる細い道で、幸い対向車には会わなかったものの、子鹿が跳ねていたり、猿が数匹のんびり日向ぼっこをしていたり、さきたまの国の平坦地に住む初代会長と会長は驚きながらも大喜び。
駐車場には先行の方の車が二台だけ。3連休ですからみなさんもっと高い所へお出かけなのでしょう、がらんとした広場から雲に包まれた男体山がどっしりと正面に見えます。
その男体山を背に登り出してすぐ、爽やかな笹の香りが匂い立つ道の右側に落葉松の明るい林が開けます。残念ながら林を抜けるとすぐ小楢や櫟の続く道で、白秋の詩のように落葉松の林から林というわけにはいきませんが、秋の輝く黄金色が楽しみ。でも青いままの落葉松だって充分にさびしかったり、楽しかったりで、世の中よあはれなりけり、であります。

途中一カ所だけ細い分岐がありますが(どこへ行くのだろう)、はっきりした明るい雑木の道が続き、笹がなくなれば尾根通しの風に吹かれてゆるゆると歩く。初代会長が地下足袋さえ履かなければこっちのもの、ガイドブックのコースタイム通り代行だって歩くことができる道です。土が流れてしまった階段を過ぎ、道に石が混じりだすと右側の木が低くなり始め、ちょっと急な登りを登り切ればごつごつした岩の山頂。一気に視界が開けて、右手に男体山がさっきよりすっきりと姿を現しました。頂上の先の展望板は腐食してしまって文字は読めませんが、左手奥には皇海山の綺麗な形が雲の隙間に見えます。
登り出しが1,000mくらいですから、あっという間に登れて眺めも高度感も満足できるお得な山です。散々注文をつけてこの山へ連れて来てもらったくせに、あと1時間くらいは登りたかった、などと勝手なことをいいながらおにぎりを頬張る。

この3人で山を歩けばどうしても代表幹事の話になって、どこへ行っても追悼登山です。会長が二人で聖岳に登った時の話をすれば、初代会長は深夜残業のあと背広姿で御嶽山へ同行した時の話をし、代行は常念岳散々の巻の話。常々相手の不在を生きなきゃならない方が辛いと思っている代行ですが、たったひとつ、最後は苦笑まじりで代表幹事お得意の「勇気ある撤退」や「山頂を前に飲んだくれてへろへろになる」貶し話、思い出話で盛り上がることができるのだけは残った方の特権かも。せっかく登った山頂から立ち去るのが惜しいばかりに、○○沢の遡行ではとか、○○山へ行った時にはとか、○○峠の山小屋でとか、○○途中の雪の中でとか、いつまでも昔の話にふけります。

そういえば、二十数年前桐生に来たばかりの頃によく二人で日光の山へでかけました。その途中で目にするこの備前楯山(その頃は名前を知らず足尾銅山という山だと思ってた)、一緒に秩父の山へ行く時に見る武甲山、そして桐生初の登山だった小俣の石尊山。山肌が露な山は本当に痛ましい。見てはならないものを見たような寒々しい気分になります。その頃から比べると今のこの山は見違えるようですが、それにはここ足尾や渡良瀬川流域のたくさんの人々の甚大な被害があり、田中正造の直訴を始め今現在の植樹に至るまで数多の人の努力があるのだと思うと、なんだか人の営みというものが切なく、やるせなくなります。

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