沼尻〜鈴ケ岳〜鍬柄山

*お仕事成分や睡眠成分は腐るほどあるのにここしばらく筆者の山成分が足りません。歩きたいよう、歩きたいよう、とあちこちに電波を飛ばしていたらそのひとつを山猫さんがキャッチしてくださって、山猫・赤猫コンビと、梅雨明け宣言はまだとはいえ蒸し暑い日が続くので赤城山へ。ずっと懸案事項だった沼尻から鈴ケ岳への道にトライしてきました。

さすが慣れている方は、かつ方向感覚の正しい方は凄い。大間々を抜けて裏道をちょいちょいっと幾度か曲がるともう赤城の山の中。なんだか特別なワープ地点があるような早業でまだ早朝なのに沼尻の東毛少年の家の前に着きます。どーなってをるのだ。
少年の家の階段で足元を整えていたら、早い朝食を終えた中学生がぞろぞろと降りてきます。礼儀正しい子どもたちと挨拶を交わし、どこへ行くのか尋ねるとこれから赤城山へ登るとのお答え。ちっちっち、キミたちはもう既にそこに居るのだぞ、ぐるりに見える頂きにはそれぞれ名前があるのだぞ。
どうやら地蔵岳に登るらしく、ひと夏にこんな大人数が幾組もその山頂を目指すのですから、地蔵岳への道があんなに広々としているわけです。

賑やかな中学生たちとは反対方向、まずは出張峠に向かいます。躑躅はもう終わり鮮やかな花の色は見えませんが足元には本に挟んでおくといい香りがするというクルマバナが、小さいながらにすっきりした形で今が盛り。広い道の両側に眼を凝らし見える花や茸の名を問えば、この猫さんコンビはほとんど即答してくださって、おまけに泥に残る動物の足跡もその持主を推理。昨夜は二歳ほどの鹿がこの道を逍遙していた模様。
出張峠までは木枠のしっかりした階段や、緩やかな林の中をカーブして伸びる気持ちのいい道をゆったりと下ります。峠の看板の右手が出張山、直進の深山バス停方向へはそれまでよりいくらか荒れた階段がけっこうな急降下。土が掘れていて、筆者は利き足の膝がまだ痛いので下りがけっこう辛い。

鈴ケ岳は綺麗な円錐形の山で左手の木々を透かして見え隠れするのですが、少しも近づいてはくれない。渡るべき沢もはるか下の方らしく、耳を澄ませばかすかに瀬音らしきものも聞こえますが、水気を含んだ緑が真直ぐに落ちていて水の光も見えない。看板はたくさん設置してあって深山バス停への距離は少しずつ短くはなっても、その看板に鈴ケ岳の名は記載されていません。
瑞々しい緑の中にクサタチバナの優美な白があちこちに群生し、色んな鳥の囀りが絶え間なく、誰とも行き会わない静かな道なのですが、なにしろ下ること、下ること。このまま深山に着いちゃったらどうしましょう、そしたら電車でぐるりと戻ってバスで大沼へ、なんて呑気らしい会話を交わしながらもなんだか気が気ではありません。
鈴ケ岳のほとんど真北で道はようやく沢を渡り、木橋のたもとの関東ふれあいの道の石標識が沼尻から約3km離れたことを示しています。高度は1100m少し、出張峠が1400mほどなのですから300mも下ったわけで、すぐ横に聳える目的地まで400m以上も登り返さなくてはなりません。うへぇー。だいたいほんとにこの先に登山口があるのでしょうか。渡る沢は清冽な流れで小滝がいかにも涼しげですが、赤猫さんが地図も持たないのにもう少しで登山口なんて予言してもなにか心配。

橋から400mほど緩やかな登りを進むと小広く開けた場所にやっと鈴ケ岳への標識が。あら、赤猫さんえらい!すぐ下にはガードレールが見えて、幾台か車が停められそう。ここまで車で入れるなら鈴ケ岳はそれはそれは簡単な山かもしれません。
標識に従って山肌に取りつけばコアジサイが綿飴のようなふわふわした花を開いてあちらにもこちらにも。漢字では粉紫陽花と書くらしく、確かに粉のような小さな花なのですが、それが集まってひとつのかたまりになっているのを見るとそれぞれが小宇宙を作っている星団のようでもあります。
ここからしばらく道はさして急登にならずに円錐を東に巻きながら登るのですが、赤城の原生林ともいうべき景観で、苔むした大きな岩が散らばり、大人ふたりでも抱えきれない大樹が空へすくっと葉を広げ、あるいは磁器のような肌合いになって朽ち、墜ちた月の色の滑る茸が花のように木に生え、大きな羊歯が円形にレースの如く葉を広げる。それまでの不安はどこへやら、筆者は歓声を上げ続けすっかりこの道お気に入りです。

道が南へ向かい始めると涸れ沢を伝うようになり、だんだん急になる傾斜に羊歯はますます大きく葉を広げ、密生する緑の吐息で空気はしっとり湿っていますが、ときどき抜ける風は汗に濡れた肌に冷たく快い。もしひとりならとても心細いような登りではありますが、やはり暑い季節は楚巒といえども高い山がいいな。
右手に空がだんだん開け、落葉松の林と笹床になれば大ダワ(ダオともダモとも言うようです)に到着です。鍬柄山からの縦走路と、深山への南北の道が交差する広々した弛みには鳥の声が賑やか。ここからは御岳信仰の石碑や石柱と岩の道。一昨年の霧の日にひとりで歩いたことを思い出しながら登ります。本来なら眺めがいい岩場からはやはり梅雨時、荒山が蒸気を纏って滲み関東平野は全く見えない。
ここの信仰物は明治から昭和初期にかけての比較的新しいものですが、それから持続していないのか崩れたものも多い。その替わりというわけではありませんが、重箱岩への新しい標識が。下り五分、登り十分との表示にちょっと気を惹かれましたが、あんなに下ってきた身体がもう下りたくないよーと主張するので未見です。
二カ所ばかりロープのある岩場をぐずる膝に手を添えて通過。この岩肌にはアイゼンの跡がたくさんついていて、雪のあるときにも人気のコースだと判ります。

細くて短い尾根が終わればすぐに三角点のある頂上。三柱の山神さまの石碑が太陽に晒されて短い影を落としています。この天辺は色んなガイドに眺めがいいと紹介されていますが、筆者が登る日は視界が悪く、周りの樹木も枝を張っているのでいまひとつで残念。
山頂看板より少し先の木陰で早いお昼の大休止。しっかりかいた汗の塩分を求めて小柄な蝶が怖れ気もなく袖にとまり、驚くほど大きな山蟻がせかせか走り回り、虻の仲間がまつわりつき、おまけに蝿までやってきて慌てて虫除けのスプレーをお借りし、見上げる空にはまだ数は少ないけれど蜻蛉が舞って、鈴ケ岳は虫愛ずる神の山なのかしら。そんなに広くない山頂にあれこれ広げてお喋りに興じ、後から単独行の方がおふたり登っていらっしゃったのだけどきっと呆れたに違いありません。
ゆっくりと時間を過ごし、さて下りはどうしましょう。往復を考えていたのですがあの長い長い下りを、疲れた足で今度は登るのは辛いかもしれない、いや鍬柄山への登りも長かったのではないか、往路と復路の景色が違う方が楽しいかもしれない、三者侃々諤々の討議の結果鍬柄山へのコースに決定。山成分を充填すべく、ついでに白樺牧場に出てしばらく車道を歩き見晴山から青木旅館の裏へ下りましょう。

大ダワまで戻り、鍬柄山へのコースを登ります。隈笹の中を緩やかにくねる道はそのうち階段状に木の根が張り出す急登になり、サラサドウダンが散り敷く華やかな道になり、フウロが咲く小さなピークになり、再び急登になったり笹道になったり。最初に鈴ケ岳を目指した二十数年前にはこの下りを聞いて鍬柄山で勘弁してやったのでした。その後は荒山や、長七郎、地蔵には何度も登ったのに、黒檜にだって行ったのに、とうとうひとりで歩くことになった道です。登ったら必ず書いた代表幹事の記事がないし、写真もないところを見ると我が家では筆者だけが知る道かもしれません。それにしてもこちらも鍬柄山からけっこう下るわけで、鈴ケ岳は桐生方面からは孤高の山なのかも。
ロープのある石の登りを息を切らせながら登り切ると鍬柄山山頂です。進行方向正面に人工物が林立する地蔵岳、眼下に白樺牧場と見晴山、大沼の向こうには主峰黒檜から駒ケ岳への稜線が柔らかに伸びて、出発地の真上の五輪尾根も一望でき、今日は遠くの山は見えませんが、こちらの方が眺めはいい。

小休止の後笹の中を新坂平へ向けて下ります。縄張りを主張する鶯の声がすぐ真横でいつまでも響き、そんなに鳴いて喉を痛めないかと心配になります。
この道にもクサタチバナが群生し、橘っていうくらいだから蜜柑の匂いがするかと鼻を近づけますがあまり香りません。ヤマオダマキやミヤマクワガタ、フタリシズカやウマノアシガタ(キンポウゲ)、ナワシロイチゴにヤブランにセンノウの仲間、牧場に近づくほどに小さな花が次々に現われ名を覚えるのに忙しい。
姥子峠を過ぎて新坂平へは新しい緩やかな道ができていて少しぬかるんでいますが急じゃないので歩きやすい。
けれども西の方角で鳴り出した雷が徐々に近づき、空は低く垂れ込めて、車道に出てからは細かい雨が落ちてきて、山の雷は三時過ぎがお約束のはずなのに〜。約束違反の雷を叱っても効き目はないので見晴山は諦めます。

かつては東京電力の施設だった観光案内所に足手纏いの筆者は残されて、猫さんコンビが空身で車を取りにゆくことになり(筆者さえいなければきっと半分の所要時間)、しばらく地蔵岳を眺めながらとりとめなくぼうっとして、平日の赤城山は静かに静かにしっとりと濡れてゆくのでした。

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鈴ケ岳説明板はすっかり色褪せて
歩き始めは広い道
階段も緩やか
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緑は瑞々しい
出張峠
急な下りが延々と
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やっと沢に近づく
水は清冽
ようやく鈴ケ岳登山口
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見渡す限りコアジサイ
大樹が幾本も
岩はすっかり苔むして
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大ダワ
岩場が続く
荒山が霞む
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重箱岩ですって
鈴ケ岳頂上
鍬柄山への笹の登り
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けっこう急です
鍬柄山山頂(道の正面は地蔵岳)
大沼のあちらに黒檜山から駒ケ岳
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クサタチバナの群生
ヤマオダマキもひっそりと
鍬柄峠

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