たらしやま。双葉観音山同様、太田中学校校友会発行の「金山」に山名の記載がありました。“井戸の上山の南方に當り、田野に臨んで屹立す。東南斜の一部は梅林にして、早春の候、杖を曳くも少なからず。頂上の眺望亦佳なり。今梅山と稱するは即此山なり。”と書かれています。金山丘陵の多くの峰に名前がつけられていたようで、井戸の上山は現在の水道山です。太郎四郎山の山名の由来も気になるところですが、記述はありません。
「ほろわをゆく」というサイトによると、江戸時代には現在の受楽寺の駐車場に母衣輪神社があり、裏山は袰羽山/母衣輪山(ほろわやま)と呼ばれていたということです。
現在では、東山遊歩道から外れ、山頂に群馬テレビのアンテナが立てられてしまい、訪れる人はあまりないようです。

太郎四郎山へは太田七福神の大黒天がおわす受楽寺から登ります。受楽寺へは金山城趾線を太田市内に向けて下り、金山町の信号で右折、天神山と太郎四郎山の鞍部が切り通された所。左手に受楽寺、右は高山神社のある天神山。
受楽寺の山門の下にハイキングコースの道標があります。親水広場に向かって進むと、すぐ右に踏み跡が、尾根道ですが、遊歩道とつかず離れず進んでゆきます。右に崩れそうなお堂を見て登ってゆくと、アンテナの立つ山頂。小広い山頂ですが、アンテナがフェンスで囲われているので、腰を下ろせるような環境にありません。東側は結構な断崖になっています。梅林は確認できませんでした。

金山丘陵の小さな山、一つ一つに名前がつけられています。金山は古くから太田市民の山として親しまれてきたのでしょう。金山丘陵には山名プレートがありません。折角整備されているのですから、山頂には名前を示すものが欲しい所です。

母衣輪神社のご祭神は邇邇芸命(ににぎのみこと)、倭建命(やまとたけるのみこと)。

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