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*1月の終りに、弘法も筆の誤り&上手の手から水が漏れる&河童の川流れ&猿も木から落ちるetc.の如く、こんなに諺があるってぇのはよくある話なのかもしれませんが、天下無敵の桐生みどりさんがスキーで骨折してしまいました。既に3月半ば、you can't stop oneself from aging. という訳で未だ松葉杖を離せない状態をなんとかしようと、山でのリハビリという荒行と天狗のご加護を期待してまずは日光修験の聖地深山巴宿へ。その後、思いがけない銀世界に浮かれて、桐生みどりさんはもうひとの一生分の何倍も山を歩いているんだからたまには車でお留守番ね、などと冷たいことを言って三枚石まで雪の中をはしゃいできました。

●修行の場の静寂
粕尾峠は通行止めではないかというので鹿沼市の古峰神社にお寄りして深山巴宿を目指します。足尾の奥の山へこんな遠回りをするのは運転のあにねこさんに申し訳ないと言いながら、天狗で有名な古峰神社に一度行ってみたいと思っていたのでしめ子のうさうさ。ついでに一の鳥居と瑞峯寺も見物。どちらもまだ新しいので有難味に欠けますが、なぁにどんなものでも出来立てはこんなもの、あと三百年も経てば数ある神仏もやたら大きな鳥居も独り立ちするのではないかと思われます。鳥居の向うの山並みの奥には真っ白な山が見えて、高度のわりには平たい明るい谷筋は空が広々として桐生の奥とは趣が違います。

古峰神社はたいへんな人。観光バスが何台も並び、本殿の中はご祈祷の順番待ちの人でごった返しています。寄贈された天狗の大きな面がいくつも掲げられた待合室はどの部屋も一杯で、善男善女に幸いあれ。あまり善ではないわたしたち一行は溢れる人を尻目に、狛犬や拝殿外側の古びた彫刻を鑑賞しただけで山上へ向かいます。道路はきれいに除雪してありますが、斜面は雪で白く、今年は雪が多いのかしら、なんだか冬山気分になっても温度は高く暖かい。

東屋のある駐車場からの道はトレースの跡がある深い雪道。陽射しに溶け始めているとはいえ深い所は20cmくらいの雪の中、松葉杖はぷすぷすと沈み、桐生みどりさん、滅多に言わないだろう泣き言を並べながら珍しく汗みずく。杖の先につけるワカンを売り出せばヒットするのではないかなどと考えていますが、松葉杖を突きながら雪山に登る人など滅多にいるわけはないのですから、残念ながら特許を取ったところで実益とは結びつかない。
古峰原湿原は真っ白な雪の下で、なだらかな稜線に囲まれた灌木の中に水の流れる音が可愛く響き、空は怖いくらい青くて明るい。こんなに雪があると予想していなかった代行は既にGパンの裾をぐっしょり濡らしながら、同行者のハンデをいいことに勇んで先頭を歩き、トレース跡を避けて雪に新たな足跡をつけることに熱中して呆れられます。ほとんど高低差がないのも嬉しい。

左手に木製の鳥居、右側にいくつか看板が出てくれば深山巴宿。ぐるりを巴の形に水が流れる小島の中にご神木と古い石祠が数基と、お地蔵さまと不動明王を脇に従えた金剛堂が。周りの木が繁り出すと薄暗い幽玄の場所になるそうですが、今日はどれもが白く雪に覆われ、燦々と陽が降るどこまでも明るい場所。雪の下からせせらぎの音が柔らかに響き静けさがいっそう際立ちます。
日光開山の勝道上人がここに庵を結び修行を積んでから千年以上、古峰神社の禊が明治の初めまで行われていたとか。たしかに神が降りてくる特別な場所、聖地というにふさわしい森閑とした場所です。三年はもちろん一晩でもここにひとりでいることなど寂しくてたまらないと思う俗人は、深呼吸で少しだけこの雰囲気を胸に入れ雪道を戻ります。
来る時につけた自分たちの足跡の上に風もないのに小枝が散らばり、ここでは時間さえ静かにゆっくりと過ぎるようで、あらお腹が減っているみたいと空腹に気づき、途中の古峰原ヒュッテのテーブルに食料を広げて昼食。

●雪の山道の快楽
まだ半分しか体重をかけてはいけないと医師に厳命されている桐生みどりさんを東屋に残して、三枚石へ出発。いつもはどこを歩くべきか全く判らない代行もトレース跡がある雪道なら迷うことはありません。こんなに深い雪も初体験で楽しくてたまらない、相変わらず張り切って先を歩きます。
緩やかな登り、本当は階段があるそうですが全く見えず、どこに足を置いてもゆったりと雪が受け止めてくれます。時々すっぽりと新雪に埋まったり、所々の急登で息を切らしたりしながら登れば、雑木(ズミの木が多いとか)の中に稜線上の鳥居が見えて来ます。雲一つなく空は晴れ渡り、振り返れば細い木々の向うに大きな男体山、女峰山、日光白根、皇海山、どれも雪化粧して特徴ある姿で、勝道上人でなくともそれらの山へ登ってみたいという気になります。

鳥居をくぐって右へしばらく歩くと井戸湿原への関東ふれあいの道の看板。このあたりから道はほとんど傾斜がなくなり、真直ぐに先行者の足跡が続きます。少し汗ばみ上着を脱いで、今日はきっと日焼けしそう。
時々小屋と見紛う滑らかな曲線を描く大きな石が蹲っていて、ひとの足跡と鹿のような動物の足跡が交差して、雪は水気を含んだ崩れやすい重さで歩きいい。さらさらした新雪では登るのは大変だなど、雪山の話を感心しながら聞いて、でもきっとそんな凄い山へは行けません。今日のこの雪でさえわたしには今までにない経験で、いい加減な恰好をしてるのでそろそろ靴の中に水が溜まり出す。
岩の散らばる天狗の庭を過ぎてずんずんずんと雪道を進めば、行手に大きなハンバーガーのような大岩が見えて、目的地の三枚石です。

雪の中にどっしりと、自然の造形に企みなどあるわけはありませんが、不思議な景観。雪がなければもっとゴロゴロした場所なのかもしれませんが、真っ白な平面に少し傾斜しながらぴったりと合わさった大きな岩が突き出ているのは人ならぬものの力を感じさせ、赤い小さな鳥居の向うの社の中にはこの岩そのものがご神体なのか、苔色をした滑らかな石が重なって微妙な力点を作っていました。
ロープが張られ「登るな危険」との忠告をものともせずあにねこさんが岩上に。青空をバックにえへんぷいのポーズを決めます。腕力がないと無理と諌められて、羨ましがりながら、残念撮影係に甘んじる。
横根山への分岐のすぐ先に金剛泉があるそうでちょっと歩いてみましたが、道には全く足跡がなく、一歩ごとにあっさり膝まで埋まるので今回は諦めます。全く跡のない新雪の道はたいそう魅力的ですが、それだけに進むのは大変で、ここまで辿った足跡の登山者の方々に感謝。

さてあとはひたすら雪の下り。これが面白くてたまらない。ここ20年ばかりスパッツともアイゼンとも縁のない生活を送って来たのが悔やまれます。ってその前だってほとんど使ったことはないのですが。
足任せというより体重任せの荒技、ずごっずごっ、ぶしゃっぶしゃって、擬音だけで表すしかない芸のなさが恥ずかしくはありますが、いつもは恐々足場を選んで下っているので、鬱憤ばらしのように楽しみます。登りと違って、同じ道でありながら思ったより深く沈むのも、勢いに身を任せるのもなんだか快感。もう靴の中は水浸しで、足指がむず痒くなってはいても短い距離、主観的には勇猛果敢に、でも客観的にはきっとよたよたと下る。まあこのコースで春の雪、という条件でなければできないことでしょうが。
細いもつれたような枝の間、正面にはずっと日光の山々が並び、あっという間に鳥居の稜線、またあっという間に白く凹んだ古峰原湿原が見えてきて、それでも東屋に戻れば今日歩いた山筋は結構長い。読書と昼寝で待っていてくれた桐生みどりさんには悪いけどあと少し歩きたいような未練も残る。とはいえGパンではもう限界。乾いたものと着替え、履き替え、鼻の頭と頬が突っ張って、なんということでしょうどうやら日焼けしたようです。

帰りは林道を進んでみれば粕尾峠は除雪してあり、足尾へ下る周回コースとなりました。
ちなみに山に行くご婦人連、次からはもう日焼け止めが必要です。

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