三境山

*桐生みどりさんの長い距離の峠歩きの計画(峠道をふたつ探しながらの草木〜石鴨往復)を泣いてお願いして半分の行程にしてもらい、かつて三境山を越えて草木と石鴨を結んでいたという峠道を草木側から探ってきました。ここは地図上には破線がありますが道形は全くないようで、古い地図には道が記載されているという破線よりひとつ西側の谷を探検してみます。

草木湖左岸のフィールドミュージアム(FM)草木という東京農工大の施設手前に駐車しての出発。神戸あたりの渡良瀬右岸には同じくFM大谷山というのもあり、む、大谷山とは初耳でこちらの山も気になりますね。
明るく開けた沢の堰堤を渡って左岸から山へ入ります。しっかりした作業道が長く続きますが時々落葉の吹き溜りがあり、その深いこと、最近は余り歩かれていない様子です。道は広く歩きいいとはいえ、主に左側にある植林帯はどれも細いままひょろひょろと伸びて、低いところは枝打ちされていてもかなり密度が濃く、右側に雑木が明るく紅葉していないと陰気な雰囲気かもしれません。でも今回は最初から道のない山行と思っていたので最初の尾根が近づいても作業道が途切れないのが嬉しい。よしよしいい道だ、なんて誉めながら元気よく進みます。

両側が植林帯になればすぐ三境山の枝尾根の突端に突き当たり道はここまで、まずはかなり急な斜面を登ることになります。ただ土が柔らかく、草付きなので見た目よりはずっと歩きやすい。細い灌木の間を縫って、あにねこさん、みどりさんのすいすいとした歩き方にはとても及びませんがなんとか二足歩行で後を追います。歩き始めは黄葉だった木々は高度が上がればすっかり葉を落とし、落葉を踏む乾いた音と筆者の荒い息だけの静かな山で、もちろん三人以外誰もいません。鹿の糞はたくさんありますが、他の動物のものは見当たらず、まだ猟期前なのかこの季節恒例の銃声も聞こえません。
暫く進み右からの尾根が合わされば稜線は広く緩やかになり、空は真青、風もなく、細い枝が重なり合って視界は開けないけどなかなか快適な尾根歩きです。

そのうちほとんど平らな地形に杉や檜がお行儀良く並ぶ高禅寺平。
三境山には大きな白蛇が棲みときどき里を荒らすので困っていたら、梅田の高園寺の出張寺だった高禅寺の三境坊がこれに術をかけて桐生川の蛇留淵に閉じ込めた、というお話があります。その高禅寺があったのがこの場所ではないかと言われていて、確かに広い平坦地、行のための庵があったとしてもおかしくない場所ではありますが、かつてみどりさんは寺跡を探したけれどそんな痕跡はなかったそうで、山中に突然開ける平たいところには○○屋敷という名がつく倣いもあります、その類いかもしれません。
この陽射しが柔らかく縞模様を作る森の東側ににゅっと迫る三境山天辺の姿と、大きな石がごろごろと積み重なる地相は不思議で、まるで空からここだけに石が降って来たみたい。いや実際にここだけに熱い火山灰が降り注いだのだそうで、それが時間をかけて冷めながらこの石たちになったのだとか。三境山は別名兜岩とも呼ばれ、ほんとうに兜を冠せたようにぽこんと盛り上がっていて、どちらの火山灰がどのような風に乗ってこんな形ができるのか、筆者の猫頭はなかなかその仕組みが想像できません。

その兜の西側の縁を積み重なる大石を渡りながら残馬山からの主稜線へ向けてぐるっと巻いて、たぶん昔の峠道はそうなっていただろう、とのことですがなんといっても転がる石ばかりで道の形はありません。石は苔むしていて踏むと滑るような気がして、でも間に積もる落葉は体重を乗せると思いがけず深く沈むし、たちまち及び腰になって呆れられます。
ようやく辿り着く主稜線には石の花と筆者は呼んでいるのですが、溶結凝灰岩が、冷えきる前に中身が溢れ出したのか、大きな花弁の花がついているような形状を作る不思議な大石があります。これだけ大量の石があるのにこの南側の斜面、しかも峠のあたりにだけいくつかある珍しいもの。前回より数が減って、花の部分が丸く抉れた跡を残すものが散見されるのは気のせいかしら。石の寿命は長いのでしょうが、石の花見るなら今見ておきゃれ、そのうち虚ろな穴になる、ような気がします。

ここからは青空に向かってしばらく急登。頂上に近づくにつれ大石はまばらになり、うーむ、この土の部分は空から来た火山灰の一部なんだろうか、海から押されて盛り上がった部分なんだろうか。
頂上は1088m、三角点と渋い山頂看板がいくつか待つ静かで、そんなに広くない天辺です。看板のひとつは前日八王子山で見たものと同じ方がつけたもので、なんだかちょっと嬉しくてぽんぽんと旧友の肩を叩く気分で触ってみました。
ぐるりは細い木々に囲まれて、枝の間に見える白い三角形は日光白根、もっと西に白く連なるのは岩菅山あたり、でも写真にすると枝しか写らなそう。
ここでゆっくりと早目のお昼。あにねこさんが取り出すビールで乾杯して、本日も風のないいい日でうらうらと穏やかな時間を過ごします。いい山なのにどなたも上がって来ないのは少し残念かも。

帰路は昔みどりさんが歩いたという北側の尾根からの下り道を探します。「昔」というのは30年ばかり前のことで、さて今でも道形は残っているかしら。
振り返れば三境山が黒い大きな影になってゆく広い主稜線を、正面左手に白浜山のふたつの峰を眺めながらゆるゆると。ときどきみどりさんが年期の入った地図と照らしながら谷を覗き込むのですが、ひぇ、どれも急降下で道らしきものは見えません。左から上がってくる尾根をふたつ越して、ここである、と言われてもそれは道ではありませんってば。
浅い谷を深い落葉をかき分けてがさがさ進めば、獣道にしてはしっかりした足応えのある細い踏み跡が出現。方向音痴でも三境山方向に戻っていることが判りますが、さして急ではないけど高度はどんどん下がります。30年前ならいい道だったかもしれないけど山腹を切ってつけられた道形は所々崩れかけていて、真直ぐ歩くのが苦手な筆者はそのうち右の斜面を滑り落ちるんじゃないかと気が気ではありません。

すぐに道は尾根に乗り、協議の結果このしっかりした稜線を辿ることになってひと息。最後は急傾斜だと宣告されましたが、斜面を横切る道よりはとりあえず歩きいいので、目先の楽ちんが最優先の場当たり主義者は内心大喜び、暫くはいい気分での下りです。
尾根が切れるあたりで左手の降りやすそうな場所を選んで、えいや と細い灌木の連なる斜面に飛び込みます。秘伝抱きつき降りをするには樹木は華奢すぎて、筆者の体重に勢いがつけばどれも折れてしまいそう。ひい、ひゃあ、きゃあ、ぐっ、やん、あや、え〜ん。我ながら五月蝿い声をあげつつ下れば山紫陽花の黄葉が鮮やかに広がり、そのうち微かに水音がしてきて、沢に沿っての、これはどこから見ても立派な道に出会います。
この頃は余り歩かれた形跡がないとはいえ、しかも設けられた小さな丸太橋が朽ちている(踏み抜き注意)とはいえ道は道、再び元気良く杉林の中をるるるんと歩めば出発地の少し上、沢の向こうに農工大の施設が見えてきます。

このコース、思ったよりも短時間で山頂に着くし変化にも富んだ面白いものでした。FM草木の古びた案内図には縦横に歩道が記されていて、どのくらい残っているかは判りませんが、破線歩きの好きな篤志家にはお薦めの山域です。
最初のみどりさんの計画はさすがに無理としても、筆者、少し歩き足りない気分。(←と言ってしまったばっかりにこの後ひどい目に遭うのですが)

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出発点の明るい沢
まずはしっかりした作業道を
最初の枝尾根
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道のない斜面に取りつく
枝尾根稜線
尾根が合わさるごとに広くなる
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高禅寺平
たくさんの大石が転がる
石の花
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岩を越えて上を目指す
あれが天辺だ
山名票がいくつか
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枝の向こうに日光白根が白い
山頂の猛者おふたり
最初に下った斜面を見上げる
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山腹を巻く道/大半はもっと崩れてる
最後の尾根はここを下った
演習林の中の道
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対岸に農工大の小屋が見えてくる
朽ちかけた橋
薄いピンクが歩道らしい

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