駒形山

*少し前にあにねこさんが駒形の裏山の岩の裂け目に鎮座する小さな石像を発見され、写真をいただいたのだけれどさてこの神さま、いったいどなたなのかしら。
みなさんご愛読の「桐生市ことがら事典」の駒形山の項には山麓の駒形堂の150m上の岩窟に子安観音・馬頭観音があり、岩窟は胎内くぐりもされていたとの記述があって、これは行ってみなければといつも通りの金魚の糞であにねこさん、桐生みどりさんの後をちょろちょろとお供します。

風花の舞う冷たい風の中、まずは駒形集落の駒形堂を拝見。すっかり風化の進んだ木堂の中には三面の憤怒相の馬頭観音とおぼしき傷んだ木像と、大陸風の衣装をつけたふっくらした神さまが並んで、降りてきてからお聞きしたご近所の方の話では、今でも三軒のお家で夏にお祭りをなさっているそうで、これは安産の神さまなんだとか。ふうむ、馬頭観音が安産の神とはなんだか妙、しかも駒形山という名はご存知なさそうで、もっとも特に名を呼ばなくても裏山ですむのが地元のならい、鳴神山なら知っているけどと仰って、確かにここを通る登山者は鳴神山を目指すに決まっています。

その鳴神山の登山口にはしっかり冬支度の女性ハイカーがふたりいらして、反対側のもさもさした薮山に分け入る筆者たちを不思議に思われたのじゃないかしら。
薄暗い植林地、もちろん道はありませんし例によって急登です。尾根を忠実に辿るのですがなにしろ詰まった等高線、幼い雑木がしっかりと根を張っていることを確認して手がかりにしたり、ひょろひょろ伸びた檜に抱きついて身体を引き上げたり、下から見上げたときはちゃちゃっと登れそうに思えたのにそううまくは参りません。
斜面に岩が混じりだすと傾斜はいよいよ増して、途中一箇所大きく張り出した岩の隙間をへつる場所があり、なんだか今にも崩れそうな不安定な岩の重なりに怖気をふるいます。あにねこさん、よくこんな所をひとりで歩く気になったものと感心したり呆れたり。けれどもこの急傾斜にびっしり檜が植わっているのですから林業というのもなかなか大変。しかも植えた頃の目論見がだんだん外れていったのですから、上の方で枝を繁茂させる檜の林は実に切ないものです。

その細い檜の中に昔から自然に育ったような大きな檜が混じり始めるといよいよお目当ての岩窟は近い。巨岩を抱いた檜がひときわ目立つ場所から岩場の右手を注意しながら少し下り、恐る恐る巨岩に近づけば、ありました!小さな石像。石の台座に乗って合掌している柔和な白っぽい神さま。馬頭観音にも子安観音にも見えないけれど岩の裂目にひっそりと笑ってらして、う〜む、ここまで辿った道の険しさを思うといかにもご利益がありそうなお姿。でもこんな小さなものよく見つけたなあ、あにねこさん。
岩場は下に何段か続き、おふたりは危なげなく下って探索を開始しますが筆者にはとても無理。岩窟の上に戻って向いの鳴神の稜線を眺めたり歩きやすい左手の岩の間を覗いたりしていると胎内くぐりが見つかったと下から声が。
再び石像のある裂目まで下り、そこから比較的足場のしっかりした薮の中をあちこち引っ掛けながら恐る恐る一段降りて、おお、確かに胎内くぐりと呼んでもおかしくない三つの岩が重なった隙間がありました!でも大きな地震でも来ればひとたまりもなさそうな土の柔らかさ、大岩の不安定さで見ていると軽く目眩がしてきます。直下には車を停めた県道が見えて、帰ってからあたった桐生市史には駒形堂が里宮、岩窟が奥宮とありましたがほんとうに奥宮と呼ぶに相応しい。

もう少し探索を続けましたが「ことがら事典」の馬頭観音や子安観音は見つからず、上にもいくらかある岩場を覗き込みながら風花と呼ぶには密度の濃い粉雪の中頂上を目指します。薄く雪の残る天辺は雑木が立ち並び、この季節ですから登れたし樹間に向いの山も見えますが、繁茂期になると手も足も出ないんじゃないかしら。
風は冷たいしお昼にはまだまだ早い。軽くおやつとコーヒーで小休止して西側の稜線を下ります。

こちらの斜面も細い檜が立ち並ぶ植林地で、けれども岩場は全くなく、登ってきた稜線よりかなり緩やかで歩きやすい。周囲が明るい雑木林になればツツジの灌木が目立ちだし、こちらからなら遅い時期まで里山歩きが楽しめそうな尾根です。もっともこの山だけを目当てに歩く奇特な方はほとんどいないとは思うけれど。
下り着くのは駒形の山神宮。立派な屋根を持つどっしりした山神さまの周囲は綺麗に手入れされていて、こちらは今でもお詣りする方がいるのか真っ白な御幣と鏡餅がお供えされていました。この山神宮のあたりからはかつては三峰山を経て梅田の高沢へ、あるいは同じく梅田の金沢へ抜ける道があり、歩くひとも多かったのだとか(桐生市史)。昔のひとってつくづく健脚であることよ。

車道を駒形堂へ戻る途中お会いした平久保にお住まいの方によると、この山、確かに駒形山と呼ぶそうで、ただ近頃は駒形山の神さまはいくらか荒ぶっていらして、山仕事に入るひとに事故が多くて誰も入りたがらないのだとか。先の地震で地盤もかなり弛んでいるんでしょう、確かに岩場はどれも今にも転がり落ちそうでした。どなたも安易にお入りにならないようお気をつけください。

帰ってから調べた桐生市史によると、上の岩窟、その形状から岩そのものが安産の神とされていて、やがて子安観音となり、さらに山仕事の安全と荷馬の無事を祈る馬頭観音になったのだとか。
確かに医学の発達する以前のお産は生死を分けることも多かったでしょうし、山仕事に入る夫の安全は全妻の願い、馬も家族同様の生物かつ貴重な財産であったことを思うと、古くからの神さまが多くの祈りを引き受けて色々に呼ばれるのは不思議ではありません。
石像はあのひとつだけできっといいんじゃないかしら。

* * *
駒形堂
県道から見上げる駒形山
登り出しから道はない
* * *
この岩の隙間を進む
回り込んで到着する岩窟上
岩場を下る
* * *
巨岩の裂目に
小さな神さまが
岩場は何段か下に続く
* * *
ひとひとりくぐれる隙間
上にもいくらか大岩が
頂上には薄い雪
* * *
植林地を下る
稜線は次第に明るい雑木林に
下り着く山神宮

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