6月定例山行 代表幹事代行 

6月前半の日曜、初代会長と会長の3人で根本山へ登りました。
2005年の6月5日に中尾根から当時の桐生市最高峰を目指したのですが、石祠のピークで雷雨にあい断念、代表幹事は2日後に登ったのに代行はとうとう頂上を踏めませんでした。その話を知っている会長が哀れんで計画立案。

三境林道との合流点に車を停めると、なんと初代会長が地下足袋に履き替えます。えっ〜沢ですか、ありゃ上級者のコースですよ。中尾根から行くと思い込んでいた代行は必死に抵抗しますが、そんなことで計画を変えるなら初代会長なんて誰も呼びません。にこにこしながら地図を広げ大丈夫とおっしゃる。会長も前に代表幹事と歩いた時は沢沿いの気持ちのいい道だったから大丈夫と請け合う。ふたりとも代行の力量をご存じないから気楽なものです。
不死熊橋左のあのトラバースでもう心は萎えているのですが、ちょうど上から降りてくる年配の男性に聞けば、十二沢は大荒れで通行不可だけど根本沢はちょっと崩れてるだけだから大丈夫とのこと。そっか大丈夫なのか、暗示にかかりやすい代行はだんだん大丈夫な気分になってきます。先を行く初代(面倒なので略します)の足場を必死で憶えてよじ登ります。途中で手足がバラバラになるとそこじゃないっ、と上からは叱声。腕じゃなく足を使うんですよ、と下からは失笑。まあなんとか上には着きました。
少し薮じみた道を歩き沢沿いに降ります。週末ごとに雨が降っていたので水流は早い。その沢を右に左に幾度も渡るのですが、嗚呼なんということでしょう、初代ったらひょいひょい跳んで渡るのです。足場を憶えることもできない素早さ。ほんとに還暦を過ぎたなんて思えない身軽さ。本人は臆病な男の見栄だとおっしゃるが、見栄も張れないほど臆病な代行は憧れの目で見るしかありません。で、なかなか足が踏み出せない代行にまたも無慈悲な叱声を浴びせます。重心が後ろ過ぎるっ、次の次の次まで考えて足を出せっ、怖がるなっ、にこにこ笑いながら怒るんですからそりゃあ恐い。必死で渡っているうちにそれなりに先を考えるようになり、初代を真似てぴょんと飛べば見事足を滑らせて水の中に落ちたりもしますが、一度濡れてしまえばまあ少しくらいなら転んでもいいかという気分。会長は後からマイペースで悠々と歩きながら、きっと俳句をひねっているのでしょう、あちこち見回して余裕があります。
沢沿い右岸(この呼び方も初代に教わりました。下流に向かっての右左なんですね)ちょっと沢より高い、横に鎖がある場所の道が崩落しています。こともなげに飛び降りる初代。2mくらい高度差があるので思わず躊躇。足挫いたらどうしよう。とすかさず、下は柔らかい、跳べっ。跳ぶしかありません。
写真を撮る余裕も周りを見る余裕もないけど、これだけ変化に富んだ道は緊張感の方が勝って疲れは感じません。丁目石をいくつか見て、籠堂跡を過ぎ年期の入った鉄梯子を伝い、今にも崩れそうな根本神社奥の院到着。
おっかなびっくりで床に乗って凝った彫刻が施された本堂の写真を撮ります。構図もなにも関係ありません、ただ急ぐだけ。初代と会長はゆったり手摺のあたりで喋ってますが、体重を考えれば長居は無用であります。
で、神社前の垂直な岩場の一本の鎖。ひぇぇぇ。代表幹事なら絶対に連れて来ませんね、このコースは。あたしはいいもん、ここの子になるもん、と何度も言って困らせたにちがいありません。初代の前ではそんなことは言えず、続々現われる鎖場をよじ登り、足は吊るし、お腹は減るし、おっ皇海山なんて会長の声に応えるにも声が掠れます。
峰の平で遅い昼食を摂れば、これから後は平凡なというしかない山道が続き、根本山頂。かつては桐生市最高峰だった山頂なのに華々しいところはありません。
中尾根を走って降りる初代に呆れながら、後を追います。う〜む、このコースの往復ならつまらなかったろう、と同行者に迷惑かけっぱなしだったことも忘れて一人前の感想をもらしても誰も相手にしてはくれず、7月の定例登山は沢登りはやめましょうという結論に達しました。
ほんとはちゃんと紀行文にしたかったのですが、なにしろきゃぁ、あれぇ、ひえぇと叫んでいるだけで写真もろくにありません。今回は単に根本山に登ったというご報告まで。

道はとても面白く、身体の使い方なんかが少しずつ腑に落ちたりして楽しくてたまらない経験でしたが、山の初心者はしっかりした上級者二人と行くべきコース。昨年は死亡事故もあったりして絶対に気を緩めてはいけません。

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