茂倉のお釈迦さま

*地元のお祭りと桐生市の生涯学習ハイキングに便乗して、茂倉のお釈迦さまに再会してきました。
「茂倉沢奥に鎮座のお釈迦さま」と菱町カルタで読まれていても本当に奥、鮮明な道はないので一度目は代表幹事と行き着けず、二度目は桐生みどりご夫妻に先導されて歩きこれが三度目。新緑がやや濃くなり始める今月が過ぎれば薮が厚くなりますます行けない場所になります。
多いときは五十人を超える参加者があるそうですが、今回は菱町の浄水場から出発するのは二十人弱。桐生タイムス社の「野山歩きのヒント」の著者の柄沢さんが参加されていてご挨拶。お釈迦さまから先へつなぎ石の跡を見に行くという若い方たち以外はけっこう人生経験豊富なお年頃で顔見知りの女性陣もいらして、お互いの山歩きを驚き合います。

跳滝橋を過ぎて暫く北上しカルタの絵札看板を右に、茂倉沢林道へ入り鋪装道を進むと鉄の階段が設けられた山神さまと、その下に可愛い馬頭観音があります。その先、沢の分岐の左を指してお釈迦さまへの看板が。ここには帰化植物だという白雪葵がたくさんの花をつけ、綺麗ではありますが、そのうちこの一帯を席巻してしまうのではないかと山野草に詳しいみなさんは心配顔。未舗装の作業道は沢に添って緩やかに登り、木漏れ陽にまだ若い緑が光っていくらか冷たい風が気持ちがいい。
作業道はそのうちに沢から離れ踏み跡を沢伝いに登ります。途中二カ所、滝状に水が落ちる場所があり、このお祭りの日だけ何本も掛けられたロープを頼りに滑りやすい岩を左右に渡りながら攀じり、最初に来たときは上の滑めが登れずに諦めたのでした。
目を凝らせば咲き始めたヒイラギ草があちこちに群れをつくり、浦島草も釣り糸を垂れ、二輪草が最後の花を咲かせて、上から落ちた燈籠の屋根が苔むして岩の上に乗せてあります。

沢が尽きてからは散見する赤テープに従って細い杉の間を抜け、右手に大きな岩が見えるあたりから道は急傾斜となって、深い落葉の下には石がごろごろしているので踏み損なわないように注意。左手少し平らなあたりがその昔、入浴姿の女性に恋をして仏の道を外れたお坊さんがいたお寺があったのだとか。道も山中を縫って、このあたりは今ほど秘境じみてはいなかったらしく、すっかり平地の文化に慣れてしまったこの時代には想像できないほど山にはひとが暮らしていたのでしょう。

ますます細くなる杉の木立の上に鮮やかな新緑が見えればその下がお釈迦さまのおわす岩窟です。燈籠は元文三年(1738)の古い年号が刻まれていますが、最近の調査ではお釈迦さま本体は明治に入ってから両毛随一の買継佐羽家が建立したものだとか。お線香をいただき花が飾られ灯明が上がる釈尊に神妙に手を合わせ、やはり何度見てもこの大きさ、かつての信仰の篤さに驚きます。
右手のもうひとつの洞窟、左手の木漏れ陽の降り注ぐ座禅岩、気になるものはたくさんあるのですが本日は団体行動、おとなしく枯葉に埋まり込んでみなさんのお話を聞き、たくさんのおやつを頂き、お神酒をお相伴して大休止。この岩場はかなり大きく屏風状に左右に広がってそそり立っており、水が伝っている窪みは雨の日は滝のようになるのかもしれません。真上にはまだそんなに時代の経っていない炭焼き釜があるらしく、もう一度来て探検しなければ。

上を目指すという若い方たちを見送って往路を戻りましたが、行きはよいよい帰りは怖い、つるつる滑る岩を下るのは、このお祭りの日こそ役員の方がロープを渡してくださってるけど普段では危ないかも。急登ですがつなぎ石の稜線を目指して塩之宮神社へ下る周回コースの方がお薦めです。

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菱町カルタの看板を右へ
お釈迦さまへの道標
作業道を登る
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沢沿いを伝う
上の滝は滑りやすい
咲き始めのひいらぎ草
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右手に岩が見えてくればもう少し
深い落葉をひと登り
今日のお釈迦さまは賑やか
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座禅岩への道
釈迦窟の真上
寛ぐご一行さま

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