上神梅浅間山

*元旦に例年通り小松山の神さまにご挨拶して以来の、久々の山歩き。午前中所用があったあにねこさんと歩き出す午後の里山、みどり市上神梅の浅間山です。せんげんやま、もういくつ目でしょう。噴火する富士山のあさま神が中世からはせんげんと呼ばれたとネットにありますが、この上神梅の浅間山はそこから名前をいただいたのかしら。昔の銅街道から見上げても、う〜む、富士山には見えませんが、そろそろいい頃かと先に寄った福寿草園のご長老にお聞きすると迷わずこの山を指さされ、松or杉の木が並木のようにずらっと並ぶ斜面がかつての参道だったのかもしれません。

教わった通り深沢集落の六合神社の裏手、グンエイのグランドに駐車して、ここからは冠雪した袈裟丸山が長々と稜線を伸ばし、手前にも向かいにも里山が重なりなかなか眺めがいい。このグランド脇に石祠がひとつ。銘がないので神さまの名前は不明です。六合神社の末社でもなさそうだし、山を降りてから下に琴平宮と書かれた立派な石碑を見つけたのですが、まさかこれではないと思うけれど。
グランドから薄い雪が残る踏み跡を何本か辿ってみましたが、この季節なのにどれもすぐ急斜面を覆う凄い薮に突き当たり断念。地図の破線を探して車道を少し戻りもう鶏のいない養鶏場の裏から作業道に入ります。

上神梅浄水場と書かれた小さな建造物から一番右の、下に泥地を見下ろす道を登り始めれば落葉は深く、もうずいぶん前に枝打ちされたのか枯れた枝が散らばりその上に昨日の荒天のせいか青い檜の葉が鮮やかに落ちています。登るはずの浅間山は右手にだんだん平らにでも遠くなって、ぐるっと西側に回り込んで上にある別荘地からの尾根を目指します。
作業道を離れてからは全く道形はなく、これはもう筆者ひとりなら絶対に歩けない。久しぶりの急傾斜に悲鳴を上げるあちこちの筋肉を騙し騙しあにねこさんを追います。植林帯を抜けて細い裸木が立ち並ぶ尾根が見えてくると犬が吠え出し、バンガロー風の建物がいくつか並び、これが赤城ロマンドの端っこ。こちらから歩けば簡単なのでしょうがいくら楚巒山楽会とはいえそれじゃああんまりです。

ようやく着く尾根道はいくらか歩かれているようで、風に散ってしまうのでしょう枯葉も少なくしっかりして歩きやすい。所々に大きな石が散らばり、杉の古樹が混じる尾根を東に緩やかに下ります。いかにも火山岩らしい大石がいくつか目立つあたりが469mの標高点かしら。上の別荘地が削られる前はそちらに少しは天辺らしい頂があったのでしょうか。赤城の裾野は広過ぎてひとの手が入る前の姿は見当がつきません。

尾根の突端、下から眺めればこんもり盛り上がって見える杉の木の並ぶ場所までずっと稜線はゆるゆると下ります。かくんと尾根が落ちるこの場所は細い竹が伸び放題で、木立も多く、でもその間から見える白い袈裟丸、赤城の峰々、東に渡良瀬対岸の山を挟んで、鳴神山から北に続く稜線にも雪がついて、午後の長い陽射しに山襞が濃く、ここ、刈り払いしたらなかなかのビューポイントになるのに。
カメラをあちこちに向けていたあにねこさんが おっ と声を上げて、桜の大きな樹の下に落ちていた流れ造りの屋根を発見!落葉を掘ってみると台座も祠ももう土に埋もれかけていて、小さな神さま、ふたりで組み立て直します。銘はないけれどきっと浅間さまでしょう。む〜ん、向きはあれで良かったのかしらね。

しばらくおやつとコーヒーで山の時間に浸って、帰路は別荘地の南端から伸びる破線を探します。踏み跡や私有地への道をいくらか試行錯誤して、小さな谷間につづらに続く山道を辿れば、倒木が重なり、道形は抉れ、雑木林の中の明るくて気持ちのいい散策の道ですがもう誰も歩いてはいないような。
下に舗装道が見えてきたらそちらに降りずに左の、笹が刈り払いされた作業道を。刈り払いの跡がいくらか伸びてちょっと歩きにくくはありますが登り出しの浄水場への周回コースの完成です。

風もなく滲んだように夕暮れる山の空気を胸一杯吸って、それでも日は長くなりました、まだまだ明るい日曜日。高山彦九郎も見たという近くの角地蔵を拝見し、ほう、このあたりが桐生塚(千人塚とも)などと感心し、水沼の温泉で汗を流せば空には三日月が美しく冴え、春はすぐそこ。

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上神梅福寿草園・まだこれから
右が浅間山
グランド脇の石祠
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六合神社は囲われている
どこも薮に突き当たる
袈裟丸の稜線
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浄水場からの登り出し
しばらく作業道を辿る
稜線までは急斜面
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緩やかに下る尾根道
埋もれていた石祠
鳴神山も白い
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下りの道は崩れている
枯葉を踏んで
裾から見る浅間山
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笹薮の中の作業道
六合神社の鳥居(後が浅間山)
角地蔵堂

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