所用があって太田市に行きました。いつもは太田桐生線で行くのですが、何となく太田大間々線で向かうと、太田の市街地に入る直前に小さな丘を発見しました。金山の裾の方です。入口に鎮守八幡宮と書いてありました。石段が延びています。八幡山でしょうか。もしかして楚巒山楽会が得意とするレイのヤツかも。
所用を済ませ石段を登りました。頂上の案内板には“金山丘陵南の一独立支丘の八幡山の山頂を利用し”とあります。やっぱり山だ。でも、その後に、“構築された前方後円墳”と続いています。困るなぁ、誰だ、勝手にこんな所にお墓を作って。富士見村の九十九山でも書きましたが、この山は古墳のできるず〜っと前から山として存在していたのです。表参道は全て石段ですが、裏参道からは露岩の山道らしい道が登っています。前方後円墳としては、規模が大きいとかなんとか書いてあるけど、山なんだから、大きいお墓じゃなくて、や・ま・な・の。
ま、別に私が声を張り上げなくても、この八幡山を山ではなくて大きなお墓などという人はいないでしょうが。裏参道から赤い鳥居を潜って露岩の山道を登っていくと、まるで山登りをしているようです。見晴しもいい。街中にこんなお散歩コースがあっていいな。
八幡宮の裏手から下る道があったのですが、その先は篠薮で、素手の上にサンダルでは踏み込んで行けませんでした。頂上には石祠が二つと富士講の石碑が建っていました。富士浅間大神と彫られています。富士講は食行身禄(じきぎょうみろく)という行者が富士山で入滅してから爆発的に盛んになったそうで、食行身禄尊神と彫られた石碑に、ここのところ良くあいます。八幡宮の裏手からは金山方面の展望が、富士講の石碑の辺りからは、近くにある天神山が望めます。天神山も高山神社とばかり思っていましたが、山でした。この山と同じで、前からあった天神山に高山彦九郎を祀る神社が建てられてしまったようです。そのうち登らなくては。
推奨できないので、ここで書くことはできませんが、駐車スペースはあります。あまり誉められた場所ではありませんが、路上駐車ではありません。現地に行かれれば、おわかりになると思います。

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