山の紀行

野峰行

*桐生の本町通りを山に向けて走っていると、3丁目の桐生信用金庫の少し手前から正面の山並みの奥にふいに高い山がせり上がってきます。手前の山々とは全く高さが違い、びっくりするくらい高いところに、冬のお天気のいい日など上の方を白くして浮かび上がり、思わずおおっと心の中で感嘆してしまう。どういう地形のマジックなのか、少し進めば再び手前の山と同じくらいの高さになってしまい、後は北上して桐生女子高のあたりでもう一度せり上がるだけですが、この町が山の町であることをしみじみ喜びたくなる素敵な景色。そのずんっとせり上がるなだらかな大きな山容が野峰です。
山頂に幻の池があると聞かされて、乙女心(!)はどこまでもロマンチックな光景をイメージしていたのですが、どうやら今はもう窪みが残るくらいで池はないらしい。それでも乙女とは夢を見るもの、ここへ登るときは「野峰行」という題名をつけようとずっと思っていました。

世間さまは三連休、白馬だ立山だ穂高だと羨ましい呟きを続けている梅雨明けの暑い日、思い立って野峰を目指します。バス停・野外活動センター前で下車、左手に沢の水がきらきら光るのを見ながら舗装道を登ります。右に活動センターへの急坂を見送ってそのまま進めば道は作業道に変わり、沢の手前が小広く開けて向こう岸には幾軒かの廃屋が崩れているところに、大きな杉に囲まれて小さなお社が建っています。側には古い庚申塔や青面金剛が並び、お宮にはお供え物が上がっていますので今でもきっちりお祀りされているのでしょう。

ここで手を合わせて少し危うくなりかけた木橋を渡ります。沢から離れるあたりに「山の神様→」と書かれたしっかりした指導標があり、杉林の中を歩けば再び指導標や下ってはいけない道の注意看板もあり、まだそんなには高くはなくても杉の日陰を吹く風はいくらか涼しい。
トラロープが張られた少しの急登で注連縄をくぐれば山の神様が鎮座する御所平。山の辻道でそれぞれの集落に向いた祠が点在し、木のお社は一昨年来たときと同じ佇まい、小さな石祠には白い御幣があがっていて木漏れ日の中深閑とした場所です。
こちらにもしっかり手を合わせ野峰登山口の矢印に従って登ります。

実はこの山、かつては代表幹事に、この頃はお世話になっているどなたに頼んでも連れて行ってもらえないのが不思議でした。そのうちにね、とか、簡単ですよ、ひとりで大丈夫、とか、みなさんなんだか乗り気ではない。
登り出してなんとなくその訳が判ってきました。所々雑木が混じってはいても基本的には植林された細い木立の中をひたすら登る。展望は全くありませんし、地図上は尾根道のはずなのに、最初の痩せ尾根以外は尾根歩きの爽快感がない。しかもかなり急登が続きます。
このところ不摂生をしていたので汗はだらだら流れ落ち、多めに持ってきたペットボトルがあっという間に空になる。植林地なのでほとんど下草がないのは嬉しいし、直射日光を遮る杉木立も快くはあるのですが、変化に乏しい。登っても登っても空が近づいてはくれません。

道はしっかり踏まれていて赤テープもふんだんにあり、道は県境の印と幾度も交差して、田沼町有林の碑が左に出てきたり、文字の薄れた看板などがあり迷うところはありませんが、なにしろ杉、杉、杉(檜かも)、登り、登り、登りの連続です。
文明の利器で確認するとそろそろ927mから東に派生する等高線がなだらかなあたりを歩いているはずなのですが、これがちっともなだらかにはならないし、行き着くべき頂も見えません。
こんな暑い日、もちろんどなたにも会わない。もうお水も底を尽き何度目の休憩をとったのか、過ぎた時間よりもっともっと歩いている気分でまだまだ続く道を見上げたとき、!!!見てしまいました。たぶん今まで見た中で一番大きいんじゃないかしら、黒っぽい胴体がずりずりと横切っていく!

このすぐ左下は蛇留淵といって、でもあれは白蛇、しかも蛇切り丸で切られたはず、と桐生の民話を素早くおさらいする。行ってしまったのは判っていても、情けないことにそこから足が一歩も踏み出せません。進めばそのあたりの枯葉がごそと動いてまた現われるような気がします。
暫く息を殺していると、ヒグラシの声が下から上へ、上から下へ、波のように何度も何度も寄せてきて、風はないのですが山全体が波だっている中にひとりぼっちで立ち尽くしているような錯覚に陥ります。
逡巡に逡巡を重ね、えいっ山なんていつだって来れるんだから。くるっと身体を返して、野峰行、頂上には行き着けずに敗退の巻であります。
次は冬、もうなにもかもが冬眠してから絶対にトライするつもりではありますが、こんなことではいつになったら独り立ちして山のご紹介ができるのやら。

帰路は山の神様からふるさとセンターへの道を歩き、こちらは夏らしくもさもさ下草が茂っていて梅雨の間に少し崩れた道型もありますが、やはり指導標が立つ判りやすい道で、下から車の音などすればけっこう心強く、それでもやはり桐生の里山は盛夏に歩く山ではないかもしれません。
県道に下り着けば桐生川には裸で遊ぶ家族連れがいて、川畔は合歓の花が薄いピンクでほやほやと満開、馬立橋の下では釣りの方が銀色に光る魚を釣り上げていて、ふるさとセンターは超満員。水の季節の到来です。

* * *
* * *
* *
* * *

* 楚巒山楽会トップへ * やまの町 桐生トップへ

inserted by FC2 system