おかぼ平〜陣近平

*おかぼ平、妙な名です、気になります。代表幹事の梵天山の記事に印されている500mの等高線で囲まれたその小ピークと、できればもうひとつ北の789m標準点を目標にあにねこさんと出発するお正月最後の休日。今年も相変わらずのご面倒をおかけしますがどうぞよろしくお願いします。
子どもの頃の友だちに「岡ぼん」って子がいてこれは岡田さんちの坊や、昔の大阪では兄を大坊(おおぼん)ちゃん弟を小坊(こぼん)ちゃんと呼びましたがここはみどり市、昔陸稲を作っていた陸稲平が順当なところでしょうか。

県道334号を小平の鍾乳洞を右手に北上し樹齢千年を越えるという大杉、青面金剛がおわす場所、噂の梵天山が明るい陽を受けてそそり立つのを眺め、分岐のお宅に声をかけて横の十二神社から登り始めます。地図で想像していたのとは違っていやその急なこと、もちろん道はなく筆者のっけから四足ターボ、まずはすぐ上の岩のある場所まで悲鳴続きで這い上がります。
尾根に乗っても相変わらす急登は続きます。ただ手がかりの雑木は増えてアキレス腱と腕を目一杯伸ばし樹間の青空をじりじりと目指すのですが、尾根筋は緩やかにカーブを描き空はなかなか開けてはくれません。雑木はいよいよ密になり、それでもようやく傾斜が弛むと小さな岩場があって石祠が半分土に埋もれています。
厚い枯葉や土を取り除ければ側面に天保四年の文字。1833年、屋根の文字は残念ながら判読できませんでしたが200年ほど前に祀られた山神さまではないかしら。この後の山行の無事を願って手を合わせます。

このあたりからようやく周りを見る余裕ができ、左手前方には大畑山と本日予定の最高点ピークを結ぶ稜線、右手には桐生市主稜の鳴神山稜からみどり市側に延びる無名峰が樹間に透け、今日は雲ひとつない上天気です。
息を喘がせて進み、古びた小さなアンテナの立つ開けた場所でやっとひと息。ここがおかぼ平ですが、枯葉に覆われ細い灌木が立ち並び、植物をわざわざ植えるにはとても遠過ぎて、陸稲でも植えられそうな開けた場所、ということで名が付いたんじゃないかなあ。

ここから尾根はときどき細かく向きを変えながら高度を上げます。光の美しい杉の植林帯を過ぎたり、みっちりと生える細い雑木の間を縫ったり。たまに西側に視界が開けると遠い浅間山が白く浮かぶのを楽しみ、どの峰にも雪を纏う赤城山を眺め、東側にはだんだん丸山離山から鳴神への山並がくっきりしてきます。
東西から支尾根が合わさる度に赤テープが散見されるようになると道は道らしくなって、こんな所を歩くひともいるんだなあと我が身を忘れて感心すれば、ハイトスさんはここを下ったのだそうで、あの取り付きの急斜面を下るなんてとても人間のすることとは思えませぬ(笑)。いや、いま一緒に歩いてるあにねこさんもいつも不可思議なルートを辿っている方、尻尾があるのではないかと後姿をまじまじと眺めたのは内緒。

赤松の並ぶ痩せ尾根を過ぎ、再び四足運行で岩の急斜面を攀じり、やたら突っかかってくる小枝を払い、ここは春の初めまでしか歩けないんじゃないかしら。薮がないことを感謝しながら、季節はずれの汗を拭い黙々と(でもないけれど)空を追います。それにしても尾根が曲がる度にどちらを向いても山ばかりなのには、そりゃ判っていることとはいえなんだか笑ってしまう、ほんとうに山だらけの町であることよ!
いよいよ空が広くなってどうやらやっと頂上直下というあたり、ぽかんと開けた場所に動物の集会所のような砂地があって、ここでごろごろ転がって遊ぶ鹿や猪や熊を思えばこれもまた可笑しい。
この砂地のひとつ先が789mのピークです。

ここ、2010年の秋に大畑山から小夜戸峠を歩いたときに通過していると、あにねこさんに教わるまで気がつかないのだから筆者もうほんとうに己が頭を心配しなきゃいけません。落葉に座り込んでちょっと頭をぶってやり、でもまずそれよりもご飯、ご飯。来るときに買い込んだコンビニの袋を取り出し、コーヒーのポットを取り出し、煙草を取り出し、ついでに薄い記憶も取り出しました。(山頂って案外同じに見えませんか?)
お腹を一杯にしお喋りをして、風のない陽だまりで時間を過ごすのはなかなか快適ですが、お尻が冷えきらないうちに立ち上がります。

大畑山への広い稜線を西へ少し進み、赤城・袈裟丸・日光が樹間ではありますが一望できる素敵なポイントで写真を撮って、さてここからは谷筋を辿って茂木の集落へ下ります。
よおしここから、と仰るあにねこさんの尻尾を見失わないように細い杉が立ち並ぶうす暗い斜面へ突入。すぐに一直線に続く綺麗な獣道に出会いトラバースに借用いたしました。獣さんありがとう。あとは枯枝をぱりぱり踏み、道形など全くない谷を杉落葉の柔らかな厚さに足に任せて高度を下げます。いまはもう手入れされてないような植林帯は陽射しが薄くひんやりとして、もし次があるならこういう斜面に自信を持って入れるような立派なおとな(あるいは獣)に今度こそなりたいものです。勢いで変な風に置かないよう注意する足元にごろごろ石が当たるようになると古い石組みが現われます。見上げるとけっこうな急斜面でこちらから登るのも大変そう。

谷がいよいよ深くなると右へ回り込む踏み跡があり、暫く辿ると廃屋が見えて、かつて人家があったような平地に出ます。すぐに落葉の厚い簡易舗装の道に繋がり、もう全くひとの気配はしませんがここは茂木の最奥の集落だったのでしょう。音立てて流れる沢沿いにそのまま下るとしっかりと整備された林道へ合流。分岐の場所には小さな祠ともう崩れてしまった石像が祀ってありました。
舗装道を避け、そのまま沢に沿う階段を降りて山間を下れば赤い山神さまの覆い屋が見えてきて、このあたりの神さまはみなさんこの赤い外屋で守ってあって信仰の深さを思わせます。

頑丈そうでひどく立派な茂木沢砂防ダムからはゆっくりと林道を下ります。
途中石仏が集められた場所があり、ここは必見。古いお墓や庚申石や燈籠、表情豊かなお地蔵さま、聖観音や馬頭観音に混じって目の病いに霊験灼かな薬師さまのお堂。紅殻で塗られた山王さまは女陰を晒してらして(きゃ!)これは安産と婦人病の神さまだとか。桐生の蕪丁から長泉寺へ移された山王さまと同形で、日枝神社・延暦寺のいわゆる山王信仰と古くからの山神さまが混淆した民俗神だと思われます。
大杉までの間には林道梅田小平線の終点にも十二山神社があり、その脇にも小さな信仰の石造物が集められて、午後の陽射しに陰翳を深くする石仏が美しい場所です。

大杉に戻ったところで小平サクラソウ之会の村田氏にお会いでき、今日のピークが陣近平(じんちかだいら)と地元で呼ばれていることを教えていただきました。「陣近」の由来について詳らかではありませんが、確かにあの広い頂上は山や峰ではなく平と呼ばれるのが相応しい。
また、おかぼ平にはかつて陸稲の畑があったと伝えられていることもお聞きしました、一種の隠し田だったのかしら。他にも興味深い山の話や植物のことを教わり、なんと、昔梵天山でもたついていたらしい代表幹事のことも覚えてくださってて感激。おまけに「杉の妖精」とも呼ばれる貴重な野性蘭をいただいて、この蘭の古い和名は「少彦薬根(すくなひこなのくすね)」という神名で、う〜むこいつあ春から縁起がいい、きっときっと大事に育てます。(ちなみに代表幹事の記事に出てくる梵天山で進退窮まってた方は村田氏がロープをつけて引き上げたのだそうです)

本日の山行、その険しい登りも含めて実に変化に富んだ楽しい道でしたし、たくさんの知識や神仏に出会えて有意義かつとても面白い一日でした。満足と感謝で年明けです。

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登り出しは大杉側の十二神社
急登です
掘り出した石祠
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尾根に向かって 樹間に周りの山 おかぼ平
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浅間山が見える 赤松の並ぶ尾根 大畑山が少し近づく
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赤テープが所々に
丸山から鳴神への稜線
岩場もあります
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何度も空は近づくが
大きなヌタ場(砂地) 陣近平ピーク到着
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標準点
袈裟丸が裾を伸ばす
下ってすぐの大岩
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下へ下へ
古い石組みが残る
林道分岐の石祠
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歩いてきた稜線
山神さまは大事に覆われている
茂木の石仏群

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