ようがいさん。飛駒三山の一つ。飛駒三山は多高山、要谷山、のこぎり山です。音からして要害山の変化でしょう。中世の砦跡ということです。頂上直下に浅間様のお宮があるので、地元では浅間山(せんげんやま)とも呼ばれているようです。
いけづきの道、するすみの道と名付けられた道があります。お若い方は、あまりご存知ではないでしょうが、筆者は若い頃、宇治川の先陣争いをラヂオの実況中継で聞いて心踊らせたものです。争った二人、佐々木四郎高綱が池月(いけづき)、梶原源太景季が磨墨(するすみ)という名馬に跨がって、対岸の木曾義仲の陣に討ちかかります。

その様子は…“いけずきといふ世一の馬には乗つたりけり。宇治川速しといへども、一文字にざつと渡いて、向かへの岸にうち上がる。梶原が乗つたりけるする墨は、川中より篦撓形に押しなされて、はるかの下よりうち上げたり。佐々木鐙踏ん張り立ち上がり、大音声を上げて名のりけるは、「宇多天皇より九代の後胤、佐々木三郎秀義が四男、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣ぞや。われと思はむ人々は高綱に組めや」とて、をめいて駆く。”
二頭の名馬はそれぞれ出陣の際に源頼朝から賜った馬で、産地がここ飛駒の里。“佐々木四郎高綱の給はられたりける御馬は、黒栗毛なる馬の、きはめて太うたくましきが、馬をも人をも傍を拂つて食ひければ、生食とは附けられたり。八寸の馬とぞ聞こえし。梶原(源太景季)が給はつたりける御馬も、極めて太うたくましきが、まことに黒かりければ、磨墨とは附けられたり。いづれも劣らぬ名馬なり。”

佐々木の馬は真直ぐに宇治川を渡り、梶原の馬はよれて川下に行ってしまい、先陣争いは佐々木が勝利しました。

老越路峠を田沼方面に下りきり、T字路で左折、森林公園の入口の道標で右折、公園の入口に広い駐車場があります。公園の右手にいけづきの道。明るい尾根道を登り、山頂に。山頂からは雄大な多高山が望めます。ツツジの尾根を進み、植林帯に入り、石祠で左折。するすみの道を下ると林道です。引用はもちろん平家物語でした。

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