白平山

*昨年の春、山の名を調べるのに当地の営林署(今は森林管理署と呼ぶのですが)を 訪ねたことがあります。山頂の名は余り記載されていませんでしたが、管轄の沢の名を驚くほど細かく教えていただいて、その前年、偶然発見した三峰山の八大童子や岩窟のお不動 さまのこともよくご存知で、それよりなによりその所長さんが妙齢の女性、山稜でよく目にする赤い境界票をひとりで貼って歩くのだと聞いて、怖くないですか とかGPSはどんなのをお使いで?とか山名そっちのけのお喋りが弾み、なんだかんだ言ってもこんな女性がひとりで山歩きしている日本は捨てたものではない と思ったのでした。
山野研究会の記事にある残馬山のお不動さまもご存知で、連れてってくださいと思わず言えば、遊びじゃありません、仕事です、と凛として断られ、そりゃそう です、いかにもとろそうなおばさんを連れて歩いては足手纏いになるばかり。

いよいよ年も押し詰まって山へ行きたいけれどただいま筆者は組長のおツトメ中、地域の大掃除をさぼるわけにもゆかず、うんと遅い出発で面白くって満足でき る場所、ということでこの残馬山の支尾根にあるという白平山(と言っても稜線上のピークではありませんが)へと。
いやあ、『山田郡誌』に昭和十年に登った方の記述が載っていますが、ほんとうに「山腹障壁状をなし」「傾斜頗る急」で、まあいらっしゃらないでしょうがも し行かれる方、絶対に単独行は駄目、ロープ必携です。

忍山林道の終点に車を停めて歩き出せばもう沢筋は岩石重畳、忍山川も上流部分は残馬峡と呼ぶそうで、すっかり冬枯れの様相のその渓谷を危なっかしく木橋で 渡ります。本筋を辿れば残馬山への登路となるそうですが明瞭な道はないようで、両側から大岩が張り出した間を流れる水は澄みきって青空を映しいかにも冷た そうです。
すぐに右手の斜面に進路を変え、昔は道があったと聞きますがいまやその痕跡もなく、白平不動沢と教えていただいたけれど水の気配はない浅い谷を前を行く桐 生みどりさんやげきさかさんの 足場を見ながら登ります。すぐにいくらか開けた落葉の積もる場所に出て、まだ歩き出していくらも経ってないのにひと息。山が土でできてるなんて思っちゃ大 間違い、薄い土の下は積み重なった石ばかりで、周りの裸木たちはみな石を抱いていてひょろひょろと細く、その頼りなさそうな樹木や木の根や岩の角に手を添 えてバランスを取りながら左手の尾根へと、よじ登ったり急斜面を横切ったりが続きます。

山側には大岩が張り出し足元の落葉の下はごろごろした石で、筆者はほとんど下ばかり見て周囲を見回すゆとりがないのですが、空は青く晴れ渡り、冬至間近で 弱いとはいえ陽射しを跳ね返す石たちは確かに白っぽく輝いて、歩き出しが寒かったので着込んだジャンパーが鬱陶しい。
岩の間を膝まで使って攀じり続けると右手に垂直の断崖が現われます。この中ほどに剣を捧げ持ち火焔を背負ったお不動さまが鎮座しています。が、これ、どう やって運んだんでしょう。けっこう脆そうな岩肌をつたって上がったのか、あるいは上から真直ぐに綱で降りたのか、とても近寄ることはできそうもありません が、見ることはないだろうと思っていた石像、何枚も写真を撮って首が痛くなるほど見上げます。

さて、ここが今日一番の難所。新旧二本梯子がかかっていますがそれに取りつくまでの鎖場がいかにも滑りそうで怖い。あにねこさんのハーネスをお借りして装着し、ロープを張ってい ただいて、筆者はかなり重いからでしょう、ハイトスさんと 桐生みどりさんに上で確保して貰います。鎖は古いもので足場の補助の木はもう朽ちていて、ひえー、行けるのか、筆者。
落ちても大丈夫、ぶら下がるだけです、なんて言われるとそんな気にもなって、でも下を見ると足が竦みます。えいやあと歩き出し、上の斜めの梯子をぎしぎし 鳴らしてようやく到着すれば、後から来るおふたりは実に軽々と登ってきて、やはり筆者は足手纏いなのですが、そんなの気にしないもん。

この後の鞍部への直登も急で、上からロープを投げていただけばあら不思議、落ちても大丈夫と思えば思い切ってぐんぐん登れます。狭い鞍部の両側には岩峰が そそり立ち、風花が舞って風が冷たい。右側の高まりに白平山と刻まれた石祠。地震のせいか屋根が落ちていて、みんなで力を合わせてなんとか持ち上げて元に 戻したましたが、その屋根の重いこと。明治のものですが、これを下から運ぶのは大変だったでしょうに、とかつてあった信仰の強さに改めて驚きます。常緑樹 に囲まれイワカガミがびっしりついたいかにもなにかがおわすような場所で、信仰心の薄い筆者は、屋根を直したから功徳があるはずなんて言って、いえあたし は力を使ってないのだからなくてもいいんですが。
この北側への下りの垂直の岩場で三度目のロープにお世話になり、こんな歳(内緒)になっての大冒険気分。明日の身体の痛みが少し心配ではあります。

先へ進めば樹木の緑濃い岩の高まりがいくつかあり、そのいずれにも神さまがいておかしくない雰囲気です。枯葉に埋まりながらあちこち見上げれば正面の尾根 に黒く祠のシルエットが浮かび、こちらは石尊宮。享和の年号が刻まれて両側に古い檜を従えてなかなかの貫禄です。
このすぐ下の陽当たりのいい場所でまずはひと口ずつのビールで乾杯して昼食会。エイト環だのD環だの聞き慣れない道具の話を聞き、奈良部山の岩場の話を聞 き、みなさんの先週の山行を聞き、食べ物の話などして、あら、筆者以外の4人はいつの間にか靴まで脱いですっかり寛いでいます。

大休止を終えて石尊さまの下から谷筋を下ります。少し降りた右手が三階の滝。大きな岩床で高度があり、水が落ちていたら壮観でしょうが稜線直下だから大雨 の日でもないと水は落ちないのかもしれません。
足元に注意しながらまた少し下れば梯子のあるあの難所。身体の向きを変えながらロープに繋がれてゆるゆると通過。行きよりいくらか余裕が出て楽しめました が、鋭く尖ったこの岩峰は見れば見るほど凄い。これが『山田郡誌』で言う桶皮胴なのかしら。

このあたりには神さまが何人いらっしゃるのだろう、この場所の少し左の小平地に石組と朽ちたトタンだけが残る残馬宮址。行き着く手前が紫雲滝というのです が、ここにも水は流れていません。神社の他に神楽殿もあったという説があるらしいのですが、そんな広さはなさそう。もう二度と来ることはできないだろうと あちこち見回し、惜しみながら枯葉を蹴散らし石に足を取られながら往路を下れば一度通った道は確かに短い、木橋のかかる峡谷の少し上流に到着です。大きな 岩が洞門のようにそそり立ちほんとうに峡の字が相応しい流れで、この場所にもしっかり組まれた石組みが残り、ひょっとしたらお神楽はここで舞われたのかも しれません。
もう少し下って急斜面の植林帯へ入ると真下に林道の終点が見えてきます。歩いた距離はそれほどではないけれど実に実に面白かったしどれもこれも興味深いも のばかりでした。

で、『山田郡誌』の昭和十年の紀行文、実は行く前ではなく帰り着いてから読んだのですが、不動沢に入ってすぐ、行者窟なる洞窟に異様な神像、その名も「神 変大菩薩」がおわすというではありませんか!「異様」だの「神変」だのと聞けば伝奇小説ファンの筆者としては放っておくわけには参りません。男性は同じ場 所を何度も歩くのが好きなのだと言っていた今日のメンバーの方々、どうかとろいおばさんにもう一度愛の手を。
(写真、あにねこさんとハイトスさんに何枚かお借りしました)

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最初に渡り終えた橋
岩の間を縫って歩く(ハ)
道はない(あ)
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岩峰が見えてくる(あ)
岩の途中にお不動さま
古い鎖
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ロープを張っていただく
げきさかさんは軽々と 難所を越えても岩場は続く
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白平山石祠
垂直の岩場を降りる
石尊宮
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三階の滝
登ったからには下らねば(ハ) 残馬山神社宮址
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残馬峡、次はここを歩いてみたい
真下に車が見えてくる
おまけ:温泉神社の中のお札

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