山の紀行

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*小平サクラソウの会のパトロールにくっついて小平側から鳴神山めざし、少しだけ歩いて来ました。
鳴神山でのカッコソウの花期は五月の中旬あたりですが、桐生市・みどり市双方の守る会の方々はまだ葉も見えないこの時期から自生地のパトロールをして、根の張り方の観察や盗掘の防止などのためにこまめに山域を歩いてらして、あの艶やかな紅の花を楽しむだけの筆者はただただ頭が下がります。

前回梵天山でお世話になったM氏、K氏とともに小さなトラックで小平親水公園の先から林道小平梅田線を赤芝へと進みます。この道小平側は綺麗に鋪装されて幾度もカーブを描き徐々に高度を上げます。小さな落石も多く、早春の雪の重みに耐えきれなかった杉の倒木がたくさんありますが道を塞いだものはきちんと処理されています。

赤芝山稜にさしかかる手前の大きなカーブ、左手の大岩には下部が抉れて水が溜っており、木の祠が二基祀られています。小平の折の内へ流れる沢の源頭近くで、平成二年の日付けがある修験の木札とお酒の瓶。この水神さまの信仰について帰ってからKさんに資料をいただきました。

'<続 間々はゆりかご P35より>
……この沢を折ノ内という。ここには「ささら」という伝説がある。ささらとは舞のことをいう。折ノ内の東北にそびえる高い山を高倉山といい、その頂上に石尊様の石宮が祀られている。また、別の所に水神様もあり、毎年8月1日になると、部落の人は二手に分かれ、下組は石尊様へ、上組は水神様への道刈りを行う。道刈りのあと村境に大きなわらじを吊して魔除けとした。
 2つの神様に舞(ささら)を奉納した。この舞を舞ったところを「ささら」と称している。舞が終わると人々は「六根清浄」を唱えながら、水で体を清め、当番の家で赤飯を祝ったものだ。終戦後まで行われていたが、惜しいことに今は廃れてしまった。
 石尊様へお参りするとき、途中までどんなに雨が降っていても、石尊様へ着くと必ず晴れ上がるという言い伝えがあり、水神様のそばの池をかき回すと、逆にに必ず雨が降るという言い伝えも残っている。…


現在は舗装道がつけられて様相は変わりましたが、このあたりに小さな池があり沢を伝って登ってくる道があったのでしょう。石尊信仰の本家は大山の阿夫利さま、あふりが雨降と表記されて田畑を潤す水の神と関連づけられるのに不思議はありません。けれどもこのけっこうな高さに水の神が御座すのにしばし感動。
またこの少し下にはしっかりした支柱で白く塗られた「駒見山登山口」の道標もありました。一度沢へ下り、登り返して駒見山への稜線へ続くのかしら。ちょっと歩いてみたい道です。細い、踏み跡とも見えない踏み跡なのでこれは嬉しい。つけてくださった方、ありがとうございます。
赤芝山稜を越えて桐生側に入ると道には一気に落石が増えます。小平側と比べて山襞に暮らすひとが減っているからかしら。次の尾根を越えるところが蚕影山への稜線だ、と帰ってから気づくいつもの猫頭筆者。次はきっと。

林道を離れて山道へと続くダートの道には杉の倒木が10本を超えていました。杉は根を張らないので雪に弱いのだとか。無惨に裂けた折れ口から見える白い樹肌が痛々しい。
小沢を渡って登るいつもの山道はまだ茶色が主ですが、目を凝らすと薊の葉が柔らかそうに覗いていたり、ウメモドキの小さな実と萼が色鮮やかだったり、シロモジの花は青空に映え、小さな木の芽たちが微かに膨らんでいたり。椚田から山頂にかけては陽当たりがいいからでしょうか、仄かに赤い色を見せてツツジの芽吹も盛んです。マンサクもまだ満開でした。ほんの少し雪が残る斜面もありますが、行き会う方にカッコソウ保護のチラシをお渡ししながら登る道は暖かく、でも同行のおふたりがちゃんとした道は疲れる、道のない斜面の方が歩き易いと仰るのがなんとも可笑しい。

天辺で地平の霞む360度の展望を楽しみながら大休止した後、再びパトロールを続けながら小平に戻りました。
13日、日曜日に自然観察の森でカッコソウの保全についての催しがあります。移植用として下で栽培されているものが開花しているのも見られるのだとか。お暇な方はぜひ。
(今回の概念図は赤芝口からの往復ですが歩いた軌跡はなしとします)

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駒見山への道標
水神さまの祠
岩の下には水が溜っている
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倒木が幾本も
赤芝の山道
椚田
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霞む地平
マンサクの向こうにうっすら男体山
麓は桜が開きました

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