四万六千日お暑い盛りでございます。故文楽師の舟徳の始まりです。鉄をも溶かさんとする炎熱の日も、足利の低山里山めぐりです。暑い盛りの浅草寺詣でには46,000日分お参りしたのと同じご利益があるそうですが、わたごさまにお参りして、業を修めようとする殊勝な気持ちもさらさらなく、わたごさまと呼ばれる足利市松田の小高い山〈続足利の伝説(台一雄、岩下書店)第50話より〉が、どんなものか見てみたいという野次馬根性と二人づれで栃木県道松田葉鹿線を北上しました。足利の伝説によるとわたごさまには昭和46年に完成した三和簡易水道の配水施設があるということなので、登路も容易く発見できて、暑い最中でも薮に悩まされることなく登れるのではないかと、ルノアールのココアよりも甘〜い考えで。

桐生坂西線を進み、文真堂のある交差点で左折。松田葉鹿線のバイパスを進みます。この道は、うれしいことに松田葉鹿線の旧道に合流するまで信号がありません。馬打峠をこえる松田大月線とのT字路に八雲神社がたっています。この西側のこんもりとした高みが“わたごさま”です。駐車地は松田大月線に入って、馬打橋の手前の広い路肩か、八雲神社手前にある松田神社の周辺がよいでしょう。畑仕事をしている地元の方にわたごさまの登路を尋ねると、“冬”は畑の奥から登る人がいるそうです。なるほど。わたごさまといったら通じました。
畑の奥の気持ちのいい杉林を抜けると作業道に出合います。作業道をたどると二本に別れます。左を行くと杉林で道は途切れます。杉林の中に踏み跡は見つけられませんでした。右を行くとわたごさま山頂の樹木が間近に見える場所までで、道は途切れます。人類には通過不可能の薮にぶち当たります。配水場など影も形も見当たりませんでした。昭和46年といえば、40年近い昔です。大まかにいってしまえば、半世紀前。あるはずないか。

ここまで、引っ張ってきましたが、“わたごさま”には登頂できませんでした。全くもって楚巒山楽会代表幹事の不徳のいたすところで。すぐそこに頂部は見えていたのですが。とりあえずサンダルのせいにしておきます。
八雲神社の脇に花崗岩のみちしるべがたっています。清水沢に沿った道を進むと、道は林の中に消えていくのですが、薬師堂の辺りで、沢に渡り板がかかっていました。わたごさまへの踏み跡らしきものも認められました。配水施設が頭にあったので、広い道があると思い込んでいましたが、渡り板からなら登れるかも。
出発地の松田神社には神無月に出雲にいった神様を迎える“おかいり”という神事があるそうです。神様お土産をもって帰ってくるのかしら。わたごさま=あたごさまで、愛宕様だと思うのですが、愛宕様も火の神様だし。

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