小松石尊山

*このHPを始める前から我家の初詣は代表幹事の父親がすぐそばに住むこの小さな里山に決まっていました。椿の木が多くお正月でも緑が濃い愛宕神社の鳥居から石段を登り、小さな山とは思えないほどワイルドな岩場を過ぎ、山頂の小さな愛宕さまの石祠に手を合わせてからお屠蘇を祝うのが一年の始まり。

愛宕神社があるから愛宕山と名づけ、その後小松山と呼んでいたのですが地元のひとたちはみな石尊山と呼んでいて、確かに愛宕神社の参道とは別にお不動さまがいらっしゃる参道と岩場があるのですが、それだけで石尊山っていうのかしらとずっと疑問でした。
筆者は代表幹事がいなくなってからこの山のそばで暮らすようになり、元旦はもちろん、落椿を楽しんだり、獣道を彷徨ったり、山頂で風に吹かれたり、引田山まで足を伸ばしたり、ちょくちょく登るのですが、お不動さまの後の岩場がどうしても越えられませんでした。
桐生・みどり百山に入るかもしれないので実地調査に行く桐生みどりさんにお願いして今回ようやく裏参道を制覇。道はもう崩れてしまっていて、小山といっても川からぽこんと立ち上がるので急峻なぐずぐずの斜面をロープに繋がれて、まさか裏山をこんな風に登るとは思ってもみなかった。

お不動さまの岩場までは古い二基の石燈籠が残るしっかりした道です。ときどき新しい幣束が上がっていたり参道が刈られていたりするのでお詣りする方はいるのでしょう。ここから右手の獣道は辿ったことはありましたが上には行き着けず、後の大きな岩に足をかけても登りきれなかったのでした。今回はみどりさんの足場をじっくり拝見してなんとかよじ登りましたがさてそれからが大変です。そんなのいらないでしょと笑っていた20mほどのロープを腰に巻き、するする上がるみどりさんに確保されてよろよろもたもたずるずると荒れた斜面をさらに荒してなんとかしっかりした足場まで、いやその恐ろしかったこと。
かつては両参道を結んで周回した道があったそうですが、ずいぶん昔のことではないかしら。登っといてあれですが決してお薦めできない登路です。

踏み跡らしいものが少し続いて、もうそこに頂上が見える場所に三基の石祠発見!寛政七(1795)年の銘がある石尊宮が両脇に大天狗・小天狗を従えて真下の桐生川を見下ろしています。ああだから石尊山なんだと心から納得して、何度も登っているのにこれは初めて見る石祠、何枚も写真を撮りますが全景を収めようとすると今にも転落しそうな狭い場所です。
みどりさんによるとこれは小俣の石尊山からの孫勧請ではないかとのこと。里山の石尊宮は近場の大きな勧請石尊山からいただいたものが多いそうです。
すぐ左手がおなじみの愛宕さまともうひとつ石祠がある頂上。石尊宮まではしっかりした道がありますので行かれるなら必ずこっちからどうぞ。

帰りは愛宕神社の参道を下り、ほんの短い距離ですがこの道は町のすぐそばとは思えない高度感と岩場があって、筆者、けっこう酷い目にもあっているのですが好きな道です。
下り着けば今は椿の枝が伐採されてすっきりしていますが、いつもはほの暗い斜面にたくさんの庚申塔や石祠。こんなに多くの神仏が集うのは、きっとここが近代以前は難所のひとつだったからに違いありません。
(それにしてもほんとに地図が作り難いこと!)

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お不動さまへの参道入口
ここを直登した(恐かったよ〜)
石尊宮
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直下の桐生川を見下ろす
天辺の愛宕さま(右)
麓の山神さま

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