"

*代表幹事がいたら、と相変わらず詮ないことを考えることがあって、まあ彼がいれば筆者がこんなに山を歩くことはなく、もちろんこんな文章を書くこともないわけで、もう全く別の時間が流れているにもかかわらずやはり時々考えてしまう。
この季節、彼がいたら間違いなく行ったであろう極楽とんぼさんの慰霊碑を訪ねて、いつも誰かに同行を頼むのも心苦しい、昨年から秘かに目論んでいた思い切っての単独行です。やたら気負っていたので写真が多いのはご勘弁を。

○城山から岡平へ
稜線歩きは明るいし視界も開け心弾むものですが、さてその稜線へ出る道がむつかしい。なにせ方向音痴で勘が悪いので錯綜する作業道などもっての外、だからと言って余り歩かれていない枯れ薮をごそごそ突破するのは嫌、と言って吾妻山から歩くほどの元気はなさそう、簡易舗装が長い金沢峠を登るのは面白くない。となると取りあえずひとりで何度も歩いた城山からはどうだろう。色んな方に相談し、とはいえ皆さんどこでもひとりで歩く(当たり前か)ひと達ばかりであそこは簡単と口を揃えます。ほんとかしら。

昨日はあちこちで初雪が舞い梅田の奥も降ったのだと聞きますが取りあえずは上天気、日枝神社の裏の遊歩道へ入ります。ここには入口と少し先にしっかりした案内図があり、道もそんなに荒れてはいないので城山へ入るときに必ず使うコースですが今年は桜以来。まあ夏には余り歩きたくはありません。
いくつか枝道が岐れますが基本的に上を目指し歩きやすい方を選べば、力持ちの女性が担いで上げたと伝えられる大きな石祠への参道に合わさります。ご加護をお願いして尚登るとすっかり葉を落とした桜の林へ。遠くにちらと赤い山茶花が満開なのが見えますが、今日はそちらではなく上へ、上へ。
木の土止めの階段がときどき現われて、この日を期して先月たくさん歩いたからかあっという間に城山城址。広く開けた山頂にはまだ散り残りの紅葉が青空に映えて、見下ろす家並みは好天で温度が上がっているのでしょう、いくらか霞んで八王子丘陵の後にうっすら奥秩父の山並みが滲んでいます。松が何本か切られてとても明るい気持ちのいい場所ですがどなたもいらっしゃらない。

三角点をちょいと撫でて今日はそんなにゆっくりしてられない、城山林道の終点へのよく整備された幅の広い道を急ぎます。横倒しになった大きな赤松をくぐり三の丸を過ぎ、行手には目的の大形山がまだ遠い。特に案内板はありませんが右手に駐車場へのしっかりした道、正面に檜の植林帯へ延びるいかにも山道めいた道の三叉路で一息入れて、ここからは初めて、少し心細い気もしますが来ちゃったんだから進むしかありませぬ。
檜林の向こうに青空が透けて道はほぼ一直線。霜柱が残る場所や赤土の滑りやすいところもあり、どなたか先行されたのか滑った跡がけっこうあって、それを追って黙々と登ります。途中大石の重なる場所があって靴跡を見失い、まあ迷うようなところはないけれど赤いテープが巻いてあるのを見つけるとひたすら嬉しい。

植林帯が終われば周りは明るくなるのに霜柱が凍りついているのはどうしたことか。城山の柄杓城から川内の赤萩城へ、昔々の兵士はこの道を走って伝令に出たり負け戦で逃げたりしたのでしょうか。山城の跡を見るたびに戦いの徒労、無駄な動線なんかをつい考えてしまうのは筆者が手弱女(笑)であるせいか、あるいは治水を了えた川の流れや近代戦しか知らない文明人であるせいか。にしてもこの道を冬に走った兵はきっと何度も転んだに違いない。
傾斜が少し弛み空が近づけば、あらら大形山はいくらか大きくなったとはいえまだまだ右手の遠くにあって、振り向けば黒く仙人ヶ岳の稜線が樹間に目の高さに浮かびます。もうこの辺りの木の葉は全部散って乾いた落葉はけっこう深く、明るい紫の小さな実がたくさん落ちてはいるけれど見上げればほとんど裸木で、いよいよ冬だと実感します。

枯草の中を進んでまだ植えられたばかりの杉と露岩のある553mの小さなピーク、ここはお薦めのビューポイント。南側に鳴神主稜線から別れる何本もの支尾根、観音山から仙人ヶ岳への尾根、障子山からの尾根、渡良瀬川に面した浅間山や雨乞山の可愛い高まり、八王子丘陵の全体、その間にぎっしりと詰まる人家が柔らかな光に包まれてうらうらと霞み見飽きません。遠くには雲のうえに秩父連峰が浮かび上がる。
ここからは笹床の中を緩やかに歩き、最後に植林帯を急登すれば鳴神山〜吾妻山の主稜線、岡平に到着。茶色の桐生仕様の標識と木に取り付けられた古い標識がお出迎え。

○大形山を越え、金沢峠を下る
よく踏まれたしっかりした道を北へ進めば後から鈴の音。寝坊したので、なんて言いながら鳴神山を目指す男性、吾妻山から出発して一時間走るのだと仰る具足ならぬ軽装のランナー、三峰山までという中年のご夫婦。さすが主稜線の週末は賑やかです。

二つ目の小さな高まりに遠目には切り株に見える慰霊碑。一年目のとき風雨に晒されてすっかり古びた様子に驚いたのですがそれからは余り変わらず、文字もいくらか薄くはなっていますがはっきり読めて、ここに来る度にこれを背負子に乗せては幾度も試しに担ぎ上げ、上まで行けるだろうかと不安がっていた代表幹事を懐かしく思い出します。
ずいぶん早い軽いお昼を食べながらここでゆっくり時間を過ごします。陽射しが暖かく風もなく煙草の煙が真直ぐに上がって、緩やかに崩れていく。
鳴神方向から戻ってくるパーティや、大形山を目指すひと、この尾根は歩くとキリがない、なんて言いながらもう少し先までと言う中年男性、けっこうたくさんの方々が通り過ぎ、三峰山が目的の方が多いのにちょっとびっくり。あの立像のおかげかも。

また来年も来られるかしらと思いながら腰を上げます。大形山への緩やかなアップダウンは日影に薄く雪が残り、やはりこの辺りも先日が初雪だったらしい。茫洋とした山体で、赤くマーキングされた木を辿るのですが数が多過ぎて少し目に煩いかも。すぐに汗ばみはじめ、休憩中着込んでいたジャンパーを脱ぎ、Tシャツまで腕まくりして、ほんの少し息を切らせば681,5m、大形山頂上。本日二つ目の三角点。頂上看板の後に見える仙人ヶ岳より高いんだよ、えへん。

そのまま北の斜面へ向かえば、それまでの景観とは打って変わってこちらは薄雪に覆われた場所が多い。降ったばかりで滑ることはないけれどけっこうな急斜面、霜柱共々ざくざくと踏み潰し、きゃあとかあれとか相変わらず悲鳴を上げるのですがひとりで騒いでるのはいかにも間抜けではあります。
真直ぐに少し急な傾斜を下れば金沢峠。ここは両方向に下ったことはあるのですが、昔々に一度金沢側から登っただけなのでまだ当HPの「金沢峠」に記事が書けません。
今日の鏡岩は余り光ってはおらず峠直下は少し薮っぽい。左に行き過ぎて最後は作業道に飛び降りる羽目になりましたが、しっかりした道がすぐ下に見えるこんな場所で迷うのは筆者くらい。峠への標識もちゃんとあるのに。

後は簡易舗装の道をひたすらてくてくと下ります。山を歩く愉しみは薄いけれど、きなきなものを考えながら歩く分には足元も危なくなく向いているかもしれません。
この道は枝分かれする作業道があちこちの上に延びていて少し気を惹かれました。
何度も下った道なのに、もうしっかりした舗装道のすぐ左に初めて見つける大きな石祠。祠は明治の銘ですが崩れた一対の燈籠には天保十二年と刻まれどっしりした立派な山神さま。戦国期を過ぎ、江戸も中期を過ぎれば山はもう戦場ではなく、暮らしを守る神さまの領域でまずは目出度い。
兼宮神社の大銀杏はすっかり葉を散らし、道路一杯の黄色い絨毯にしばし見蕩れ、後は出発地の日枝神社へ。あちこちの脇道に入っては行き止まりで何度も戻り、山でも平地でも筆者の方向音痴は重篤の模様。

* * *
登り出しの案内板
明るい道
力持ちの女性が運んだという
* * *
まずは城山へ
城山頂上
遠くに大形山
* * *
岩場を越え
一直線に
空が広がる
* * *
見下ろす町
笹床を進む
岡平
* * *
慰霊碑が見えてくる
文字はまだはっきりと
仙人ヶ岳
* * *
しっかりした稜線
大形山頂上
初雪が残る
* * *
金沢峠
鏡岩を過ぎる
振り返る金沢峠
”
”
”
峠への案内板
どっしりした山神さま
兼宮神社の銀杏の絨毯

* 楚巒山楽会トップへ * やまの町 桐生トップへ

inserted by FC2 system