2014.11.8
親分てえへんだ、じゃなくて会長大変だ秩父の御開帳を見ないうちに年が終ってしめえやす、これから12年後なんて来るかどうか判りゃしませんぜ。ということで楚巒の会長と羽生で待ち合わせていそいそと乗る秩父鉄道。秩父盆地が近づくと山は秋色を散らせて、そこそこハイキング姿の乗客が多いのはみなさん札所回りかしら。
今回は秩父駅で下車、長い橋を渡って荒川左岸の丘陵を歩きます。
まず橋を渡る手前、道脇の案内石に従って第16番西光寺へ。
町中だからでしょうか今までで一番多くの方が境内にいらして本堂前は少し混雑。正面に立つ棒には紅白の布でできた綱が下がっており、向こうの端はご本尊の観音さまの手に結ばれており、こちらを握れば糸電話ならぬ綱握手でご利益は常にも増すそうで、ここぞとばかりあれもこれも、小銭しか差し上げてないのにお願いしてしまいました。
本堂左には巨大な酒樽に鎮座する大黒さま、右手には四国八十八霊場の仏さまが集結していてぐるりと回ると四国を歩くのと同じだそうで(ほんとに私たちの国ってそんなのが好きね)、しっかり両側にもご挨拶。
通りに戻って荒川にかかる長いハーブ橋を渡ります。全長400m、歩き始めれば左岸に張り出す斜面はとりどりの紅葉で、水面に色を写して美しい。かなり傾斜のある登りなので真中にある休憩所で休みながら眺めを楽しみました。それにしても秩父市街の向こうに聳える武甲山は大きい。最初に石灰を削り始めたときはほんの少しくらいなら、と思ったんでしょうね。それが止められなくなって、そのうち無惨な形にしてしまうのは人間の業というものかもしれません。
小鹿坂峠へのカーブの多い長い車道歩きを覚悟をしていたのですが、黄葉とまだ緑を保った葉が陽を透かして明るく静かな巡礼道がちゃんとありました。
登り着くのは音楽寺、珍しい名です。すぐ後ろが松林で、その松籟が音楽のようであると付けられたそうです。音楽を志す方の参拝が多いとかで、色々な歌手のポスターがお堂脇に奉納してあって珍しい景観。本堂はゆったりと広い回廊を持ち、ここから見る秩父の町並みは光を受けてなかなかのもの。縁起の扁額が掛かり、ここにもご本尊と繋がる綱が張られています。
すぐ後ろの十三地蔵への山道を辿ったあとは上に見える稜線へ。長尾根と呼ばれるこの長い丘陵全域がミューズパークと名づけられ、公園として整備されており、スポーツ施設や花園、公会堂や野外ステージなどの文化施設、展望台や子ども広場etc.が設けられて、もしこんなのが桐生にあれば(そんな予算はないでしょうが)代表幹事はきっと悲憤慷慨だよね、なんて会長と笑い合います。楚巒山楽会としては久々の空の下なので起伏の少ない遊歩道が続くのは有難くもあるけれど、枯葉の香りが嗅ぎたくてたまには山道へ踏み込んでみたりします。遊歩道に平行して車道が通り、何かの催しでしょう礼服姿のひととすれ違ったり、小さなお子さん連れのジャージ姿のお父さんがいたり、筆者たちと同じくハイキングや山ガール風のグループがいたりでなかなか面白い。なにしろ非常に大きな公園です。
中央の広い遊歩道の両側はもう半分散った銀杏並木がそれでも見事な黄色で延々と続き、右側には両神山がすぐ近くに見えます。次は小鹿野を歩きましょうねと約束。あ、武甲山にも登るんだっけ。会長は手帳を取り出しときどき俳句に余念なく、筆者はひたすら葉色を愛でて長い尾根を歩き切りました。
公園を抜けて車道を少し下り、例によって久那道をふらふらと迷い歩き、寂れた山神社や可愛い野仏、形を変えた武甲山を背景に風に揺れる秋桜の野、ちょっと怪しげな綺羅綺羅しい仏像が立つお寺などを見ながら宝林寺へ。
ここは観音さまではなく普賢菩薩を祀る秩父十三霊場のひとつで、江戸時代の立派な石燈籠といかにも山里らしい絵になる小庵があり小休止。道に散った落葉を掃くご当主もまた絵になります。数えると当会の札所歩きも半数ほどに達していて、ああ早くご利益が降りてきますように。
もうひと下りすれば黄葉と中洲に当たる白い流れに巴川橋の赤が映えて、渡って車を避けながら住宅街や歴史の古そうな学校の裏を歩き影森駅に到着。響きの美しいこの駅の名前ももうお馴染みになりました。
山歩きとは少し趣向は違いますがこの日もたっぷりと歩いて、電車に乗るとすぐに眠くなり熊谷までうとうとと。善き日なり、善男善女なり(笑)。
道案内は新旧たくさん |
西光寺 |
橋の真中で秋色を楽しむ |
武甲山は大きい |
札所への道がちゃんとある |
可愛い道標識 |
音楽寺起源扁額 |
十三地蔵・趣のある山里です |
右側には両神山 |
稜線には整備された遊歩道が幾本も |
メインの遊歩道の銀杏並木 |
久那道のお地蔵さま |
巡礼坂案内板・旧来の道は崩れたとか |
宝林寺 |
巴川橋から下流を眺める |