浅慮の行いで足利の山をその他の山と一括りにしていました。桐生同様、足利にもたくさんの山があります。ふと気付いたらその他の枠がオーバーフローを起こしかかっているので、急遽、足利/佐野の山のカテゴリを作成しました。

葉鹿の愛宕山は、水道山/雷電山の項で紹介済みですが、山名プレートを付けにいって上野田方面におりる道を歩いてみました。途中、神社の石柱や諸国を歩く六十六部の石碑などがあり、この道が表参道ではないかと、東京電力の巡視路ができる前は、この道を使って頂上の愛宕神社(未確認ですが)に登拝していたのではないかなと。参道を紹介するべく、新たな項を設けました。巡視路とくらべるとやや急ですが、参道らしく道はしっかりとしています。雑木に笹が混じり出すと、二本の立派な石柱に出会います。植林地の手前にはお地蔵様と六十六部の石碑。小さな山に幾たりもの神様仏様を勧請した、往時の方々の信仰心といったら。石碑には中央に奉納大乗妙典六十六部日本廻國、右に天下泰平、左には日月清明と刻まれていました。落語や講談の世界ではおなじみの六十六部の証を目の当たりにしました。六十六部(六部ともいう)とはありがたい大乗妙典(法華経)を自ら六十六部書き写して、心願成就や天下太平のために全国六十六の国の霊場に納めてあるいた修行僧(行者)です。
“花見の仇討ち”では茶番の仇討ちの止め役で「逃げることはない。勝負は五分じゃ」「へい、肝心の六部が参りません」“山崎屋”では、「六部に天狗が憑いた」などと耳にはしていたのですが。
この石碑は台座から欠け落ちているので、詳細は分りませんが、この場所が経典を納めた霊場ではないでしょう。この石碑は諸国を廻国しようと発心した人を村落の人々が応援して、あわよくば自分もあやかろうということで、建立されたものだと思うのですが。

以上、六十六部の文字を目にして嬉しくて、新たな項を起こした顛末でした。

そういえば、経持坂を見に行かなかったのですが、新しいプレートはついたのでしょうか。
誤っている慶路坂という地名を正したいということで、雷電山に掲載したものを再録すると
“けいじっさかは昔から小俣では言われてきたものです。この坂を越えて鶏足寺にお経を運んだということから、経持坂は納得できます。小俣あるこう会の会長ほか数人からも確認いただいています。(中略)こうした事実もあるという事を何らかの手段で伝えなくては経持坂の名前が消えてしまいます。歴史ある地名は残したいものです。”
ということだったのですが、その後進展はあったのかしら。そのうち歩いてちゃんと紹介しましょうか。

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