赤地山〜谷山〜八幡神社

*霧雨の降る日曜日、もし晴れてたら8時間も歩くはずでしたので残念なのか、ちょっとほっとしてるのか、けっこう複雑な女心と春の空です。でも身体は歩きたいようでずっと気になっている城山の、「塁々たる露岩のそそり立つ小峯」を桐生みどりさんとあにねこさんの山猛者おふたりと探しに出かけます。このおふたりさえいればどんな道だってへっちゃらだい。

城山林道に入って人家の終るすぐ先左側の山中に古い木の鳥居が雨に濡れて黒々と見えて、これが山神宮。朽ちた葉が重なる石段を登ってまずは山の神さまにご挨拶。小広く開けた神域に五つある苔むした石祠のどれにも新しそうな御幣が上げられていて、きっと地元の方が今年の元旦にお詣りしたときのものでしょう、神さまは健在の模様です。
ここから向かって左の、踏み跡というには頼りないような尾根筋を辿ります。細い檜や雑木の間をときどきしっかりした道になったり、もう使われていないような作業道に突き当たったりしながら進めば樹間に白い標識が。近寄れば06年の夏に代表幹事がかけたわが楚巒山楽会の山道への目印票。あんなにたくさん作った山名票はもうそのほとんどが残っておらず、たまに残っていても文字が判読できないほど褪せているのですが、ここのものは珍しくはっきりと文字が読めてとても懐かしく嬉しい。

その矢印に従ってけっこう急な狭い山道に入ります。
この山域、かつて麓に暮らした武士たちが事あらば山上の城へそれぞれの居館から馳せ登ったのだといい、林道やハイキングコース、作業道など最近の手入れされた道の他にいまや使われなくなった古い道の痕跡がたくさんあるそうで、これもそのひとつかもしれません。
しばらく登ると岩が集まった場所に出て、岩の間に石祠と自然石をそのまま台にした燈籠が。朱が残る祠の屋根には金毘羅とあり、こんぴらさまは金刀比羅・金比羅・金毘羅と表記が多くまれに琴平と書かれるのだそうで、けれども桐生のこんぴら山が皆琴平山なのはどういうわけかちょっと謎です。

この祠のすぐ上にもう一枚楚巒の琴平山の山名票が残っていました。ふうむここが確かに琴平山だとしても、さてどこに「塁々たる露岩がそそり立」っているのでしょう?あちこち見渡してみましたが筆者がイメージしていた巨岩は影も形もなく、確かに塁々と形容するのは孤高の巨岩ではないとしても、そそり立つ小峯というよりは山腹の岩場、磐座とは呼べるかもしれませんが展望はありません。
ここにはもうひとつ石祠があってこちらは東照宮。こんな地味な山中に家康さんを祀ったのにどんな謂れがあるのかとても気になります。

さてここからは城山の桜の開花状況を確かめにその昔具足の戦人が走っただろう尾根を頂上目指して進みます。途中から全く道はございません(きっぱり)。植林地の中、季節柄薮はたいしたことはありませんが斜面をなかなかの急登で、どうして掴みいい木にはすべて棘があるのかしら。高度を上げると周りは霧に包まれてとても近くの里山とは思えない幽谷の風情なのに、あちこち泥だらけにして引っ掻き傷を作りしばらく苦行が続きます。
突然歴然とした切り開きに出合ってここは北城の跡だとか。このすぐ上には二の丸跡があり古城マニアの方には興味深いルートかもしれません。筆者は二の丸で合流する遊歩道で元気を取り戻し、鮮やかな落椿が続くのを愛でて饒舌になります。紅ももちろんいいけれど斑のあるものや白の落椿もなかなか華やかで、でも城址に椿はいかにも哀れな気もします。
大きく開ける頂上はしっとりと霧の中。おなじみの頑丈な石碑もこんな天気の日に見るとなにか新鮮で、咲けば一面の花雲になる桜の斜面を見下ろしても今日は茫漠たる墨絵の世界、緩やかで静かな時間を楽しみました。

帰路は遊歩道から林道の駐車場のちらほら開いた桜を眺め、さて一週間後、果たして今年の城山は桜の山になるのかしら。下から見る花の気配が薄くってちょっと心配でもあります。

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林道左手に山神宮の鳥居
山神さまを中心に五つの石祠
踏み跡を辿る
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山道への案内標識
道はしっかりしている
金毘羅宮と燈籠
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山名票が残る(でも天辺感なし)
こちら東照宮
急斜面を登る
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桐生市街は霧の中
霧に包まれた頂上
林道駐車場の桜

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