うかうか記2

あかね


某月某日 二宮赤城神社の石灯籠−修行でもなく罰でもなく 


産泰さま以来「支える」ものを捜して山歩きのあとは必ずいろんな神社に寄ってみてはいるのだけど、小さな里宮の灯籠はみなシンプルで凝った彫刻など見当たらないし、世間は広いもので検索すれば石灯籠愛好の方々もけっこういらっしゃるが、アップされた写真は洗練されたすっきり形の良いものばかり。あれは巨大な石灯籠を造ることになった職人さんがたまたま西遊記かなんか読んでいて、飾りが牡丹や獅子ではつまらないとついつい力をこめて妖かしを彫っちゃっただけかもと思い始めた頃、見つけました、石灯籠を支えてる奴。

二宮赤城神社は赤城山信仰の里宮の中心、上野国二宮でもある。苔むした長い参道を抜けた広い境内には立派な社がいくつもあり森厳とでも言いたいような清浄さ。といってひっそり閑としているのではなく、ちょうど脇の建物の屋根の葺き替え中で、歴史もあれば活気もあるが商売っけの薄い、気持ちよい、品よい、ほどよい三重丸の優良神社。
その苔むした参道の神橋のこちら側、対の石灯籠そのものをしっかと持ち上げている八人はたしかに人ではあるのだけど、これまた異国の人にしか見えない。褌一つの半裸で太鼓腹に筋骨隆々、腕・肩・首あるいは頭で立派な石灯籠を担ぎながら怖い顔で正面を睨み据えたり中空に目をこらしたり。短髪系の4人は道士あるいは達磨風、長髪系は角力取りあるいは異国の兵士風。それぞれ姿勢も表情も違うのだがどれも卑屈な感じはしないし、少しも苦しそうではなく、ただ淡々と石灯籠を支えている。彫目は丸く摩滅して参道と同じく苔むしてかなり時代は古そうである。
近くを掃き清めているご神職にこの支えている像はなにでしょうとお聞きすると、さてなにですかな、そもそもこれは灯籠を支えているのか灯籠の下敷きになって封じられているのか、仏教では仏に踏みつけられた天の邪鬼がおりますが、これもそのたぐいかもしれませんよ、とのこと。ご神職に口答えするつもりはないけど、だって封じられているのならも少し悔しそうだったり反省の色が見えたりしないかしら。といって灯籠を一生懸命支えることでなにかの修行のつもりなら、も少し敬虔な顔・真摯な顔になりそうだし。
そういえば子供の頃からお前はアマノジャクだとよく叱られていたことを思い出した。なんでも人の言うことに反抗して意地を張る。確固たる目標や理想があるからそれに基づいて理路整然と反対するのではなく、なにしろ人がなにかをいえばそれではないことを考える、今になっても変わらぬ可愛げのない性格だから、もしこの石像がご神職の言う如く天の邪鬼であるならば、なるほどこんなに気に入って興味も持つ筈だとそこだけは納得した。
とはいえ、この灯籠の下で踏ん張る奴らには産泰さまでも二宮神社でも鬼の証拠の角がない。神や仏の有難さに打ちのめされる筈の邪悪さがない。図太く悪相ではあるが精気があって、健康な自己肯定の気概がある。

宗教だけには限らないが人が集団で何かを信じる時の、はっきり言って一番気持ちの悪いところは集団の外の者あるいは別の信心を持つ者に対する容赦のなさだと思っている。イスラエルとパレスチナの際限ない殺戮を持ち出すまでもなく、ほとんどの宗教は自派にまつろわない者たちを悪にしつらえ、愚に落とし、徳を失わせ、敵と呼んだりしてきた。さすがに現在の宗教は、なにしろ一日に世界で20万人ずつ人が増えるのを瞬時に知れる時世柄どれもがそんなに偏狭ではいられないだろうけど、日本の古い神、空や地や海、村や山に遍在していた神さまたちがだんだん社会化、組織化されていく過程では鬼にされたり魔にされたりした神さまもいたに違いない。天の邪鬼は強大な神に統一され序列化さてゆくことに反抗し続けた、そんなに弁の立たない弱い神さまのひとりだったのかもしれない。

ほとんどの天の邪鬼は仁王に踏み付けられたり、あるいは瓜子姫の昔話では切り刻まれて畑の肥やしにされたりしたのだけど、赤城の神さまはそんな非道なことはなさらない(産泰さまも赤城の神さまである)。なんたって義理と人情の上州、ご自分は朝廷の式内社になったけど、そんなのイヤだとそっぽをむく近場の神仲間を鬼にすることはいくらなんでもおできにならない。どないするおつもりだすお宅のショバの反対勢力、赤城さんの手ェに負えへんならうちの若い者をやって成敗してもよろしおすえ、なんてネチネチ脅されて、窮余の一策、どうだんべ、どうせ住処を追われたんならうちの灯籠の下にでも身を隠しちゃ、この面倒くせえ神代が過ぎれば鬼だの邪だのいわれずに、永遠の野党とでもいっていられる時が来っかもしんねえ、と説得したかどうかは知らないが、もしこの石像が天の邪鬼だとしたら、この姿の力強さは赤城の神の御心の優しさ、かつて百足に変身し大蛇に負けて辛い思いをしたからこそ花咲いた敗れてゆく者へのエールからではないだろうか。

と、とりあえずインチキなお話をでっち上げながら、「支える」もの探索はまだまだ続くのであります。

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