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*須花坂公園の憩い館で蕎麦をたぐって、これが固めで細い素朴な味、満腹いたしましたのでさて蛇含草でも探そうかと、憩い館に車を停めさせていただいて、脇の遊歩道へ入ります。
遊歩道入口左脇には寛文5年(1665)という古い庚申塔があり、この地域の一番古い庚申塔。板碑型に虚空蔵菩薩の名があり月待塔ではよく目にしますが、庚申塔では珍しいし、なんといってもこの塔の三猿、特に手の表情が愛らしい。山歩きには色んな楽しみ方がありますが、梅雨時の里山でだらだらと汗をかく、というのはわが山楽会の正統の楽しみで、そこで出会うものは皆好ましく懐かしい。

遊歩道とはいっても繁茂期に入っていますので、両脇の緑は濃く昨夜は雨、水気を含んだ山道の両側には草に埋もれてたくさんの庚申石が並び、かつてはこの山も庚申山と呼ばれたといいます。阿弥陀堂を過ぎれば大きな鐘楼があり、この鐘の嫋々たる余韻は特筆もので、平安まで遡るという天明鋳物や鋳物師の佐野の伝統を考えれば、かつては無量寺があったこの山域にこの見事な鐘の音はふさわしい。
鐘をひとつ撞きまして膨らみのある低い長い余韻の中を先に進むと、少し開けた場所に山神さまの石祠がふたつ。既に彦間の集落は足下に小さく、里山とはいえかなり急な登りです。

天和の年号などが読める石仏がまとまっている無量寺跡、海抜200m看板、子安観音、桜沢公園へ下る遊歩道の分岐など飽きることなく歩いていると、行手のかなりな高みに不動展望台の東屋が見えてきます。前面をすっぱりと伐採した斜面は展望台というだけあって急峻で、火焔が赤く彩色されたお不動さまと一緒に見下ろす人家はますます小さく、ヤマボウシが白く咲いて時々過ぎる微風がことのほか快い。

薮じみた急な山道をひと登りすれば岩場の中にお不動さまの石祠と火屋が崩れた灯籠があり、岩を伝えばすぐ頂上、345m。こんなに低くても平野から最初に立ち上がる山、一気に眺めは開け、空気が澄んでいれば富士山も見えるそうです。関東平野に襞なす山なみが右にも左にもいくつも重なり、検索すれば丁寧にこれらの山稜を歩いている方々の記事があり、いつか辿ってみたくなりました。小休止のあと山名看板がちょこんと乗っている石祠に手を合わせて、先を急ぎます。

頂上のすぐ下は小さな岩場で岩割桜を眺めて下れば、ほぼ平坦な尾根道に「野鳥の尾根」と書かれた看板が落ちていて、確かに鳥の囀りが茂った樹間の下の方からしないではありませんが、もう求愛期は過ぎたのか子育て中の鳥はおとなしい。道の両側も緑一色、花開くのが植物の求愛だとすればこちらも一段落したのかしら。もちろん蛇含草もみつかりません。
木の根元の山神さまを過ぎ、江保地坂。草ぼうぼうの斜面を下る蛮勇は持ち合わせていないのでそのまま尾根を先へ進めば目指したピーク、三等三角点の名草山。この頃旧字の三角点の、特に「角」がお気に入りで、出会うたびになにか得をした気分、展望はない山頂ですがにまにまと三角点を撫で、これだけで大満足。

ここからは手すりのある急降下であっという間に須花峠。途中妖しの茸や可愛い白い花、鎧地蔵がいた跡地など楽しみます。
峠は深く切り通されてすぐ下の舗装道さえ無視すればなかなか趣ある風情。すぐ下の須花坂湿原だって、もっともらしく看板など立てわざわざ湿原だと主張しなければ、水と光の綺麗な窪地です。
整備された階段を舗装道に降りつけば大正トンネル、反対側を少し歩いた手掘りの明治トンネルからは霧が立ちこめ、同行のおふたりはおーいなどとどちらでも声を響かせてなんだか子供のようで、けれども登り口の鐘の響きにはとうていかなわないのでした。

あとは県道をあちらを眺めこちらへ寄ってたらたらと出発点にもどり、梅雨の晴間の里山道中汗だらけの巻でございます。

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