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前回の高戸山で、歩いてもいないくせにざっと地図を眺め、すぐですよ〜簡単簡単、なあんて口からでまかせに付き合わせたので、もう遊んではくれないのではないかと覚悟していた山猫ご夫妻から仙人岳へ行きましょうと嬉しいお誘い。3月の地震で落ちてしまったつなぎ石の跡を見るために塩之宮神社の裏から前仙人・仙人岳のコースを歩きました。

●前仙人へ
暖かかった秋がその朝一気に気温を下げ、下から見上げる里山は黄色から茶にかけての複雑な色の変化が目立ちはじめ高い場所の紅葉が期待できます。塩之宮神社でお二人と落ち合って左脇の天照大神の祠の裏から入る道は最初はけっこう急勾配で、寒いのではないかと着込んだ厚めの山シャツはすぐに汗に濡れ出します。道には落葉が薄く散り敷いて見上げる木にはまだ緑が多いとはいえもう猛々しさはありません。

途中の峯一山神にはつい最近まで梵天が上がったのですが、今は下の神社の脇宮に上げるようになったのだと伺いました。が、それでもまだお詣りに行く方はいらっしゃるようで道はよく踏まれています。見上げる雑木は青空をバックにいい具合に黄葉し始めていて光をふりまいて眩しい。
ほんの少しの急登で道は杉の中をなだらかに縫い出し、少し開けた場所に山中にしては立派な石祠が。つい最近お供えされた色鮮やかな果物がひとつ置かれ、この石祠は重そうな大きな屋根に支えがないのですがどっしりとバランス良く乗っています。両側面には牡丹と菖蒲が彫られ特に牡丹がみごと。ご祭神は大山祇命、裏には「上菱 浅部 両村入合」の文字があり『菱の郷土史』によると寛永三年のもので、ここは滝の沢山というらしい。落ち着いたいかにもご神域という雰囲気があります。

手を合わせて植林帯を進めば赤テープが散見される中に木の幹に大きく「二丁目」と書かれている木が次々と。二丁目とは何だろう、丁目石の替りなのかしら、どこから三丁目になるのか、なんて言いあう内に謎は解決。このあたりは菱町二丁目の共有林だと書かれた樹木が。でも二丁目、けっこう自己主張が強い町です。
右手に宝暦十四年の銘がある小さな石祠を過ぎ、道は橋木山を巻いて緩やかに登ります。橋木山には小さな看板があると山猫ご主人が仰って、でも様子を聞いてみると当会のものではなさそうで、今回は山頂に寄らず進みます。
橋を架けるための材木を切り出したので橋木山です、なんて地元の方に大威張りで説明して感心されているのですから筆者もいい気なもの。

正面に桐生市標準点No.102のピークが見えてくるあたりから、ところどころに鮮やかな赤い色を交えて、見下ろす両斜面は黄葉が目立ちはじめます。振り返れば樹間に大きく鳴神の山稜がせり上がり、三人の枯葉を踏む足音だけの静かな山はこの季節の里山の醍醐味に溢れている。
稜線はいくらか狭くなったり広くなったりしながら、途中茂倉沢への下り口の鮮やかなオレンジのテープを過ぎ、短いロープの設置された岩場を過ぎ、東側に展望の開ける露岩を過ぎ、いよいよつなぎ石のあった場所へ。

道左手の石祠がある岩はそのままなのに、前回桐生みどりさんが石の上に立って手を伸ばした木の枝ぶりはそのままなのに、ほんとうにあの大きな石だけがありません。危うく乗っていた基部の脆そうな岩肌が陽に晒されているだけ。覗き込めば崖下に大きな石の破片が散らばり、あれは粉々になったつなぎ石の残骸なのでしょうか、一緒に滑り落ちていった石たちなのでしょうか。聞いていたとはいえ、実際に目にするとちょっと茫然としてしまいました。落ちるときなぎ倒したのか周囲の木の折れ口がなんだか生々しい。400年前の文献に残る石もあの大きな揺れには耐えきれなかったのかと思えば惜しいような切ないような。

後髪を引かれる思いでその場を後にして稜線を辿れば、木の葉はますますいい色に染まりぽんと前仙人に飛び出します。枯葉に埋まった三角点と木にぶら下がった647,4mの看板のお出迎えです。

●仙人岳へ
小休止の後左手奥へ見える仙人岳への急斜面を下ります。
もうここからは秋色のプロムナード。前回は秋の白い花の名をたくさん教わったのですが、今回は赤い木の実。立ち止まっているとあちこちで思いがけない大きな音で色んな木の実が降ってきます。代表幹事と歩けばみな単に赤い実、せいぜい山椒の実、としか言わないだろうそれらは大きさも色合いも艶もそれぞれに違い、ウラジロ、アズキナシ、ガマズミとまるで言葉を覚える幼児のように拾っては繰り返し、あるいは拾うたびに間違い、山猫奥さまに失笑される。色づく木の葉のそれぞれを名指されてももう木の実を覚えるだけで小さな脳は容量オーバーで、ときどき見える紫の実も式部だけではないと知ってまた大混乱。

菱黒川へ下る鞍部を過ぎれば見晴らしのいいピークがいくつか続き、冬の好天にはスカイツリーが見えると聞かされても、足利方面の山並みを説明してもらっても、ウラジロ、アズキナシ、ガマズミetc.が頭の中を渦巻きます。
いくらか陽射しが強くなり紅葉はますます華やかでそちらを愛でるのも忙しい。大きな露岩の脇を過ぎナツハゼのひときわ鮮やかな赤を見上げれば空は真蒼で、団栗が落ちる音が響きます。

笹床が現われればもう仙人岳の一角。緩やかな判りやすい笹道には朝日沢や黒川ダム、白葉峠への看板が付けられ、このあたりだけは自信を持って先頭を進みます。すぐに枯葉に覆われて大きな看板と三角点のある頂上に到着。平日のせいかだれもいない静かな山頂、662,9mです。
ここには菱町かるたの看板も立ち、これにも菱町二丁目とあってこれだけ見るとまるで仙人岳の所在地のように見えてしまいます。

もうひとつ前仙人がある、というのでもう少し紅葉を楽しみながら先に進みます。陽当たりのいい開けた場所に足利の山を歩くときに必ず目にする立派な茶色の標識が立っています。仙人岳の山頂より展望は開けていて、そうか猪子峠から来れば確かに前仙人、でも桐生の人間にとっては後仙人と言うべきか。自然の丸木のベンチと石のテーブルがありますが、どういうつもりかこのテーブルで用を足した猪くんがいて、少し離れた日だまりで大昼食会です。頂くものみな美味しいこと。

●朝日沢を下る
大休止の後は笹道を戻り朝日沢へと下ります。
稜線直下にマンガンの大きな廃坑がひとつ。こんなに上まで掘っていた当時の賑わいを思います。山猫奥さまが赤ちゃんの頃にはお宅に山師の方が泊まり込んでいたそうで、子どもの頃にはマンガンを積んだ貨物列車を見たこともあるのだとか。
下り出しは緩やかで落葉の積もる歩きやすい斜面ですが、朽ちた桟道の残骸が混じり始めると石が多くなり足元注意。

あちこちに廃坑の穴を見ながら涸沢を下れば傾斜は徐々に急になり、水音が高くなり始めれば対岸に打ち捨てられた機械の置いてある場所。ここは何度見ても不思議な気分になります。もうすっかり赤錆びたこれはコンプレッサーだったのかしら。近代の置き土産にやはり心惹かれる方がいるのか、四角い機械のレバーだけが磨かれたように光っているのは幾人ものひとが最近まで触っているからでしょう。丸い方のパイプの上のメーターもやたらに綺麗で光を跳ね返しています。

ここからは沢を幾度か徒渉し古い桟道を踏み抜かないように注意しながら細い踏み跡を辿ります。山猫ご夫妻は幾度も歩いているのでずんずんずんと躊躇がないけれど、沢筋には石がゴロゴロして歩きにくく、崖をへつる道は木橋が補強されている部分はあるとはいえ心細く、一歩一歩を着実に進みます。
しなやかなおふたりに挟まれてなんとか進めば、谷はどんどん下になって道は高所をくねるようになり、前回はやはり桐生みどりさんご夫妻に挟まれて、ロープをつけてもらってここを下ったのでした。

腐りきった桟道が風に揺れ、かなり眼下に滝の落ちる細い崖を越えればようやく難所は終わり。絶対にこの道はひとりでは歩けない。
山猫さんたちが若い頃は道幅は今の倍はあったというのですから、大雨や地震などがあれば道はもう落ちてしまうのかもしれません。ガードレールの残る林道終点に着いてやっとひと安心です。
前回大石が積み重なって塞がれていた場所は片づけられ、斜面はコンクリートで固められていましたが、山の持つ力はコンクリートでなんとかなるほど小さくはない。脆そうな岩肌の山を見ているとどこが崩落してもおかしくないような気になります。

林道はあの崩れた石を砕いて敷いたのかいくらかフラットになって歩きやすくなっていました。咲き乱れるリュウゼンギクの白い花や、赤い草の実、ヤマホロシやイヌチョウチンなど、再び呪文のように繰り返してくてくと出発点の塩之宮神社へと。
こころゆくまで秋色を楽しんだ一日でした。

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出発地塩之宮神社
枯葉の道を登る
黄葉がはじまっている
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峯一山神
自己主張する二丁目
小さな山神さま
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茂倉沢下り口
鳴神山稜
つなぎ石の残骸か?
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つなぎ石の祠は無事
前仙人岳山頂
山は秋色
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足利方向、行道山など
赤城は雲の中
陽光を受ける紅葉
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笹の林床になる
分岐の看板
仙人岳山頂
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足利側の前仙人
残馬山
稜線直下の廃坑
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最初は緩やかに下る
捨てられた機械
石だらけの沢道
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細い崖道を細心の注意で
はるか下に滝
林道と出会う

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