思い違いをしていました。多田山はすっかりなくなってしまったと思いこんでいたのですが、25000図では産泰道路(前橋西久保線)の北側に三角点が残っています。
往時(といってもつい最近まで)、前橋赤堀線(通称産泰道路)は多田山丘陵の尾根を越えて走る素敵な道でした。北関東自動車道の建設のため、多田山丘陵は崩され、崩され、形を変え、今も崩され、道路は付け替えられ、尾根越えの道はただの道に成り果てました。
多田山の三角点は、姿を消しつつある、産泰道路の南側にあると思っていましたので、もう登ることができないと思っていましたが、今ならまだ多田山に登るチャンスは残されているのかも知れません。

できることでしたれば、このまま田の中に浮かぶような丘のあるほのぼのとした風景は残しておいて頂きたいものです。轟山、権現山、諏訪山などと呼ばれる丘が点在しているようです。

赤堀茶臼山は下に古墳を付けられて呼ばれていますが、群馬県埋蔵文化財調査事業団のHPによると、赤堀茶臼山古墳は佐波郡赤堀町今井字毒島にある。町の北西端に位置する多田山丘陵北端の小丘上部を整形盛り土して構築した、…とあります。九十九山他の項にも書きましたが、山が先にあって、そこにあとから古墳が作られても、それは山です。赤堀茶臼山古墳と呼ぶ方が百万人いようとも、楚巒山楽会では、赤堀茶臼山です。山歩きの対象です。古代の人も物臭しないでちゃんと盛り土で山を作ってからお墓にしてもらいたいものです。

実際行ってみると、あまり歩くところもなく、笹薮に覆われたピークは、人の侵入を拒む手強さです。

inserted by FC2 system