冬晴れの八王子丘陵
 月給取りという職業についている時間が人生の半分を越えた。お陰さまで三百六十度どこから見ても小市民という地位を得たようであるが、昨今の世界情勢と日本国の経済情勢そして、何よりも我が家の深刻なデフレーションに、そんなささやかな安穏な生活も崩壊寸前である。
 そんな訳で冬の一日、昨年の晩秋の那須以来の山歩きに逃げ出すことにした。『登山靴くらい買っておけ』という我が山岳会のリーダーの命令に従って買ったトレッキングシューズに足を固め、普段は寝巻きにしているトレーナーの下には股引という出立ちで、都鳥が水面すれすれに乱れ飛んでいる古利根川を越え、春日部駅に向かう。幸に天気は上々、昨夜のアルコール不足で少し寝不足気味ではあるが、車中で蕪村句集を拾い読みしながら、少しまどろむと足利市駅に到着。駅でリーダーの車に同乗、『行く先はお前が選べ』と渡されたガイドブックに印刷されている、明るく穏やかな峠道が多いに気に入り、「桐生市の裏手の小さな里山」茶臼山登山に決定、笠懸小学校の校門の横から、私にとって山歩き再開第二弾の山行が敢行された。
 登山口までの車窓から遠望した茶臼山を最高峰とする丘陵は、いかにも日本人のふるさとという感じの優しい山容であった。しかし取りついてみると、いきなりとても人間の歩く道とは思われない急坂の出迎えを受け、準備運動なしの両足の筋肉の乳酸はすぐにぱんぱん。それでも久し振りの山の空気である。ゆっくりと稜線までの道を味わうように登る。道標もなく獣道に近い薮の中を余裕綽々で前を行くリーダーは、私に内緒で随分鍛えたらしく、ベテランハイカーの風格を見せている。

  標なき道に冬日はこぼれけり

 春を思わせる日差しが心地よく降り注ぐ尾根に乗ると坂も穏やかになり、当然展望も開ける。この刹那こそが私にとっての山歩きの至福の時だ。何度味わっても心が弾む。そんな小道をしばらく進むと「木枯紋次郎」出生の地、薮塚温泉のある三日月村が一望できる黒石峠に出る。日陰には雪も幽かに残り、なんかほっとする空気が淀みなく流れるように全身にしみ込んでくる。正午の知らせであろう。笠懸村か薮塚温泉の寺か、鐘が丘陵全体を覆うように鳴り響く。

  温泉の街の鐘や峠の冬日和
  雪の香や笠懸村の寺の鐘

 快適な尾根道を少し行くと八王子山山頂。リーダーの奥様手作りのおにぎりで昼食。おおぶりの鮭がたまらなく旨い。そして、茶臼山山頂。茶臼山の展望は噂通りすこぶる良好だが、野暮なテレビ中継塔が建っており少々興醒め、詩情も湧かない。次は古井戸跡という戦国時代の遺跡に到着。雑木林の中に文字も読めない古い石柱があり、「新田氏の金山城(太田市にある)の北の砦跡」と読める新しい碑も建っている。今まで歩いてきたやさしい峠道とは違った人間の因縁を感じる社である。冬なのに生温い雰囲気を肌に感じてならない。

  いにしへの峠守りぬ冬木立

 ここからは来た道を引き返すことになる。冬の一日はやはり短い。まだ時間は早いはずであるが、尾根道から見える上州の山々も寂しげに暮れはじめる。苦にならないやさしい憂いのようなものが、胸を覆う。途中から来た道とは違う道を広葉樹の落ち葉を踏みながら、噛み締めるように歩き続けると、小さな沼が木立に隠れて飄然と現れた。たった一人の釣り人の自動二輪車が取り残されたように放置されている。

  薄氷と釣師ひとりの里の沼

 上州の人里は理由もなくなつかしい。夕暮れの笠懸村の道に「新田義貞公鎌倉攻略挙兵の地」という石碑があるのには少し驚いた。

  暮れ早し村に鎌倉挙兵の碑

 薮塚温泉の湯煙の中で今回の山行を終える。


平成十五年一月 春日(楚巒山楽会会長)

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