県道桐生坂西線で桐生に戻ってくると、群馬大学のグラウンドの手前あたりで、左に様子のよい、スッキリとした円錐形の山が見えてきます。愛宕山です。

小友風穴地区より山道を登ると駒ころばし峠に至る。桐生城最後の城主親綱の落城(天正元年・1573)にまつわる峠である。佐野から援軍が駒ころばし峠までくると落城の報せが届く。十三人の大将は引き返すこともできず、馬を谷底に突き落と自刃したという。家来は亡骸を埋葬し13塚を建てた。以来駒ころばし十三塚と呼ばれた。当時の交通の要衝でもあったので八辻の峠ともいう。(菱町の財産より)

県道桐生坂西線の観音堂の近く、道端にお地蔵様が立っていらっしゃいます。そこから山に向かうと小友川を渡ってすぐ左に常夜燈があります。インターネットのサイト『菱町の財産』によると“風穴地区にある常夜燈は文政6年(1823)と刻印があり、桐生小俣道の一つ、八辻の峠(駒転ばし峠)越えの道端にあって信仰に近い風習を伝えてきたものである。” とあります。概念図中央の愛宕山の下が風穴地区です。風穴の所在は確かめていません。

冬の一日、駒転(こまころばし)峠と愛宕山に登ろうと常夜燈から愛宕山方向に歩いたのですが、密薮と湿地帯に阻まれました。
北側からは産廃の処分場なので、道はないだろうと思っていたのですが、なんと、駒転峠の発見つきで登路がありました。
桐生坂西線で小俣方面に向かい八王子山の手前で右折。桐陽台に入ります。高い所を目指していくと公園があります。以前に八王子山への入口で紹介した公園です。この公園が、愛宕山と駒転峠への入口でもあったとは。公園の脇の舗装されたスロープを登っていくと正面に産廃処分場が現れます。柵沿いに右に少し行くとお地蔵様が二体、石の塚も確認できます。13塚の名残りでしょうか。ここが駒転峠です。
愛宕山には真直ぐ下って行く踏み跡を行き、少し急な崖を思い切っております。雨上がりには滑りそう。正面に見える山が愛宕山で岩がむき出しの崖になっていますが、左から登路があります。岩の下から尾根筋を目指します。尾根には踏み跡があり、産廃の処分場ができるまではよく歩いていたと、公園の上であった、お年を召したご婦人に伺いました。
ちょっとした薮を潜っていくと、すぐ尾根に出て、道はしっかりしてきます。踏み跡を辿るとすぐに石祠のある愛宕山の頂上に出ました。先ほどのご婦人によるとここから風穴への下りは道は有るような無いようなということでした。少し下ってみましたが、道が有るような気もします。

駒転峠まで戻って、産廃処分場を突っ切って、水道山や雨乞山の方に歩けると面白いコースになるのですが、向かおうとすると、処分場で作業している人に強い口調で阻まれました。通してくれてもいいのに。ま、お陰で水道山に広見橋の方から登るコースを見つけたので、よかったですけど、けち。

2006/12/21 県道桐生坂西線から見た愛宕山と常夜燈の画像を追加。こちらから見ると円錐形でなかなかの形。右下はある年の5月の涸沢。

2007/1/11 風穴の位置判明
“菱町一丁目の小字風穴に、風穴とよばれる穴がある。天保の大火(1843年)では、この穴に住む大蛇のはく息で、火勢が遮られ穴の前の青木家では焼失を免れたという。また一説には、蚕の種紙等の貯蔵所ともいわれる。同じ風穴地区にある常夜燈は文政6年(1823)と刻印があり、桐生小俣道の一つ八辻の峠(駒転ばし峠)越えの道端にあって信仰に近い風習を伝えてきたものである。” 菱町の財産より

概念図の群馬大学のグラウンドにそって、細い舗装道路があります。小友川とグラウンドにはさまれた左岸の細い道です。八王子橋の下にちょっとしたスペースがあり、駐車可能です。一応、市道ですから車での走行もできますが、右岸の荒れ果てた里山を眺めながら歩くのもよいかも知れません。
橋が何本かかけられていますが、渡っても歩ける所はないようです。八王子山、愛宕山の裾を確かめながら歩いて行くと対岸の竹薮の手前に小さな穴が見えます。大蛇の住むという風穴です。
右岸からもいけるのかも知れませんが、他所の家(多分上記の青木家)を通らないと右岸のここまで来れないと思います。穴の中を見たい気もしますが、左岸から眺めるだけで満足しなくてはいけないのでしょう。
2007/1/12 風穴の位置訂正
てっきり、風穴だと思っていたら、マンガンを掘ろうとした坑か何かの跡ではないかということで、こちらが正しい風穴です。写真は右です。常夜燈の前を過ぎ正面の山に向かっていくとこちらが青木家です。その脇の沢の上部に風穴がありました。概念図再訂正しました。


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